コンプレックスはアートなのか?
自分の顔が醜すぎてどうしたらいいかわからなくなる時がある。
いくらメイクやダイエットをしてもどう頑張ってもブスと言われて、コンプレックスの場所をいじられて、そんな中でも負けたくないという気持ちでヘラヘラしている。
もっとダイエットをしなければ、もっとメイクを勉強しなければと思う毎日に今疲れてしまった。
わたしが可愛いと言って欲しいから、可愛いと言ってと言っている意味ではなく、ただ普通でいたいだけなのだ。
髪も染めて、可愛い服を着て、何もかも無駄になってしまうな〜〜と思う。
そもそもそんな努力を人に見せたくないのだけれど、わたしはわたしだから知ってる分悲しくなってしまうのは矛盾しているのだろうか。
CHAIが『コンプレックスはアートなり』と言っていた。それを見て、勇気をもらえて号泣した。
ライブに行きキラキラして可愛くて、どんなに醜い私でも生きていていいのだ!と思ったわたしも全部否定されているようだ。
どこか遠くに誰も知らない遠くに行きたいと思うけれど、誰かに会いたいと思ってしまうのは、自分の気持ちでさえもめんどくさいな〜と感じる。人間だからなのか。
だったら整形しろと言われてもしょうがないね。