叔父さんの話。
先日、親戚の叔父さんが亡くなった。
入院しているというのを聞いていたから、驚かなかったが、もう会うことができないと思うと、棺に入れられた眠っているような顔を見て、悲しくて涙が出た。
とはいえ、わたしの叔父さんとの思い出は、幼稚園、小学校の頃のお正月かお盆時期の思い出しかない。
「親戚で集まる機会に会える人」だった。
叔父さんは料理人をしていたので、お刺身を薔薇の形に飾って出してくれたのがいい思い出。
ただの食べるものであった食が、手を加えることで食べるのが楽しくなり、とても感動したことをすごく覚えている。
夏のお祭りでは、欲しかったポケモンの風船を両親には買ってもらえず帰宅して駄々をこねていたら、買いに行くか?と声をかけて連れて行ってくれたりした。あの時は本当に神様かと思ったしピカチュウの風船を手に入れて最高な気持ちだった。
病院に入院してると父から聞かされた時、会いたいと言ったのだけれど、なんとなく濁されて会うことができず仕舞いだった。
会いたくないと叔父さんが言ってたのか、父の判断だったのかは定かではないけれど。
そのため、最後に叔父さんに会ったのは、数年前にもの凄ーーく久しぶりに、祖父の何回忌かの時にお寺に行った時に会った時ということになった。
あの時、話しかけたいなぁと思ったが、話題が見つからなくて声がかけられず、ただ、お寺で話を聞いて、お寿司を食べに行って。
歳を重ねた叔父さんが前よりも小さく見えた気がしていた。
お酒が好きで、お酒が入ると饒舌になっていた叔父さん。
料理人をしている叔父さん。
結婚はしておらず、ずっと独身だったそうだ。
昔、家から出て行って祖父との仲があまり良くなかったらしい。
ここまでは、知っていたこと。
叔父さんのお母さんは早くに亡くなって、妹である今の私の祖母がお嫁に来ることになって、
まぁ、そりゃグレるよねぇ…家飛び出しちゃうのもわかるわぁ…なんて話が飛び交っていた。
事実は知っていたけれど、あんまり深く考えていなかった叔父さんの人生。
お酒とタバコが大好きで、中学時代の同級生とよくお酒を飲んでいたらしい。
生活保護を受けて生活していたらしい。
意外とすぐ近くに住んでいたらしい。
今更知る、叔父さんの人生を事実や人から聞いて、ああ、なんで本人から知ることが出来なかったんだろうかと後悔した。
あの時話しかけて、「元気ですか?」「昔あんなことしてくれたの嬉しくて覚えてるんだよね」「最近何してるの?」なんて聞いてみれば良かったな、なんて、今更後悔して。
"ご遺体"になった叔父に、手を合わせて、
あの時はありがとう。と伝えた。
タバコとお酒と、従姉妹が折ってきてくれた沢山の折り紙の鶴を添えて、お別れをした。
後悔先に立たず。
話しかけたかった。
会話をしたかった。
お礼を言いたかった。
叔父さんの経験談や知識をもっと知りたかった。
想っていて伝わることもあるけれど、
言葉にしなければ、行動にしなければ伝わらない想いって沢山あるよなぁと、そんなことを思いながら。学びながら。
同じ後悔はしたくないなぁ、と思った。
形にしないと残せないから、ここの場で。
叔父さんへ
ありがとう。またね。