「神宮要」について・Ⅰ
はっきり言って、私は「メンヘラ」です。本当は、メンヘラという単語に差別的な意味合いが込められているような気がしてあまり使いたくないのですが、事実なのではっきり言います。メンヘラです。つまりうつ病を患っています。それがどうしてそうなったのか、そもそも「私」とは何なのか、整理してみても良いのではないかと思い、朝方から眠れないままに書いています。ただ、中々刺激的(悪い意味で)な要素もあるかもしれませんので、見ない方が良い方もいると思います。
名前 神宮要(じんぐうかなめ) 元・on
性別 女
制作 イラスト・小説
影響を受けた人物 伊坂幸太郎・太宰治・甲田学人・LeaF・ TAKA
いきなり内服薬について
今私が飲んでいる薬をご紹介します。何故かというと、同じようなうつ病患者さんの中でも比較的どういった性質のうつ病であるかが薬によってある程度わかるからです。(勿論調べなければ、ですが)
・朝食後……サインバルタ20mg2錠
バルプロ酸ナトリウム徐放錠A200mg1錠
・寝る前……レボトミン5mg1錠
ロゼレム錠8mg1錠
フルニトラゼパム錠1mg1錠
エピナスチン塩酸塩錠20mg1錠
コントミン糖衣錠12.5mg1.5錠
バルプロ酸ナトリウム徐放錠A200mg2錠
・頓服……ロキソプロフェンNa錠60mg1錠
レバミピド錠100mg1錠
これは一応減った方です。最近は薬の出し方が色々とテコ入れされているようなので、お医者さんからしてみれば決まった枠の中で出さなければならないので毎回頭を悩ませていると思われます。すみません。
これで何がわかるかというと、まあ見ての通り寝る前の薬が大量です。つまり不眠症です。薬を飲み忘れると本当に眠れません。どうして眠れないんだろうと思うと、大体薬を飲み忘れたりしています。困ったことに、睡眠薬を飲んだからといって必ず毎日ぐっすり、という訳にもいきません。今日のように。以前は「ベゲタミンB」という睡眠薬を処方されており、かなり劇薬というか最強に近い薬だったのですが、まあ色々あったんでしょう、制度的に規制され、今ではフルニトラゼパムを飲んでいます。
また、サインバルタやレボトミンはうつ状態を改善させる目的で飲んでいます。コントミン糖衣錠は睡眠薬でもありますが、少し不安が強くなったときにも飲んで良いと指示を受けています。頓服は偏頭痛用です。低気圧にめっぽう弱いため、頭痛とは長い付き合いです。ただ本当に低気圧だけなのかわかっていないため、そのうち頭痛外来に行きたいと思っています。
しかし、薬を飲み続けて早十数年。うつ病は中々治りません、少なくとも私の場合は。
じゃあ一体「何」なのか
はいはいわかったよお前の薬は、というところで本題です。私がどうしてうつ病及び睡眠障害に陥っているのか。それをつらつらと語ってみようと思います。
遡ること幼稚園時代。いやもしかしたら小学校低学年のころ。私は知らない男にファーストキスを奪われました。痴漢です。このあたり曖昧なのですが、カブトムシがいるよと誘われてついていった先で虫歯にならないためにと口と口を合わせました。時期は冬に近づくころ。カブトムシなんているわけないじゃん、と後で来た警察官に言われましたが違います。私はカブトムシの幼虫だと思ったのです。でも、子供のころはあまりに大人しすぎたので、そして大人が怖かったので、言えませんでした。モンタージュ写真というものを作り、「これで合ってる? どのくらい?」と聞かれ、70%くらいと言ったところ、「それじゃあわからないよ~」と言われたのも覚えています。いや、いきなりよくわからんことになった男の顔を100%覚えている人間がいるんでしょうか、いやいない。そして書き出してみると意外と覚えている。その後何度か痴漢に合いました。会いました、の方が合っているのかもしれないが、とにかく子供のころはモテていたらしいです。笑えない。
どうやら私が悪いらしいと思ったのは、一度目か二度目のとき本屋で痴漢に遭ったとき、後で合流した母が父と私の前で泣いたことです。冷静に考えれば私が悪い訳はないのですが、子供のころはとても大人しすぎたため(二度目)、何も言えませんでした。ただ、ハンバーガーだかポテトだかを食べていたことくらいしか出来ませんでした。
そうして私と両親は変わりました。いや、変わったというのが正しいのかは未だによくわかっていません。本当は元からそうだったのかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。私はとにかくそこら辺を覚えていません。私は、家と学校をひたすら行き来するだけの子供になりました。学校の後友達と遊ぶのも出来ませんでした。痴漢に遭うかもしれないから。両親の心配も今ならわかるのですが、当時は理不尽だとしか思えませんでした。
ひたすら勉強、そして
唐突ですが、両親は成績優秀でした。母は文系、父は理系。比較的有名な大学を卒業した同士なので、勿論、子供にも同じような経験をさせたいと思うのが一般なのでしょう。でも、私はイヤでした。というより、段々とついていけなくなりました。最初は100点を取り続けていました。でも本当に、少しずつ成績が落ちていき、そして叱られ怒鳴られ蹴られ殴られ……暴力。私にはそう感じました。はっきり言って、死ぬかもしれないとすら感じたこともあります。
悪かったのは、上記で記した痴漢に遭ったこともありました。もし遭わなかったら、心配されずもう少しのびのび出来たかもしれない。でも、そうはならなかった。登下校しか一人で外に出られず、やることと言えば勉強。漫画やアニメは勉強に邪魔だからと取り上げられました。私が隠れてゲームや漫画を見ないように、そしてサボらないように自室に入れないという謎現象まで起きました。夜は廊下で寝させられ、扉に簡易警報装置までつけられる徹底っぷり。まあ、子供といえば遊びたいさかりなので、そりゃあもう憎かったです。あまりに憎すぎて、夜中に包丁を持ち出そうと思ったこともあります。幸いなことに、実行には勿論移していません。
憎しみが、自分に向きました。わかってはいたんです、親の言う通り、勉強していればそれでなんとかなるのだと。難しいことはわからないけれど、そうやっていれば少なくとも殴られはしないのだと。完全に被害者意識なのでしょうが、当時の私が抱いていた殺意は自分へと反転しました。手にした刃物は自らに向き、やがてリストカットを繰り返すようになりました。当時中学生。友人関係も放課後の付き合いが悪かったため、だんだん疎遠になり、いじめに発展しました。ただ救いだったのは私を遠巻きにして誰も暴力を振るってこなかったことです。ひたすらに無視され遠くから笑われる。それだけですんだのは幸福だったかもしれません。
精神科へ
リストカットを繰り返しても、それを両親に見せびらかすことは決してしませんでした。だって「両親のせいじゃない」からです。すべて「自分のせい」だったから。だから自分で自分を痛めつける。自分で自分を罰する。当たり前の構図がそこにありました。そのころからでしょうか、眠れなくなりました。夜中にすぐに起きてしまったり、悪夢を見たり。とにかくだめになりました。ある時、朝にぷつんと糸が切れました。
「私、精神科に行きたい」
朝ごはんも食べず母にそう泣きながら言いました。母は、本当はすべてわかっていました。私がリストカットをしていたこと、それを受け止めきれなかっただけで。だから私に一人で行かせました。病院へ向かう最中、偶然同じ学校の友人に電車で会いました。「どこへ行くの?」「ちょっと病院に」それだけで別れて、そのまま大学病院へ向かいました。
その後は覚えていません、ただ待ち時間がすごく長かったことくらいしか。ただ、うつ病であろうことは言われ、母へとそれを伝えたような気がします。
理解のきっかけ
精神科へ通いはじめて、父は良い顔をしませんでした。父は理系でしたが、根性で何とかなる、というような考えが当時はあったので、「根性が足りないんだ根性が」と平気で言っていました。まあ、確かに根性足りないところはあったと思いますが、それを私はうつむいてずっと聞くしかなかったことが悔しかったです。ただただ、辛いということしか感じなかった。眠れもしないし、体も思うように動かない。母へ何度も、死にたいと相談したし、本当に軽い首吊りを試みたこともあります。
だからでしょうか、母はあるとき、父に泣きながら言いました。
「この子、死にたいって言うのよ」
私も多分、泣いていたと思います。どうしようもない感情ばかりがぐるぐるしていて、それでも体が動かなくて、それでも何とかしようとして。結局行き着く先は「私が死ねばそれで良いのではないか」という持論。その時の父は静かでした。何も言わず、ただただ何も動かなかったような気がします。
それからです。両親は精神科の先生に、私の今の状況を聞くようになりました。うつ病というものがセロトニンという物質が出ない状態で、本人がどうしようもならないことも聞いたのでしょう、だんだんとうつ病への理解を深めてくれました。リストカットをした後に、包帯を何も言わずに巻いてくれるようにもなりました。罪悪感はあれど、リストカットというものは依存性があります。麻薬のようなものです。実際切っている間はセロトニンの反対の成分であるアドレナリン(興奮物質)が出ていたようで、切っていても痛みを全く感じませんでした。傷口は深くなるばかりで、カッターは意外と切れず、貝印のカミソリへランクアップしました。ただ、やりすぎは良くないもので、左の親指に麻痺が残っています。なんとなくカーンとカミソリを叩きつけたら場所が悪かったのか、腱を傷つけてしまったようです(当時は神経だと思っていましたが、最近人体学を独自に学んでいる友人から腱だったのではと指摘してくれて助かりました)。
いいかみんな。特に音ゲーマー。腱は大事にしような。手首の。指動かないといらっとくるぞ。気をつけろ。
サポートとは一体なにかわかっていませんが適度に何かを書いていくと思います