「誰かがいなくても回る」のホントとウソ
※本記事はHuluで公開されている久保史緒里ちゃんのドキュメンタリーに一部着想を得て執筆しています。「観る前に何も知りたくない!」という方は後ほどよろしくお願いします。
こんばんは。オムさんです。
一見いかにも乃木坂と関係なさそうなタイトルだし、それになんだか胡散臭いものになってしまいました。笑
しかし、乃木坂とはしっかり関係ありますし、それにこれから書くことはあくまで私一個人の思ったことです。
「じゃあ乃木坂要素ってどこよ?」と言いますと、これから書くことはHuluで公開された久保史緒里ちゃんのドキュメンタリーを観て思ったことなのです。はい。しっかり乃木坂要素ですね。ではいよいよ本題です。
タイトルのようなセリフはよく聞きますし、感じることもあると思います。組織の一員として、「あの人いなくなっても案外どうにかなるな…」と感じることもあるでしょうし、また自分が(一時的に)組織を離れた後に「なんだ、自分っていなくても問題ないじゃん」と感じることも。
でも、基本的にはこれって半分ホントで半分ウソだと思うんです。(正直に言えば、「あの人がいない方がかえってうまくいく」ということもしばしばありますが、そういう事象は今回含まないものとしてお付き合いください。)
誰か(自分も含む。今後も「誰か」という場合は自分を含みます。)がいなくても組織は動き続ける。これは大抵の場合間違いないです。ないわけではないと思いますけど、誰か一人いなくなっただけで全く機能しなくなる組織もそれはそれで困りますし。
でも、勘違いしてはいけないのは「動き続ける=全く問題がない」ではないということだと考えました。
例えば、誰一人欠けない状態を100とすると、誰かが欠けた状態はきっと90とか80になっているはずなんです。ただその組織を最低限動かすには70で足りるために、結果として表面上は問題なく動き続けているように見えてしまっているだけだと。内部にいる人には100から90や80になったことがわかるので、どこか物足りなさやその穴を感じると思います。
乃木坂でいうならば、誰かの休業や卒業があったからといってグループ全体の活動が止まることはありません。誰かが欠けたその瞬間には100だったものが90や80になっていることを感じずにはいられない。それでもそれ以外のメンバーの成長や協力によって一人ひとりが少しずつ積み上げることでまた100に戻ったり、新たな姿を100として受け入れたりすることでいずれは100に戻ると思います。
ただ、それは「あなた」の居場所がなくなったわけでも、「あなた」がいなくなっていいわけでもないんです。戻ってきてくれることで今の100が120にも130にもなるんです。それって素晴らしいことじゃないですか?
いつしかまたそれがスタンダードになって100になったとしても、今までの100とは見違えるほどの100になっているはずですから。
なんだか結局まとまらない文章になってしまいましたが、勇気をもって休む決断をした誰かに届いてくれればこれほど嬉しいことはありません。
当の久保史緒里ちゃんももうとっくに復帰していますし、これが届くことはないでしょう。それでも、Twitterの140文字では到底収まりきらない想いがあふれたので今こうしてnoteに書いているのです。
想定よりもかなり長くなりました。後で読み返したら恥ずかしくなるようなこともいっぱい書いてしまったかもしれません。それでも書きたかったんです。「久保史緒里さん、あなたのドキュメンタリーはちゃんと届きましたよ」って。
それでは。
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