
しんぺいです その1|しんぺい
ぐんと寒くなってきました。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
おむすびひろばのパントマイム担当、金子しんぺいです。
今回は僕の自己紹介です。小っ恥ずかしいのですが、書いてみました。
自分の事を考えれば考えるほど、家族のこと、そして何より「父と立ったステージ」の思い出が僕の中で大きいことが分かりました。
●生まれと育ち
僕は東京都府中市生まれ。
府中市のイメージはと言うと、
・いつも祭りをしてる(気がする)。
・競馬場のおっちゃんがうろちょろしる(赤ペンが目印)。
・お客さんのいないガラガラのTOHOシネマズがあります(オススメ)。
そんな府中で育ちました。
今でも府中は大好きです。(お願いだから変に都会化しないで欲しいよ!)
●映画と父
両親は映画が好きで,僕によく映画を観せてくれました。
特に父は映画好きで,自宅に地下室を作り、そこに映画館を作ったほどです(地下室には父の趣味のギター・レーザーディスク&DVD・古時計に埋め尽くされており、昔も今も父が地下室を占拠している)。
そんな父に映画を観させられまくった幼少期。
僕が4歳の七夕では、
「僕が死んだらロボコップにしてください。ダメならターミネーターでも良いです。」
と短冊に願いを書くほどでした。
・・・僕自身が今、“父親”になって思うのですが、4歳児に『ロボコップ』と『ターミネーター』を観せる父親って・・・クレイジー!
映画の中のヒーローに憧れて、まねっこばかりしていた少年時代でした。
●はじめてのステージ
先ほど「ギター」という言葉がちらっと出ましたが父の趣味はギターで、更に「親父バンド」をやっています。今でも。
ベンチャーズのコピーバンドをやっていて、月に一回くらいはライブハウスなどで演奏、隙あらば家でギターを弾いています。今でも。
僕が小学5年生の頃、どういう経緯だったか全く覚えていないのですが、僕が父のステージに立つことになったのです。
演奏することになった曲は当時、僕が好きだった加山雄三の「夜空の星」(当時の友達はこの曲を誰も知らなかった!)。父が水色の小さいエレキギターを買ってくれて、一緒に家で練習していました。
当時から目立ちたがり屋な性格で、僕は人前でパフォーマンスをするのは嫌いではなく「わーい、加山雄三になれるぞ〜。」くらいにしか思っていなかったと思います。
本番の日。
父のバンドのお客さんでしょうか、客席にはたくさんのお客さんがいました。
僕は母と兄と客席で自分の出番を待っていたのですが、ステージを前にして「自分があのステージに立つんだ・・・。」と思うと、緊張し始めてしまったのです。
父のバンドの演奏が始まり中盤に差し掛かった頃、遂に僕の名前が呼ばれました。僕は自分のギターをしっかりと持って父が待つステージに歩いて行きました。
とっても緊張したのを覚えてます。
今でもそうなのですが、僕は極度の緊張症です。その時は心臓の音がお客さんに聴こえてしまうんじゃないかと思うほど緊張していました。
MCの人が曲と僕の紹介を終え、いざ演奏です。
僕の後ろには父のバンドメンバーニコニコして僕を見ています。
覚悟を決める間もなく、ドラムの人がカウントを始めました。
「1!2!3!4!」
「もうどうにでもなれ!」と僕は“エイヤ!”とギターを思いっきりかき鳴らしたのです。
ジャーン!
音を出したとき、後ろから「何か」を確かに感じました。
それは例えるならば、風。
心地よい風。
あの感覚、今でも忘れることができません。
ドラム、ベース、そして父のリードギターが僕の拙い「音」を支え「音楽」にしてくれた瞬間でした。
とにかく、気持ちが良かった。
そこから緊張なんて忘れて加山雄三になりきって、ギターを弾いていました。
演奏を終えた僕にお客さんが「笑ってギターを弾く姿が、若い頃の加山雄三にそっくりだったよ。」という言葉が本当に嬉しくて、今でもよく覚えています。
あの時に味わった爽快な気持ち良さとお客さんが喜ぶ姿が忘れられなくて、今もステージに立っているように思えるんです。
不思議ですね、ロボコップになりたかった少年が、1日の出来事で目指すものが大きく変わるわけですから。
そしてあれやこれやあって、おむすびひろば結成へ・・・。
そのあれやこれやはまた今度に。