むしゃくしゃしていたあの頃にしか書けなかった文章がある
「毎日机に向かって、書き続けてください」
学生時代の恩師からそう言われてもう10年はたった。
最初の頃は毎日なにかを書いていたけど
日常生活が充実しだすといつのまにかやめていた。
不安でたまらなくて
自分の人生から目をそむけたくて
過去に牙を向いて
怠けてしまう自分に言い訳を探して
必死に戦っていた生きていたあのときにしか
書けなかった文章がある。
先日『花束みたいな恋をした』を鑑賞した。
人生で2回目の鑑賞。
正直、1回目は斜に構えていた。
”カルチャー”詰め込み映画で
「エモい」って一言で片付けてしまうような感じ。
雰囲気がある映画だなあというのが感想だった。
でも2回目は違った。
普通に泣いた。何に泣いているのか自分でもわからなかった。
彼らの葛藤とか成長がなんか沁みた。
ナレーションで語られる彼らの本音や
日記を読み上げるように語られる、すぐそこにある日常。
その小さく切り取った日常こそが ”エモ”かった。
自分の人生にはかすりもしない
映画の中だけの”エモい”フィクションだと思っていたけど
20代前半特有のあの葛藤は、自分の人生にもあった気がする。
別れを選ぶということは
楽しかった日々にも別れを告げることでもある。
でも捨てないと手に入らない幸せもある。
二人の勇気と強さ(特に「別れるべき」と一貫していた絹ちゃん)に
涙したのかもしれない。
私だって若かりし頃は
友達と月に1回集まっては
「定期報告会」という名の夢語り合いをしたこともある。
その友人は自分でビジネスを始めた。
そのとき通っていた美容室で
「友人が企業したんですよ」と話したら批判された。
それが余計に私の闘争心を掻き立てた。
よくわからん大人の人を紹介されて、
「お金持ちになるためのお金の使い方」を聞いたこともある。
石橋を叩きすぎて割るくらいに慎重な性格の私には
その世界に飛び込む勇気はなかったけど。
結局私もその友人も数年後には会社に入って働き始めた。
絹ちゃんの母親が言った
「社会に出るっていうことはお風呂に入るのと一緒」
というセリフ。
実際に社会に出て、頑張っていると気持ちが良くもなった。
あんなに闘志を燃やしていた相手、 ”大人”のいうことが
少し理解できた気がした。
私はレールに乗っている。
私はみんなと同じ波に乗っている。
経済的に少し余裕もできて、裁量ある仕事も任せてもらえた。
私ちゃんと人間できてるなって思った。
さて、それからというもの納得のいく文章が書けない。
以前のように小説を書こうとしても
自分の中の正論が邪魔をして、進まない。
フィクションでしか体験できないような
突拍子もないアイデアが何も思い浮かばない。
夜中、夢中で小説を書いていたら、
気がついたら朝の10時になっていたあの日を思い出す。
外が明るくなることすらも気が付かず
涙を流しながら、魂を込めて書いた小説。
恩師に提出した。
恩師は手を差し伸べてくれた。
私はその手を掴めなかった。
掴む勇気がなかった。
チャンスというのは不思議なもので
何度も頻繁におどずれるものではない。
人生に1度きり。
そして今ならすぐに掴めるその手を
掴めなかった過去の自分。
あの頃に戻れるなら、、、、
と考えることもあるけど、惨めになるだけだから
考えることをやめる。
あの小説は、いろんな意味で
私の「卒業制作」だった。