2021.9.3
何かで失敗した人間は、成功した人間を見ると「自分には才能が無かった」「環境さえあれば」「機会さえあれば」などと言い訳を並び立てる。
成功した人間は「才能より努力も大事」「行動しなければ何も始まらない」と返す。
才能とはなんなのだろう。
例えばスポーツ。メジャーリーグで活躍するプロ野球選手全員に野球の才能があったのだろうか。
もしあったとしても、中にはピアノの方が実は得意なんだと言う人も居るかもしれない。それは才能の差なのだろうか。
今各分野で活躍している人は、どのタイミングで自分に才能があると自覚するのだろう。
無数に存在する動作、種目、ジャンルの中で人が自分の才能を見つける確率はどれくらいなのだろう。
かの有名なライト兄弟も、現代に生まれていたら飛行機を作るよりサッカーに熱中したかもしれない。あるいは万能だと言われたレオナルド・ダ・ヴィンチでさえ、この縛られた社会に適応できず家に篭ってしまうかもしれない。
福沢諭吉著『学問のすゝめ』はこんな一文で始まる。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。
もしこれが本当ならば、天は才能も皆平等に振り分けられている事だろう。
君の才能は、僕の才能はどこにあるのだろうね。
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