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コミュニティの“支え”になる拠点を地元に RIM | 千葉・松戸市

松戸市内でも落ち着いた雰囲気が漂う、常盤平地区。一帯は緑に恵まれ、常盤平団地を南北に抜ける常盤平けやき通りは「新・日本街路樹百景」に、東西に抜ける常盤平さくら通りは「日本の道100選」に選出されている。そんな風格ある街並みに、2023年9月、地域に根ざした交流拠点を目指す「RIM(リム)」が誕生しようとしている。「常盤平に賑わいを生み、地域の方々にも愛される場所になってほしい」。そう話すのはRIMのオーナーであり、現役の競輪選手である山中秀將さんだ。山中さんは、2009年デビュー以降、ダッシュ力を武器に数々のビッグレースで優勝を飾ってきた。輝かしいキャリアを持つ競輪選手が、なぜ常盤平でオーナー業を始めるに至ったのか。そして、この場所にどんな未来を描いたのだろうか。今回は山中さんをはじめ、RIMのデザインを担当した建築士・近藤さん、プロデュースを担当したomusubi不動産・河野を交え、お話しを聞いてみた。


――山中さんは松戸市常盤平出身とのことですが、まずは子ども時代のお話から教えてください。

山中秀將(以下、山中):今も昔も常盤平は公園がたくさんあるのが特徴です。なので、子ども時代はがむしゃらに遊び回っていました。木登りをしたり、かけっこをしたり……。野球ボールが団地の3階に入ってしまったときなんて、スパイダーマンのようにベランダをよじ登っていましたよ。

▲RIMのオーナー・山中秀將さん

――その頃から自転車もお好きでしたか?

山中:振り返ると、自転車は移動手段であり、遊び道具でもあったので、ずっと乗り回してきました。特にマウンテンバイクを買ってもらったときは、常盤平の「やまぶき公園」でこんもりとした小山を駆け上がって飛んでいました。

――BMX(自転車競技)みたい……!!

山中:時には自転車の下敷きになってしまい、頭を二ヶ所、縫うこともありましたが……。子どもには公園でいっぱい遊んでほしい反面、そんな遊びは絶対にやらせたくないと思います(笑)。

――山中さんの脚力はそのときに養われたのかもしれませんね。競輪選手を目指した理由というのは?

山中:そもそも家が貧しかったので、大学に行く選択肢はありませんでした。だから高校卒業後は自分で仕事を探さなければと思っていたんです。そう考えていた矢先、父親から突然「競輪選手になれば?」と言われたんですよね。おそらく冗談半分だったんでしょうけど、僕はなぜか真に受けてしまって。もちろん、ツテもコネも皆無。そこで、まずは中野浩一さんの「競輪選手になるには」という著書を読み、競輪学校を目指すことにしたんです。

――そうだったんですね。競輪学校を卒業後、晴れてプロの競輪選手になられました。数々の優勝を重ね、輝かしいキャリアだと思うのですが、2022年に今回の物件「RIM」を購入されました。どんな背景があったのでしょうか?

▲改装前のRIM

山中:23歳ぐらいになると、レースでも勝てるようになり、半年で10回ぐらいは優勝していたんじゃないかな? レースに出場すれば、まとまったお金が入る。それが当たり前な気持ちになっていましたね。ただ、当時の僕はお金の使い方が全くわからず、昔の芸人さんじゃないですけど “宵越しの銭は持たない!” みたいな生活を送っていまして。

――浪費しても、また次のレースで稼げばいいと?

山中:はい。本来は生活に必要な物を買ったり、将来のために貯蓄することが自然なんでしょうけどね。極め付けに妻と結婚したとき、お揃いの時計を購入したのですが、そのときに僕の貯金は0になりました。妻には頭が上がらないです(笑)。

――理解のある奥様で良かったですね(笑)。では、派手な生活から一変、いつからオーナー業を考え始めたのでしょうか?

山中:結婚を機に少しずつ将来の事を考えるようになったんです。言い換えると、競輪以外の仕事にも興味が湧いてきたんですよ。その1つが不動産でした。言わずもがな、不動産は無知だったので、まずは不動産のポータルサイトを眺めたり、本で勉強を始めたんです。たぶん、不動産の本だけで2〜30冊はあるんじゃないかな?  

山中:また決定打になったのは、2021年の落車による怪我です。今年でプロ15年目を迎えますが、僕はデビューしてから7〜8回は骨折しているんですよね。正直、2021年に怪我を負ったときは、競輪選手を引退しようと考えました。現に、療養期間の5ヶ月半のうち、最初の3ヶ月は何もしていませんでしたから。

――スポーツ選手は引退後のセカンドキャリアも大事ですもんね。

山中:そうですね。療養期間中は子どもが生まれたこともあり、自分はいつまでやっていけるのだろう、また怪我したらどうしようなど、不安も大きかったです。でも、同時に「何かを残すならば今しかない」とも思ったんですよね。それまでは漠然と不動産の勉強をしていましたが、2021年の怪我があったからこそ、購入の決断ができたんだと思います。

――そんな山中さんを見守ってきた奥様。正直、物件の購入についてはどう思われましたか?

▲少しシャイなしっかり者の奥様

奥様:私はずっと会社員で、どちらかというと貯金や節約に重きを置いてきました。競輪選手の収入は、言ってしまえば不安定です。だから、1年分の貯蓄はないと無理だと思っていたので、最初は購入に反対していました。というより、本気で買うとは思っていませんでしたね。しかし、何冊も本を読んだり、勉強している主人を見て “本気なんだな” と感じ、色々と口出しするのをやめました。そのうちに、私の疑問に対しても完璧な回答が返ってくるようになり「こんなに詳しくなったなら、もう何も言えないな」と半ば諦めたような感じです(笑)。今は主人を信用して見守っています。

――葛藤があったなか、最後は「信じてやってみよう!」の精神、素敵です。続いて、物件はどのエリアで探されていたんですか?

山中:千葉県内をはじめ、東京、茨城、埼玉…とにかく最初は近場の物件を闇雲に探していました。しかし、良さそうと思う物件に出会っても、躊躇してしまって。というのも、やはり自分が知らない土地では、踏ん切りがつかなかったんです。その結果、自分は生まれ育った場所でしか購入できないんだと開き直れましたよ。

――そこで、RIMの物件に出会ったわけですね。

▲1970年に建設。前のオーナーさんは父親から相続したとのこと

山中:そうですね。「地元に貢献したい」というと大袈裟ですが、せっかく思い入れのある常盤平で物件を購入するなら、地域の方々と一緒に活用できる場所にしたいと思うようになりました。少なからず、前のオーナーさんには僕が「地元出身」ということを考慮して売却いただきましたから。

購入する前、僕よりも高い金額で買いたい人もいたそうですが、その人はお断りしたそうで。きっと、お金ではなく、この建物の活用方法だったり、地元の縁だったり、そういった想いを大切にされていたのだろうなと思います。

団地が建設され、「金ケ作駅」が「常盤平駅」に代わり、変遷していった常盤平。きっとさまざまな思い出も詰まっていたと思うんです。だから僕も、その気持ちを引き継いでいくことが大事だと強く思います。

――脈々と受け継がれていくでしょうね。ちなみに、物件を内見したときの第一印象はいかがでしたか?

山中:50年が経っている割に外観はまだイケるんじゃないかなと思いました。ただ、実際に中へ入ったときは、どうしたらいいんだって(笑)。素人目にも「参ったな〜」と感じましたし、妻も直視はできなかったようです。でも、そんななかで強く印象に残っているのは河野さんの一言。最初に入ってきたとき「全然、綺麗ですね!」と仰っていたんですよ。 “あ、大丈夫なんだ” と安心しましたし、是非お願いしようと思えた瞬間でしたね。

▲RIM現地にて「全然綺麗ですよ」と話す河野(左)、山中さん(右)

――心強い!! それではomusubi不動産との出会いを教えてください。

山中:正直、全てを改修するほどの費用はかけられないし、そもそも回収もできなかったら意味がないじゃないですか? だから、古い建物を活用している会社はないかと探しているときに、たまたまインターネットでomusubi不動産を見つけたんです。同時に……あれ? どこかで聞き覚えあるなと。

そういえば「ひとつぶ(※)」の店主さんとお話ししたのを思い出したんです。「omusubi不動産って面白い名前ですね」って。インターネットで発見したときは、点と点が線になりましたね。

※ひとつぶ……常盤平にある喫茶店。「一人の時間を楽しんでいただくこと」がコンセプト。omusubi不動産の管理物件に入居し、営業している

――河野さんはお問い合わせをいただいたとき、どんな思いでしたか?

河野さん(以下、河野):一棟丸ごとの改修は個人的には初めてで、率直に楽しそうだなと。しかも、ただ募集するだけでなく、「地域に貢献しよう」という企画性もあり、私たちとしても理想的な使い方だなと思いましたね。

▲プロデュースを担当したomusubi不動産・河野

――「ひとつぶ」からの反響も嬉しかったそうで?

河野:そうですね。個人的にも「ひとつぶ」さんのお店が好きなんです。ひとつぶさんは私が入社する前から活躍されていましたが、今度は自分がこういう場づくりをする側になったんだなと。活躍している入居者さんがきっかけで新しいご縁につながっていったのは、omusubi不動産らしいと思います。

――物件の第一印象はいかがでしたか?

河野:躯体とインフラ部分だけ直せば、素直にカッコよくなると思いました。とはいえ、omusubi不動産の力だけではどうにもならないため、まずは設計のプロのお力添えが必要だと思いました。そこでsAnkAku(※)に入居していた近藤さんに相談することにしたんです。

※sAnkAku…近藤さんが設計事務所を構える北小金駅のレトロビル。omusubi不動産の管理物件

近藤さん(以下、近藤):ちょうど事務所の改修が終わったぐらいでしたね。

▲デザインを担当した、近藤建築環境設計(※)の建築士・近藤さん

※近藤建築環境設計…個人住宅から病院や公共建築といった幅広い用途のほか、病院・クリーンルーム・レンガ造といった難易度の高い施設を設計

近藤:僕は独立するときには、セルフリノベーションで事務所をつくりたいなと思っていました。ただ、賃貸で改修可能な物件って数少なくて……。そのとき、僕もインターネットでomusubi不動産を見つけ、入居に至りました。

河野:近藤さんの事務所探しも私が担当して、そのなかでsAnkAkuをご案内したんですよね。近藤さんに内見してもらった時は、綺麗な内装ではありませんでした。それこそ、今のRIMの各部屋に似ていました。RIMについているのと同じ形かな? 小さくて漏水しないキッチン等がついていたのですが、今は洗面台に生まれ変わっています。

▲生まれ変わったキッチン
▲before。近藤さんが入居以前のsAnkAku 
▲after。もともとは3部屋あったが間仕切りを解体。1部屋にすることで開口部を三面から取っている

河野:近藤さんは、物件の引き渡しが終わって事務所をオープンする際、わざわざパンフレットを作って挨拶に来てくださったり、人柄的にも打ってつけだなと。もちろん、素晴らしい実績もあり、ピッタリだなと思いました。omusubi不動産では、戸建やアパートの一室など、小さい規模の改修は多かったんですが、「一棟」という大規模な改修を行うならば、近藤さんのお力を借りなければ出来ないなと。

――近藤さんは、これまではどんな建物を設計されてきたのでしょうか?

近藤:一昨年までは7年ほどミャンマーに居ました。そこでは工科大学やホテル、産業プラントなど大規模な公共建築に携わることが多かったですね。

――河野さんからRIMの話がきた時はどう思われましたか?

近藤:素直にやりたいと思えましたよ。最初に物件の写真を持ってきてくれたとき、昔の建物だからこそ、今とは大きく差別化できるなと。

――差別化……ですか?

近藤:例えば、入り口が細くなっていたり、裏庭にゆとりのあるスペースがあったり……。こういったつくり方は現代ではしないですね。

山中:確かに。奥に寄せた方が効率もよく、表側に駐車場がつくれますもんね。

近藤:そうなんです。今のセオリーとは逆なんです。おそらく、戦後の看板建築の名残で、居室を全面に出そうとしたのでしょう。だからこそ、僕はポテンシャルがあるなと思えました。

――面白そうですが、改修となると大変なのでは?

近藤:はい。新築の場合、機能面でそう困ることはありません。ただ、改修の場合は躯体が古く、最低限の機能があるかないかのチェックから入ります。要はなんでもかんでも取り付けられるわけではありません。設計前にそういった部分を読み取る作業が必要だったので、現地へは何度も足を運び、デザインを練りましたよ。

――では、デザインでこだわったところを教えてください。

近藤:やはり「常盤平」への思いが強く、「地元へ貢献したい」という話もあったので、デザインのベースには「常盤平」に紐づくものを想定しました。そこで「常盤平けやき通り」「常盤平さくら通り」そういった並木の連続性をデザインに組み込むことにしたんです。あとは、裏庭を生かせるようなインパクトを構想しました。

▲完成予定図

――早く実物が見たいです。これから改修工事に入りますが、それぞれの心境を教えてください。

河野:やっとここまで来たなと。気持ちとしては「早く募集したい」「早く人を呼びたい」と思っています。あと、ここからの主役は近藤さんになってくると思うので、より一層楽しみですね。

近藤:今が一番ワクワクしています。建設プロジェクトだと、ちょうど折り返し地点。構想段階で詰めてきたものが実現しようとしています。これから今以上に関係者が多くなってくるので、 この一体感を強めながら上手に連携していきたいですね。

山中:楽しみ8割、不安2割ですね。以前までは逆でしたが(笑)。不安なことばかりのスタートでしたが、皆さんのおかげでここまで来られました。感謝しかないですね。あとは、漠然としていた景色が、解像度を上げてきたように思います。

山中:もちろん、人が集まる拠点になってくれたら嬉しいですが、それは入居いただける方がいて成り立つことですし、僕が選べることではありません。まずは心の準備をして待ちたいと思います。

――例えば、どういう人に入居してもらいたいですか? 

山中:業態にこだわりはありません。最近、いろんな大家さんとお話しすることがあるんですが「あんまり入居者さんと親しくしすぎない方がいいよ。情が出てくると、なかなか厳しいことが言えなくなるから」とアドバイスを受けたんです。

でも、僕が今やろうとしていることを考えると、積極的に関わっていくべきだという気持ちが強くなってきまして。僕が「こんなイベントをやりたい」と呼びかけたときに「じゃあ一緒にやりましょう」と言ってくれるような関係になれたら、もっともっとRIMが、街が面白くなると思うんです。入居さんからの提案も同様です。その関係性こそ、名前に込めた思いなので。

――なるほど。今更ですが、RIMの由来を教えてください。

山中:自転車の部品名から取りました。ざっくりですが、タイヤを貼り付ける外側を「リム」、車輪の回転部分を「ハブ」、リムとハブをつなぐ細長い棒が「スポーク」と言います。最初はハブも良いと思ったんですが、多分ハブというのは入居者さんや地域の方々の気持ちだと考えたんですよ。そう考えたときに、ここはリムのように外から支えるような場所であってほしいと思えたんです。それで「RIM」と名付けました。

――人の想いを外から支えられるような存在であってほしいと。素敵なネーミングだと思います。では、最後に現在の未来像を教えてください。

山中:一番はやはり街のコミュニティ拠点として機能してほしいですね。松戸市のなかでも常盤平地区は特に高齢化している地域です。もちろん、若い方々に足を運んでいただき、街の新しいシンボルになってほしいですが、それよりも地域に根ざした場所を望んでいます。

山中:地元だからこそ、ずっと住んでいる地域の方々には認められたいんですよね。最初は色眼鏡で見られるかもしれないですけど、いつか「常盤平けやき通り」「常盤平さくら通り」のような街の当たり前の景色になり、地域の方々からは「常盤平の建物だね」と受け入れてもらいたい。これから、常盤平の愛される場所を目指していきますよ。


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取材・文・撮影=小野洋平

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