高松・菊池寛ゆかりの地めぐり
高松に行ってきました。高松というと小説家・劇作家、そして文藝春秋社を創設した実業家としても知られる菊池寛の出身地。今回の高松旅行では菊池寛記念館とゆかりの地を訪れました。
詳しい場所についてはGoogle My Mapsにまとめたので併せてどうぞ。
菊池寛記念館
サンクリスタル高松という公共施設の3階にあります。1階2階は図書館で、4階には歴史資料館が入っているので、高松市の歴史に興味がある方は4階にも行ってみると良いかもしれません。
入り口には菊池先生の銅像が。中にも銅像や、書斎の復元などが展示されていますが写真はNGです。
高松で生まれ育った菊池の少年時代や、文学を志し新思潮の同人となった青年時代、人気作家としての軌跡、文藝春秋を立ち上げ才能ある若者を応援した人物としての姿など、様々な角度から彼自身の真っ直ぐな生き様や文学に対する洞察が紹介されています。
また、彼の戯曲や映画化された作品の紹介、作風についての解説もあり、菊池寛の文学に対する理解も深まる展示でした。
面白いなぁと思ったのは、彼の母親の話。菊池は母親の影響で芝居が好きで、上京してからも足繁く芝居を見に通いました(これが一因となり東京高師を除籍されるのですが)。はて高松でそんなに色々と芝居が見られたのか、と思ったら、母親の出身は琴平に近い仁尾町。琴平に来る歌舞伎は大抵見ていたのだそう。琴平は江戸時代には金毘羅宮への参拝客で非常に賑わい、取り締まりも寛大だったため、様々な興行が行われていました。その一つ、金毘羅大芝居は全国に名の知られた芝居小屋で、江戸や大阪の有名役者も多く出演しました。これが彼の作風や劇作家としての成功に影響を与えたことは想像に難くありません。土地柄と作風との結び付きというのは面白いですね。
現在は、大河ドラマ「いだてん」に合わせて「菊池寛とスポーツ、そしてオリンピック」という展示も行われています(2019/5/28〜7/7)。
菊池寛や芥川龍之介、久米正雄らとスポーツに関する話や、オリンピックにまつわる雑誌の記事などが紹介されています。金栗四三はもちろんのこと、天狗倶楽部や三島弥彦が掲載された雑誌『冒険世界』や『武侠世界』なども展示され「これドラマで見たやつ〜〜」の連続でした。また、ドラマ第二部のテーマである「幻の東京五輪」についても触れられています。
全体を通して、ボリューム満点の展示で、気づいたら3時間くらい滞在していました。とにかく地元から敬愛されているのだなと感じられる内容で、彼への尊敬と親しみが増しました。
菊池寛記念館
香川県高松市昭和町一丁目2番20号サンクリスタル高松3階
9:00〜17:00(入館は16:30まで)
毎週月曜日休館(月曜日が祝日の場合は翌平日)
中央公園周辺の碑・像
高松市中心部にある高松市立中央公園は、菊池寛生家跡の目の前にあり、彼を顕彰する碑や像が複数建てられています。
まず、公園南西側入り口。
右側にあるのが戯曲「父帰る」の一節を記した文学碑。この碑文にちなみ、後ろには椋の木が植えられているそうです。
おたあさん 今日浄土寺の椋の木で 百舌が啼いとりましたよ もう秋じゃ
その隣にあるのが「菊池寛 顕彰碑」。右側は友人で作家の小島政二郎の筆で、左側は菊池自身の筆で彼の座右の銘が記されています。元は、公園の向かいにある生家跡に置かれていましたが、平成27年に移転しました。
菊池寛生家の跡
不實心不成事 不虚心不成事
道を挟んで向かいには、菊池寛の生家跡があります。先述の通り、生家跡の碑は公園側に移転しましたが、大黒天の像とともに次のように書かれた札が置かれています。
この地に菊池寛の生家があって 世に福多きことを願い 大黒天をおくる
ちなみに、生家跡の前を通る道には「菊池寛通り」という名前がつけられています。
公園の南東側入り口を少し北に上がったところには菊池寛のブロンズ像も建てられています。
本当に菊池寛だらけだなぁ、と思うじゃないですか。ところがまだあるんですよ。
公園の南東側角から道を渡って東に向かうと、菊池の代表的戯曲「父帰る」の一場面を表したブロンズ像があります。
中央公園と菊池寛のゆかりは生家跡だけではありません。ここには昔、浄願寺というお寺があり、明治期には四番丁小学校(旧 四番丁尋常小学校)の五番丁分教場としても使われていました。菊池が通学していたのもこの五番丁分教場。浄願寺は現在、別の場所に移転していますが、公園内には浄願寺跡の石碑と、浄願寺ゆかりの禿げ狸の像があります。
旧四番丁小学校
菊池寛が通ったのは四番丁小学校の五番丁分教場でしたが、本校の方は平成22年で閉校。現在は四番丁スクエアという市民活動センターとして使われています。
四番町スクエアとしての入り口は西側にありますが↑、東側に回ると、小学校の通用門があります↓。この門を入って(入れないけど)左側に菊池寛の碑があります。
門の左側から覗き込むと菊池寛の略年譜が記されているのが見えますね。
隣の緑地帯から表側も読めます。こちらには菊池寛が好んで色紙に揮毫した漢詩が刻まれています。
閉門即是深山 読書随処浄土
旧高松中学校跡
菊池が通った高松中学校は現在、高松女子高等学校(旧高松高等女学校)と統合し、現在は香川県立高松高等学校となっています。高松高等学校は、旧高松高等女学校の敷地を継承していて、旧高松中学校の跡地は現在高松工芸高校が使用しています。(ちょっとややこしい)
つまり、出身校は現・高松高等学校(旧高松中学校)で、通っていた場所は現・高松工芸高校というわけです。
高松工芸高校には「香川県立高松中学校発祥地碑」が残っています。
華下天満宮
商店街の路地に立つ小さな天満宮。生駒氏が、高松城の鎮守神として高松城の方を向くように建てたため、神社としては珍しく社殿が北を向いています。
菊池は、同郷だと言って金の無心にやってくる人たちに「高松にいくつもある天神のうち、一つだけ違う方を向いているものがある。その方角は東西南北のうちどちらか」と尋ねたそうです。(参照:井上ひさし『菊池寛の仕事』)
百舌坂
八幡通りから紫雲山に沿って栗林トンネルに至る坂道。
少年時代の菊池は、讃岐の自然の中でトンボ釣りや魚釣り、百舌狩りを楽しんだそう。特に百舌を捕まえるのが上手で「百舌博士」と呼ばれました。
この坂は菊池が百舌狩りを楽しんだことにちなみ「百舌坂」と名付けられました。確かに自然豊かで百舌でもなんでも獲れそうな気がしますね。ところで百舌ってどうやって獲るんでしょう。
移動にはレンタサイクルがおすすめ
最後に。菊池寛ゆかりの地をめぐるならレンタサイクルがおすすめです(レンタサイクルのステマじゃないですよ!)
市営のレンタサイクルが6時間100円、24時間200円で借りれます。高松市内はほぼ道が平坦で、自転車での移動にぴったり。駅前と菊池寛記念館、各ゆかりの地は歩いて回るにはちょっと離れているので、自転車があると効率的に回れそうです。
琴電を使うという方法もあるので、天気や体力、行き先と相談してみてくださいね〜
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