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死について
こんばんは、小よしです。
この歌を聴くとあの人を思い出すなぁってこと、ありませんか?
私はso much love for youを聴くと初カレを思い出すし、あいみょんを聴くと、高校時代同じ部活だった2つ下のあの子を思い出します。
彼女は私が大学3年生の秋に、亡くなりました。自ら選んだようです。
もうすぐ1年が経とうとしているけれど、彼女が1番好きだったあいみょんの「ハート」だけは、なぜだかまだ、最後までは聴けません。
彼女がもうこの世にはいないという事実を、私は彼女の母親から聞きました。彼女の母親とはほとんど面識がなく、祭壇を見るまで、騙されているのでは?ドッキリじゃないのか?と本気で疑っていました。
それもそのはず、何度振り返っても、彼女の笑っていない顔をほんの少しも思い出せなかった。訳あって、私は彼女が高校を卒業するまで、週に1回程度顔を合わせていました。いつも笑顔で、明るくて、例えるなら、ベタだけど本当に、ひまわりのような人でした。
祭壇を見て、現実を見て、今までの私は冷静ではなかったと気が付きました。
祭壇を見て立ち尽くしてしまった私に、彼女の母親は「怒ってやってください」と言いました。
どうして、とはやっぱり思ってしまったけれど、思わないようにしています。人には人の地獄。誰もが見えないところで苦悩している。
恋に破れても、、、
家族が死んでも、いじめられても、就職に失敗しても仕事がイヤでも、お金がなくても
人生が、、、退屈でも‼︎
それがどんな理由でも命に換わる程重い絶望になるんです‼︎
あの網の向こう側に行く為にどれほどの覚悟が必要な事か、、、。
でも、それでも、死だけは、選ばせたくなかった。選んで欲しくなかった。
よく、世の中では、特に若い人たちの間では、自死を肯定する意見が見られます。正直、不愉快。
いや、分かります。分かるんです言いたいことは。人生の主役は自分だし、逃げることだって必要。実際に、肯定してもらえることで救われた人もいるはず。
でも私は絶対に肯定したくない。理由なんかはほんとうに綺麗事です。遺された人とか未来とか。文字にすると余計に薄っぺらい。
理由ってより、本能のレベルかもしれない。死にたいって人にいいと思うなんて絶対に言えない。
今辛いなら、できること全部やってさ、生きて逃げようよ。一緒に生きようよ。未来のあなたは生きたいかもしれないよ。これ、私のエゴ?でも本音。
やっぱり他人だから、全部を分かり合えるわけないし、最後まで一緒に逃げ続けることもできない。やっぱり他人だから。
でも、もし、もしも相談してくれたら、それはあなたの本能がまだ、きっと生きたがっているから、何時間でも話を聞いて、最後にはそれでも、もう少しだけでも、一緒に生きようよって言いたい。
やっぱりエゴだね。
あーー、みんながハッピーすぎて死ねたらいいのにね。