徒然よんもじ
今の気持ちを書き残しておこうと思う。
去年の年末、たった一通の事務的なメールで、大切なものが、大好きだったものが、音を立てて崩れた。
本当にあっけなかった。何が何だか分からなかった。ただただ寂しくて悔しくて苦しくて悲しくて、子どもみたいに声を上げて泣いた。
半年間、真夜中の交差点に立ち尽くしてるみたいな気分だった。自分がどこから来たのか、どこへ行きたかったのか、どこへ向かえばいいのか、本当に分からなかった。
なんで、どうして、ばかりを繰り返した。
彼と同じぐらい大好きだった5人のことは、見られなくなった。彼らの、健康と、幸福と、幸運を願いながらも、現在進行系で進んでいく姿をどうしても見られなかった。たくさんの幸せをもらって、あんなに夢中にさせてもらったのに、楽しませてもらったのに、5人を見ると泣いてしまうから、どうしても見られなかった。
ただただあの年末の日に置き去りにされたまま、今を進んでく5人を見送った。どうか、健康で、幸せであってくれ、と祈りながら。
4月にツイッターのアカウントが出来たとき、とにかく彼が生きていてくれたことに安堵した。
ただ、その時に公開された文面では、彼が戻ってきてくれるつもりがあるのか、それとも別の道を進んでいくための区切りなのかは分からなかった。もしかしたらもう一度、アイドルをやっている彼を見られるんじゃないかと期待しながら、彼はもう別の道を進んで行っているんじゃないかと不安で苦しかった。
エゴだと分かっていても、彼にはアイドルを続けてほしかった。彼にだって、一般人としての人生を選択する自由があると分かっていても、それをどうしても許容できなかった。
あの時のあの状況で、もう一度アイドルを志すことが、どれだけ茨の道なのか想像できなかったわけではない。芸能の世界に詳しいわけではないけれど、それぐらいの想像はできる。多分、冷たい冷たい逆流の中を一人で泳いでいくようなものだ。
それでも、アイドルでいてほしかった。
一般人として平穏な人生を歩んで、人並みの幸せを手にして欲しいなんて、嘘でも思えなかった。
『そこにある小さな幸せを探して生きていく』ような生き方は、私がする。私たちファンがする。彼にはどうしても、アイドルでいてほしかった。どれだけ苦しくてもしんどくても、選ばれたほんの一握りの人だけが立てる光の中にいて欲しかった。
だって、その夢を誰よりも語ったのは彼自身なのだから。5大ドーム、と、誰よりもはっきりと言葉にして言ったのは彼なのだから。
平穏な人生を歩んで人並みの幸せを手に入れている、これといった取り柄もない平々凡々な一般人に、でっかいでっかい夢を語って夢中にさせたのは他でもない彼なのだから。
夢の責任を取ってくれ、と。
夢の叶うところを見せてくれ、と。
半年間、ずっとそう思っていた。
6月、インスタライブで今後の報告をする、と言われたとき、全身の血の気が引いた。
帰ってきてくれるのかもという期待を抱きつつ、それ以上に、『さよなら』と最後通告をされてしまうのではないかと不安で、叫び出したいぐらい怖かった。
インスタライブがユーチューブの生配信に変わって、画面に映った彼は、死にそうな顔をしていた。切腹を覚悟した武士みたいだった。
アイドルを続ける、と告げたときも、私の大好きだった光り輝くような彼の笑顔はなかった。
ああ、彼は、アイドルという業に殉じるために戻ってきてくれたのだ、と思った。
どうしたってあの冬の日から動けないままの私たちファンのために、覚悟を決めて戻ってきてくれたのだ、と。
でも違った。
そういう、彼を忘れられなくて苦しんでいる私たちファンのための自己犠牲の精神が皆無だとは思わない。
それでも、それ以上に、彼はそもそもアイドルなのだ。アイドルを夢見て、アイドルになるために努力をして、そして現にアイドルなのだ。
ステージの上に帰ってきてくれた彼は、感情豊かで、素直で、元気が良くて、眩しいほどの笑顔で何度も何度も笑ってくれた。
心から、アイドルでいたいと言ってくれて、そして実際に最高のアイドルとして私たちの前に立ってくれていた。
楽しそうに歌って踊っている姿を見ているだけで、幸せで、楽しくて、わくわくする。彼がこれから夢を叶えていく姿を想像すると、それだけで楽しみで楽しみでたまらなくなる。
福本大晴くん、『おかえり』
帰ってきてくれて『ありがと』
『大好き』だよ。