見出し画像

「子どもは必要か」悩んだ私の考え

私は子どもは要らないと思っていました。
子育ての大変さと、命の重みを感じていたからです。
しかし色んな心境の変化があって、結果として私は子どもを産むという決断をしました。


子ども=めんどくさい

私は中学時代に妹が生まれて、それから大学生になるまで一緒に過ごしてきました。
当初は、あまり育児に大変さを感じていなかったと思います。母がそれほど私に気を遣ってくれていたからなのか、単純に私が子どもだったからなのかは分かりませんが。

成長を見ていくにつれて、その我儘さにいら立ちを覚えるようになりました。
思い通りにならなければ泣き叫んで喚き散らす妹。それをなだめることしか出来ない両親や祖父母。見ていて嫌な気持ちになりました。
子どもだから仕方のないことですが、当時の私は道理にかなわないこの生き物が疎ましくて仕方なかったのです。
そんなことを思ってしまう自分のことも同じくらい嫌でした。「どうして可愛いと思えないんだろう」「私は冷たい人間なのかもしれない」と不安になりました。
大学生になって、母に「私は成人になった今でも妹をちゃんと可愛がれないから、自分が子どもを持つなんて無理かもしれないわ」と話したこともあります。母には「妹をみるそれと、自分を子をみるそれは違うよ。私だって、よその子もみんな可愛いなんて思わないし。自分の子は特別だから、きっと○○も可愛いって思えるはずだよ」と言われましたが、その時は自信を持てませんでした。

大人になってみて感じた家族の尊さ

大学生から社会人になって、初めての一人暮らしをして、働くということのやりがいを感じたりして。経験値を積んでいくたびに感受性も育っていったと思います。
親元を離れてみて初めて感じる母の偉大さや大変さ、そして有難さがありました。洗濯物も料理も掃除もめんどくさすぎる!自分一人の分でもやる気起きないのに、母はこれを家族分こなして、料理も何皿も出してくれて…
今まで当たり前に享受してきたことがこんなに大変なことだったなんて。
働きながら私を何不自由なく育ててくれた母に、大きな愛と感謝の気持ちが募りました。

社会人も数年経つと、同年代の友人たちが結婚したり、子どもをもったりするニュースが入ってきます。家族を持つことの幸せと同時に、それを守っていくことの大変さも身近に感じました。
他人同士が強い結びつきを持って家族になること。命を授かること。大人になってみて、その尊さに気づいてきたように思います。未婚の身でも、娘として育った経験がそう思わせました。私の母がこれまでどんな思いで私を育ててくれていたのか。働くこと、生活することの大切さを感じられるようになったからだと思います。
学生時代から見ていた恋愛映画や家族映画も、改めて見直すととんでもない
涙が出るようにもなりました。笑

命を授かることの恐れ

しばらくして今の夫と結婚をしました。
普通の夫婦生活を数年過ごし、気づくと30歳という節目になっていました。「子ども、欲しい?」
誕生日を迎えるタイミングで、夫と自然にそんな話になったように思います。
私はまだ迷っていました。
この人との間に子どもがいたらきっと楽しいんだろうなとは思えました。が、子どもへの苦手意識と命の責任がまだ重くのしかかっていました。
自然に身を任せようと過ごしてきた今日までで子どもはできなかった。もし今後子どもを望むなら、いま妊活をするべきなのかもしれない。だけど、それだけ強く子どもを望む気持ちが私にあるのか?やはり自信がありませんでした。

夫とも話し合いをしました。夫は、「子どもがいたらいいなとは思う。だけど子どもがいないことが○○との関係に影響することはないよ。子どもができないということになっても、それで離婚することはない。俺は○○とこれからも一緒に生きていきたいから」と言ってくれました。
とても嬉しかった。私も、この人とこれからも一緒にいたかった。
だから少し時間をもらって、真剣に自分の気持ちを向き合うことにしました。

子どもをもつ小さなきっかけを集めて

色んな人に相談してみました。母、友人、先輩、子どもを持つひと、持たない人。自分が尊敬する人たちに「子どもを持つことってどう思う?」と話をしてみました。

「子どもを育てていくのはそりゃ大変だよ。放っておいたらすぐ死んじゃう生き物なんだから。毎日不安だし怖いよ。夫がいるから大丈夫なんてこともないしね。ケンカ増えたりするし。とにかく、本当に大変」

「お金もとにかくかかるよね(笑) 生活ががらりと変わる。自分もそばにいる夫も変わる。二人だけだった頃とは関係性が違ってくるかな」

「子どもが可愛く思えない日もたくさんあるよ。ただでさえ時間も余裕もないのにいうこと聞かないし仕事増やされるしさ。主婦が虐待してましたってニュースよくあるじゃん。ひどい話だけど、気持ちは分かっちゃうんだよね。追いつめられることたくさんあるもん」

命を育てることの重み、苦しみは絶対にあるものだと皆に言われました。
でも、必ず最後に皆が言うことは、「産んでよかった」ということでした。

「辛いことはあるけど、産まなきゃよかったとは思ったことない。この子がいてくれる幸せに敵うものはない」
「いなくても幸せだったかもしれない。だけど、私は子どもがいる人生が選べるなら選ぼうと思った」
「誰かを無償で愛すこと、無償で愛されることの喜びを感じることができた」
「夫婦って、婚姻関係って書面は交わしても結局は他人。でも、親子って繋がりが明確にあるよね。絶対に切っても切り離せない関係って、親子なのかもって思った。何があっても私にはこの子たちがいるって、気持ち的にすごく心強いなって」

どれが明確なきっかけになったかは分かりません。
色んな方の意見や体験を聞く中で、少しずつ私の中で、手に出来るかもしれない幸せや、楽しみにできる未来への期待が大きくなっていったように思います。
命を育てることは、怖い。だけど、ちゃんと重みを感じることができている私の命への受け止め方は、少なからず子どもを幸せにできる力になるんじゃないのかと思えるようになりました。

子どもが必要であるとは気軽に言えない

私は悩んで悩んで、夫ともぶつかりながら、子どもを産むという答えをだして、ご縁があり妊娠をすることができました。

子どもを産むべきとは思わないし、子どもがいるいないで幸せを量ることはできません。気軽に産むことを勧めたりもできません。
母や夫に言われたことで、
「他人の子と自分の子は違う」
「母はなろうとするものじゃなく、なっていくもの」
という言葉がありました。実際いま妊娠をしてみて、やっとこの言葉が腑に落ちるようになったのですが、でもこれって、自分がなってみないと分からないことだなと思っています。子どもを迎えるかを悩んでいる相手にこれを言ったとて理解はできないだろうし、正直私も「お前に私の何が分かるんだ?」と苛立ちを感じたりしました。

同じように悩んでいる方がいるならば、もしこの記事を読んでいるならば、「正解はないよ」ということだけお伝えしたいです。
ただ、悩むということはきっと、授かりたいという気持ちが少なからずあるからだとも思うんです。自分の人生を諦めるような決断はせずに、いろんな未来を前向きに想像してみてほしいです。あなたが選んだ答えが正解になるから。

わたしはまだ現在進行形で新しい悩みも沢山抱えていますが、それだけ大切にしたいものがあるということだと考えて、自分の人生に向き合っていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?