伊藤詩織さんの強さが、論点をアップデートさせた。
日本の国家権力は「伊藤詩織さんという一個人の性犯罪被害者」には救いの手を差し伸べなかった。
一方で「山口敬之という性犯罪加害者である権力者のオトモダチ」には、逮捕状が出ている案件にも介入し、法律を捻じ曲げ「憲法違反ともいえる人権侵害」までも侵して手を差し伸べた。
結果として、国家権力は「一人の被害女性を救うこと」よりも「権力者のオトモダチの加害男性を救うこと」を優先している。
大事なことは、
国家権力の私物化事件へ変わる論点
「一つの性犯罪事件」から「国家権力の私物化事件」として、論点が変わっていること。
BBCのジャーナリズムはそこを論点としてドキュメンタリー「日本の秘められた恥」を映像化した。
国家権力の私物化は戦争を生むことについては、ナチスドイツを通じてイギリス市民は知っていて、日本市民は戦後教育を通じて知らないし知ろうともしない。
国家権力の暴走を防ぐには市民がやれることをやるというのが、ヨーロッパの学校教育の根底にあると思う。日本も市民が気づき始めているけど、まだ時間がかかる。
ただ、その理解を埋める一つとして、伊藤詩織さんの頑張りが世の中を前に進めていると思う。本当にすごくて感謝しか言えない。
伊藤詩織さんへの支援としてできることは限られる。けど、とにかく彼女の味方でずっと応援している。
辻仁成さんの鋭い指摘
伊藤さんの場合は権力者と対峙する一人の若い女性の戦いとして、世界のメディアが日本のメディアが思っている以上にかなり注目していることは事実だ。
BBCは最初から疑うことなく彼女の側に立ち、(いや、1%も疑ってないとはもちろん言い切れないが、公平な立場をとりつつも)しかし、緻密に取材を進め、その中で彼女の家族とのやりとり、日常の彼女の考え方や行動力の分析など、外国メディアがやったとは思えないような丁寧な取材を続けた。(ぼくが知りたいのはBBCは何を根拠にそこまで執念したのか、ということだ)なぜ、地球の反対側の国のメディアがそこまでやるのか、やれたのか、とここにもただただ脱帽するしかなかったが、それこそジャーナリズム精神なのであろう。
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