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生霊を溺愛して追い祓った話。①

今週に入ってからまた生靈が來るようになった。久しく來て居なかったのに珍しい。

生靈と云うのは大體が嫉妬から來るものだ。
此の僕の何處に嫉妬に値する要素があるのだろう?と思うのだが、それでも嫉妬する人は居るようだ。

此れ迄生靈が來た際は「てめえふざけんな、ぶっ殺すぞ!帰れ!!」と内心で怒鳴り散らし、背中にへばりついて居るその真黑な影を背負投げしてばんばん床に叩きつけ、腦天をハンマーで打ち、顔面を潰し……兎に角あちらの氣配を感じなく成る迄殴り倒して蹴り飛ばしたものだった。

僕にははっきり生靈の出處が理解る譯じゃ無いけれど、その生靈を感じると頭に浮かぶ場所や人が居る。

「まさかその人が……? 否、根拠も無く「嫉妬して生靈飛ばしてる」等と思うのは失禮だろ」

と、僕は何度も頭からその想像を追い払ったけど、僕が生靈に對して背負い投げをしきった後、その人は必ず1周間程頭痛や發熱で寝込んで居たのだった。

偶然にしてはタイミングが合いすぎて居る。
僕は納得出來る根拠がなかろうが、こう云う世界や感覺を信じる事を決めて居るので、矢張此の人だったかと腹を抱えて笑うことにした。

大體その人はギリギリ他人には理解されないレベルの回りくどい陰湿な嫌がらせを僕にして來て居たのだから。

暫くして僕はその人のSNSを、思い切ってブロ解した。嫌がらせ未満の陰湿さに悶々とする事が面倒になったのだ。
此れでもう生靈を飛ばされる事も無いだろう。

そう思ってスッキリした氣持ちで居たのだけど、それからも生靈は時々來て居た。僕はその都度背負投げとぶん殴りで追い払う。面倒だった。

此の件を軽い氣持ちで靈感持ちの知人に尋ねてみた處、リストか鍵のサブ垢で觀ている可能性が在ると言われた。成程……僕をそこまで監視するメリットが先方に在るか如何かは理解らないけど、そういう類の人間って世の中には居るし無い話じゃないなと思った。

何度か暴力的に生靈を追い祓って居る内に、そいつは僕に飽きたのか何時しか來なくなって居た。
よかった〜とほっとして居たら、今週からまた生靈が來た。もしかしてあの人かな、と云う考えが脳裏を過ぎったけど、そう思考する事でその人との繋がりを强化して仕舞う氣がしたから、餘り考えない樣にして居た。
それに實在する人物に對して「僕に生靈を飛ばしているだろう?」と疑いの目を向けるのは餘りに失禮で、申し譯無く感じる。

けれど今週は追い払ってもまた翌朝に來ると云う始末で、うんざりした僕は3日目の水曜日に生靈の姿を直視することにした。
氣配と感覺で恐らくその人だと思う。
間違いないだろう。うんざりするなあ。
また何か嫉妬して居るのか? と思った僕は連想的に最近youtubeで觀た嫉妬の話を思い出す。

「嫉妬されたら『私のファンなのね、ありがとう。あなたが嫉妬すればするほど、私を凄いって思って褒めて呉れてるのと同じだから嬉しいわ。嫉妬して呉れてありがとう!』という氣持ちで居れば良い」
と。

なにかにつけ母親に嫉妬されて育ってきた僕は、嫉妬されることが無意識レベルで物凄く怖い。
そんな僕には此の考え方は迚も救いになったので、深く胸に刻んで居たのだ。

youtuber氏の言葉を思い出した僕は、背中から生霊を引っ剥がすと殴ったり背負投げをすることはしないで、抱き締めて頭を撫でながら膝枕をしてあげた。

「んー、よしよし。僕のことが羨ましいんだね? 可愛いねえ。僕のことが好きで堪らないんでしょう? ありがとうね。嬉しいよ、君の氣持ち。そんなに僕のことが好きなんだねえ」と子猫を可愛がるように可愛がって上げた。
すると生霊は「えっ……」と戸惑った様子でひゅんっと消えて了った。

樂勝だと思った。
怒りやイマージナリー暴力での解決より心が暖かくて氣持ちが好い。此れで濟むのなら此れで好い。

然し次の日も亦、生靈は來た。


續く


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