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初音ミクが歌うということ
唐突だが初音ミクに対しての愛を語りたくなったから書く。
何も考えず思ったまま書くから文章の誤字脱字はご愛嬌ということで。
ボカロ曲のボーカルは誰でもいいのか
最近ボカロが世間に浸透するにつれ、ボーカロイド達の数も増え名前も分からないキャラさえいる。
人間が歌うのとは違い、キャラ特有の声や特徴などはあるものの音声合成技術の域を超えることは出来ないため、ボーカロイドが歌うならミクを使おうがリンレンを使おうがそこに人間ほどの差異は生まれない。
実際ボカロに詳しくない人間が聞いたらボーカロイドが誰だろうが機械音声としか認識しないだろう。
現に、昔はボカロ曲といえば初音ミクの曲、ルカならルカのための曲、KAITOならKAITOのための曲、と言ったものが多く見られたが、現在は作曲者(ボカロP)の作品のあくまでボーカルを担ってる一部分でしかない事が多い。
だがその中でもちゃんとこのボーカロイドじゃないといけないという曲が一定数あり、そのどれもが名曲なので今日はそれを布教したい。
ボカロPから初音ミクへの負の感情
1曲目は「マジカルミライ2019」のテーマソングとしても有名な和田たけあき(くらげP)さんの「ブレス・ユア・ブレス」だ。
この曲は明るい曲調とは裏腹にボカロPの初音ミクに対する不満のような物を歌う曲だ。
実際、和田たけあきさんもマジカルミライ2019のインタビューにて、「ミクのライブを見て絶望してしまった。」と答えている。
自分が作った曲をミクがさも自分の曲かのように歌っている。
初音ミクがアーティストとして認められ、大きな会場でファンを大勢呼びライブをする反面、ボカロPは「アーティスト」として認められず、ボカロを使って作曲をする作曲家だとしか見られない。
そんな作曲者、ボカロPからしか分からないミクに対する思いを伝えるための曲なのでこの曲は初音ミクが歌うからこそ意味がある曲だと言える。
そんなこの曲の歌詞はもちろん全て解説したいほど素晴らしいが、その中でも3箇所、どうしても伝えたい部分がある。
1つ目は
「ねぇ なんで? コレはきっと 僕自身の歌だった」
という歌詞だ。
その前のAメロやサビ後半でも言ってる通りこれはボカロPから初音ミクへの曲であり、文面通りボカロPが作り上げた曲が初音ミクのものになってしまっていることを伝えている。
きっとこれもボカロに詳しくない人が聞けば誰の曲でもどんなボカロでも、「ボカロじゃん!」「初音ミクの曲じゃん」となるのだろう。
初音ミクが歌う曲は総じてボカロであり、ボカロに詳しくない層は曲を作ったボカロPに対して「アーティスト」だと思わないのだろう。
そんな皮肉をマジカルミライの舞台で歌うこの和田たけあきさんの作詞力と度胸に痺れる。
2つ目は
「だけど 言葉は全部 君になって 僕のものじゃ なくなった」という歌詞である。
これも前述の通り、ボカロPが作曲した歌詞がそのまま初音ミクのものになり、自分の曲では無くなってしまう感情を表したとだと思う。
作曲をしているとボカロに歌わせた途端、この曲は君のものだ、僕が作った物じゃないと思う瞬間がある。
きっと和田たけあきさんもミクに対してそう思ったのだろう。
最後は
「もう君に 僕なんか必要ない 僕に君も必要ない」という部分である。
これは少し前からある、ボカロPがボカロを使うことを辞め、アーティストとして自ら歌い活動することを指しているのだと思う。
きっとボカロを使うことを辞めたあの人達も、同じく初音ミクに絶望し、自分の曲を取り戻す為に自分で歌うことを決めたのだろう。
初音ミクが歌うと初音ミクの曲になるから。
そんな歌詞ばっか続いてマジカルミライとは思えないような曲だが、流石は和田たけあきさん。
ラスサビからの「僕らきっと 対等になって」から
自分の今までのボカロ曲やこれからのボカロに対しての色々な感情、前向きな気持ちを与えてくれる曲になっている。
終わりに
これも全て、初音ミクがボーカルだったからこそ出来たものであり、そこが変わって仕舞えば存在しないものであったと言い切れる。
このようにボカロのボーカルは誰でもいい訳ではなく、そのキャラだからこその背景ストーリーや思いがある訳で、その全てを活かしきった素晴らしい曲がある事をみんなに知って欲しい。
まだまだ紹介したい曲はあるが、2曲目からはまた次の機会にしようと思う。