シェアアトリエの原点 123ビルヂング(千葉県市川市)
千葉県市川市。omusubi不動産が拠点を構える松戸市の隣に位置し、都心へのアクセスも良いことから住宅街として発展してきた都市の片隅に、どっしりと佇むレトロなビルがあります。そのビルの名前は、123ビルヂング。
2015年6月から、omusubi不動産がビル一棟丸ごとシェアアトリエ・クリエイティブスペースとして運営しています。
今回は入居者である菊地辰太さん、島本直尚さん、吉野美智恵さん、また立ち上げに関わられ、過去にはご自身も入居されていたつみき設計施工社の河野直さん、omusubi不動産の殿塚というメンバーで、123ビルヂングの立ち上げからこれまでについてお話を伺いました。
「空き家でビール」からのスタート
−まずは、123ビルが始まったきっかけについて教えてください。
殿塚建吾(以下、殿塚) オーナーさんから「リノベしてシェアハウスにしようと思うので、運営をやってもらえないか」と問い合わせをいただいたことですね。色々とお聞きしてみたら、様々な条件からシェアハウスは難しいのではないかと感じて。ちょうどomusubi不動産でシェアアトリエの運営を始めた頃だったので、「このビルもシェアアトリエにしませんか?」と提案したんですね。そうしたら興味を持っていただけて。
ただ僕たちは松戸が拠点で、当時は市川にあまり知り合いも多くなかった。それで、市川を拠点にしている直くんたちに声をかけたんです。
河野直さん(以下、河野) まずは一緒に物件を見に行きましたね。そうしたら本当にカビだらけで。(笑)当時の3階は幽霊が出そうな感じでしたよ。
殿塚 俺、ボロボロの物件に慣れちゃったせいか、あんまり覚えてないんだよね。
河野 そうそう、大事なポイントとして、殿塚さんは古い物件を見すぎて耐性がつきすぎているということがあります。(笑)
一同 笑
───河野さんは、そんなビルを見てどう感じられましたか?
河野 僕は「できた方がいいに決まってる」って思ってましたね。当時も今も、僕が知っている限りでは市川にシェアアトリエって他になくて。だったら乗らない手はない、やるに決まってる!って感じでした。
omusubiさんとはそれまでに何軒か一緒に手がけてたし、ちょうどその頃、他にもシェアアトリエを仕掛けてたんですよね。
殿塚 8LABという二世帯住宅を活用した物件と、この123ビルヂングですね。両方ともomusubiとして初めて運営するシェアアトリエだったんです。だから僕らも必死でした。
河野 最初はアドバイザーチームを作って。自転車屋をしつつ様々な地域の企画に携わっているDEPOTの湊誠也さん、築地と市川で90年以上続く海苔屋さんをやっている伊藤信吾さんたちに入ってもらいました。
殿塚 皆さんに「周りに興味を持ちそうな人が何人かいるかもしれない」って言ってもらえたので、大家さんに1日だけイベントをさせて欲しいってお願いしたんですね。それが「空き家ビール」っていうイベント。内覧会をして、集まってくれた皆さんとビールを飲むっていうシンプルなイベントでした。
河野 でもこのイベントはすごく重要だったんです。色々な人が声をかけてくれて、結局20人くらい集まった。
そこで起きたのが「赤信号、みんなで渡れば怖くない理論」。(笑)ビールも飲んで盛り上がってるから、「いいじゃん!やってみようよ!」みたいな声がそこかしこで上がったんです。僕にとっても、このビルで人の繋がりが生まれる瞬間っていう意味でも、すごく大事な時間だった。
殿塚 そこで、3組くらい「借りたい」って手が上がったんです。それを大家さんに伝えたら、「シェアアトリエの方向でお願いします」って言ってもらうことができました。
ちょうど良い緩やかさがあるコミュニティ
───菊地さんは、そのイベントがきっかけで入居されたそうですね。
菊地辰太さん(以下、菊地) その頃はまだ修行時代というか、自転車のフレーム制作を教わっていた時期でした。制作場所が欲しかったので、自分のスペースも借りようとしていた直くんに、壁一面を使わせて欲しいってお願いしたんです。
その半年後くらいに、つみきが123ビルを卒業して、もっと広いスペースを借りることになって。それで自分がスペース全体を借りることになりました。
───その後、さらに隣の部屋も借りられたんですね。
菊地 隣の部屋は、123ビルが始まった頃からアイシングクッキーの作家さんが使っていたんですが、通うことが難しくなって退去されて。そこから何人か入居を検討されたり、実際に入居されたりしたんだけど、半年くらい空いたままになっていたんです。
元々うちは自転車のフレーム制作工房としてスタートしたんですが、2018年からお店も併設しました。徐々にお客さんもついてきてくれて、商品や設備も増えてきていたところだったので、とのさんに相談して、隣の部屋も含めて借りることになりました。
島本直尚さん(以下、島本) 123ビルヂングビルはあまり立地がよくない場所だけど、かなりの頻度で菊地さんのお店にお客さんがいるのを見かけますよ。
河野 どこから来られる方が多いんですか?
菊地 元々は市川のお客さんが多かったけど、今は船橋や津田沼、松戸、都内から来られる方が多いですね。今お店で扱っている自転車のブランドは、他で取り扱っているお店が少なくて、そのブランドをめがけてきて下さる方もいます。
あとはご近所さんかな。小学生とかもどんどんお店に入ってくるし。
吉野美智恵さん(以下、吉野) 本当によく子どもたちを見かけるね。駄菓子屋みたいな感じで。
菊地 お店の前に自転車が置いてあると、子どもたちが眺めたりしてるんですよね。そういう子を見かけたら、「かっこいいだろう〜!」って話しかけたりしていて。
そんなやりとりをしていたら、お店が閉まってても開けて入ってくるような関係性になっていますよ。(笑)入居した頃に出会った子はもう中学生になって、前のように気軽に入ってくることはなくなったけど、挨拶はしてくれてね。
島本 そういう関係性が築けているって、最高だよね。
───島本さんは、ゲーム制作を行う「itten(イッテン)」としての活動をされていますが、入居された頃は違ったそうですね。ゲームを作り始めたきっかけは何だったんでしょうか?
島本 ここを借りた当初は、デザインの仕事をする傍ら、知り合いと個人のプロジェクトを色々やっていたんです。123ビルも、そういう個人のプロジェクトをやるためのスタジオとして借りた部分もあって。その一環で「ゲーム作ってみようか」って始めたことが、たまたま当たったんです。
河野 すごいですよね。島本さんたちが作った「トーキョーハイウェイ」っていうゲーム、韓国やアメリカでも見かけましたよ。
島本 ありがたいことに海外でも賞をいただいて。いつの間にかゲーム制作がメインになりましたね。
───吉野さんも、インドの布製品の展示販売というお仕事柄、インドや海外に行かれることも多いですよね。123ビルでは、どんなお仕事を中心にされているんですか?
吉野 基本的に、商品や在庫は全てここに置いているので、色々な作業をしています。インドから製品が届いたら、自宅でメンテナンスをして、ここに運んできて、アイロンをかけたりタグをつけたり、写真撮ったり。デザインや企画の仕事も、全部ここでやっています。
───皆さん、123ビルに入居されたことでどのように活動が広がっていったのでしょう。
菊地 僕にとっては123ビル自体が、”自分の居場所を作る空間”みたいな感じですね。自転車が好きで、街でみんなと遊ぶことも好きで、そのための場所としてお店を始めたところがあって。だから自分のお店も、大通りの目立つ場所ではなくて、こういう地域の中にある場所でやりたかったんです。
今も、自分が目指していたような、お客さんや仲間同士の場所としてお店が継続できているのは、このビルだからかなって思っていますね。
あとは、この場所がシェアする場で、色々な人がいてくれる良さも感じています。多分、僕と島本さんだけだったら、こんなに片付いていなかったんじゃないかなと…。
一同 笑
島本 だいぶ吉野さんたちに助けられています。(笑)
菊地 でも「ルールを守らなくちゃ!」っていうような、堅苦しさはないんですよね。
かといって、「必ず一緒にイベントをやりましょう」みたいな感じもないし。123ビルはちょうど良いバランスかなと思いますね。
殿塚 123ビルは、omusubiが運営しているシェアアトリエの中でも、ずっと借りてくれている入居者さんが多いんです。あと、ちょっと特殊なのが、他のアトリエだと誰かが退去されたら新しい方が入れられるんですが、123ビルの場合は、元々いた人たちがそこも借りてくれて、それぞれのスペースが拡大するっていう現象が起きてるんですね。
ちょっと話がそれるんですけど、123ビルヂングって名前は、直くんがつけてくれたんだよね。
河野 そうそう、1歩目2歩目3歩目っていうところからきているんです。ホップステップジャンプ的な。
殿塚 その名前をつけた当時、今ここで起きているような風景をその通りイメージしていたわけではなかったけど、この様子は一つの理想というか。間違いなく、嬉しい風景の一つですね。
吉野 私は、自宅とは別で、仕事の場所が近くにあるっていうのがとてもありがたいですね。自宅と行き来している間に、気持ちの切り替えができる。
それから、入居する時につみきさんにお願いして、一緒にスペースを改装してもらったんです。そうやって自分の居心地の良い空間を作ったから、愛着もある。だからここ以外の場所を探す気は今のところなくて。極力長く使わせてもらいたいと思ってます。
島本 実は僕、都内でもスペースを借りてるんですよ。そこは都内の人が集まるのにちょうど良いんですけど、スプレーで塗装したり、レーザーカッターを使って試作したりっていうことは、なかなか難しくて。そういう意味でも、ここはちょうどいいんですよね。
殿塚 直くんはどう?123ビルは卒業したけど、著書とかでもいつも123ビルを紹介してくれるよね。
河野 僕たちがやっている「参加型リノベーション」はニッチなビジネスなこともあって、始めは、関東だったらどこでも行っていたんですよ。だけど、やっぱり大変で。
そこで、ある時「これからは自分たちの街を中心にやっていきます」って宣言したんです。実は、123ビルのプロジェクトとそう宣言した時期が重なっていて、市川にある他のコミュニティとの結びつきも強くなった。今の仕事のスタイルのきっかけになったのがこの場所でしたね。
個々は自立し、緩やかに繋がって、続いていく場所
───最後に、皆さんの「123ビルが今後こうなったらいいな」っていう将来像を聞かせてください。
島本 123ビルヂングビルって、「こうなったらいいな」というより、良い意味で「こうなっちゃった」っていう感じなんだよね。
菊地 コロナの前は「123マーケット」のように、お客さんを呼ぶイベントをやったりもしたけど、今は店舗ではなく制作場所として使っている人も多いし、場所として人を呼び込むことを積極的に求めていないところもあるのかなと感じますね。
島本 逆にいうと、現状維持じゃないですけど、今の程よい感じのバランスがいいんじゃないかなと思いますね。
河野 すごいですね。展望を聞いたら「現状維持」って声が出てくる場所もなかなかないですよ。
吉野 マーケットっていうほどじゃなくても、ちょっと人を呼ぶくらいの軽いイベントはしてもいいかもしれない。ある程度のオープンさも保てるようにしておこうって思っていると、また少し心構えというか、気持ちも変わるかなと。
島本 確かに、たまに友達とか来ると、自分のスペースだけじゃなくて、ビル全体を紹介したくなるんですよね、「見てみて」って感じでね。
島本 東日本大震災以降、シェアの空間やコミュニティのようなものができ始めて、今10年くらい経ちましたよね。この間に、確実に123ビルのような場所も増えたけど、続かなかったところも多くある。123ビルに限らず、そうしたシェアの場所が今後どうなっていくのかは気になりますね。
河野 123ビルの場合は、入居者の皆さんそれぞれのビジネスが、それぞれのやり方で確立しつつ、でも地域との繋がりもあるっていうのがポイントのような気がしますね。緩やかに共同体として成り立っている一方で、それぞれに自立もしているというか。
殿塚 僕もシェアアトリエを始めた頃は、色々イベントをやって盛り上げて、みたいに考えていたんです。でも、徐々に皆さん個々の活動が忙しくなって、共通のイベントや催しをやることが難しくなって。葛藤もありましたけど、最近はむしろ良いことだなと思っているんです。
あと、「最初に廃墟で飲み会をする」っていうやり方は、僕らの鉄板になっていて、どこの物件でも大体廃墟で飲み会やってから始まるんですよ。その根幹には123ビルの体験があるなと思って。やっぱり10年間皆さんが続けてくださっていることも含めて、原点のような場所なんだなと改めて感じました。
河野 そうだ、わかった、ここの展望。ビルの名前を「456ビル」にするのはどうですか。
島本 それは手続きとかが大変そうだから、またの機会にしましょう。(笑)
一同 笑
菊地辰太(Bakansucycles)
20代はアクセサリー作家、アースデイちばの運営をしたり、ジャムバンドをアメリカまで追いかけたりもしてました。
20代後半からメッセンジャーを経験し、自転車店にも勤務、2012年より以前から憧れていた自転車のフレーム製作をBYOBFactoryTokyoにてスタート。 123ビルヂング オープン時に自転車フレーム製作の作業場として入居。 2018年11月にオリジナルのフレーム制作の工房兼ショップとしてBakansucyclesをオープン。 フレームのオーダーはもちろん、修理やカスタムなど皆さまの楽しいサイクルライフをお手伝い出来るお店を目指している。
河野直
1984年広島県三原市生まれ。京都大学大学院修了後、26歳の時にどこにも就職することなく、「つみき設計施工社」を起業。 「ともにつくる」を理念に、住む人と作る人が、ともにつくる「参加型リノベーション」を展開。市川市を中心にDIYワークショップを500回以上実施。2021年東京大学建築生産マネジメント・連続レクチャー「つくるとは、」ディレクター。2023年一般社団法人The Red Dot Schoolを瀬戸内・佐木島にて設立し、建築デザインビルド教育を国際的に展開。著書に「ともにつくる DIYワークショップ」「建築をつくるとは」等。SDレビュー鹿島賞・市川市景観賞など国内外での受賞多数。3児の父。
島本直尚
合同会社itten代表/ゲームデザイナー
東京造形大学卒業後、企業やまちづくりのためのワークショップやイベント企画制作業務の傍ら、アナログゲームの制作を開始。2016年にittenを設立し、「TOKYO HIGHWAY」などテーマ性の高い作品を国内外で発表、2019年スウェーデンのゲーム賞ゴールデンダイスを受賞。2021年には「ファンブリックシリーズ」を展開し、国内外のデザイナーとのコラボレーションを推進。さらに、「これはゲームなのか?展」や野外ゲームを考案し実践する「野ゲー」など、実験的な取り組みも意欲的に行っている。
殿塚建吾
omusubi不動産代表/宅地建物取引士
1984年生/千葉県松戸市出身
中古マンションのリノベ会社、企業のCSRプランナーを経て、房総半島の古民家カフェ「ブラウンズフィールド」に居候し、自然な暮らしを学ぶ。震災後、地元・松戸に戻り、松戸駅前のまちづくりプロジェクト「MAD City」にて不動産事業の立ち上げをする。2014年4月に独立し、おこめをつくる不動産屋「omusubi不動産」を設立。築60年の社宅をリノベーションした「せんぱく工舎」など多くのシェアアトリエを運営。空き家をDIY可能物件として扱い管理戸数は日本一。2018年より松戸市、アルス・エレクトロニカとの共同で国際アートフェス「科学と芸術の丘」を開催。2020年4月より下北沢BONUS TRACKに参画し、2号店を出店。田んぼをきっかけにした入居者との暮らしづくりに取り組んでいる。
吉野美智恵(kocari)
アパレルでの企画などを経て、アジアの工芸品を扱う会社でインド・ベンガル地方のカンタ(刺し子)と出会う。その力強い美しさに感動し魅了され、デザインブランド『kocari』(コカリ)を設立。
「kocari」とは、アイヌの言葉で「包む」を意味し、インドの手で作られたモノたちを、作り手の想いやその背景にあるものも一緒に包んで大切に届けたい…そんな気持ちが込められています。
Photo・Text=原田恵
※今回のインタビューにはタイミングが合わずご出席が叶わなかったものの、2024年11月現在、他にもkamebooks(書店)やchooke(シルバージュエリーの工房)が入居中。
また取材の少し後にはomusubi不動産で現在連載中のコロカルでも123ビルヂングの記事を掲載しました。よろしければこちらもどうぞご覧ください。
https://colocal.jp/topics/lifestyle/renovation/20240829_166060.html