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忘れられた信仰、菩提寺山/歴史探訪②
はじめに
こんにちは、しがクラです。しがクラという名前ですが出身は滋賀ではなく静岡です。なぜこんな名前なのかこの先、何かの機会に綴るかもしれないし、綴らないかもしれません。まあそれはその時の気分次第で(笑)
国史跡、廃少菩提寺
さて、今回の記録は前回執筆した繖山と同じ日12月19日の活動記録です。繖山から電車で1時間ほど、駅から歩いて30分ほどかけて目的地へ。
そう今回の目的は廃少菩提寺の石仏。今回はこのために繖山から約1時間半もかけて行ったのでした。目的地まではのどかな田園と国道のアンバランスな風景が続きます。残念ながら写真は撮り忘れてしまいました。
そうこうしているうちに、目的地に到着、お目当ての石仏です。
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浮き彫り式で中央の像は錫杖を持ち、左像は合掌、右像はひしゃく(?)のようなものを手にしています。中央の像は鎌倉初期の作品、左右の像は南北朝時代の作品らしいです。この時代まで残っていることにも驚きますが、何よりもその製法。もちろん当時、電動工具などあるはずがありません。ノミと槌で地道に彫ったのでしょう。そのように思いを巡らせると感慨もひとしおですね。
追記
YouTubeに石仏の製作動画が上がっていました。便利な世の中ですね
さらに進むと、石造りの塔が。仁治二年(1241)に建てられたもので、碑文をもつ多宝塔として貴重であるという理由から国の重要文化財にも指定されています。
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山中へ
さて、ここまで来たのだからと菩提寺山に登ることに。YAMAPに載っているルートからは外れますが石畳の道があるために行ってみることに。すると、すぐに異様な光景が目を引きます。
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石仏が至る所に。
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中には引き倒されたがごとく無造作に転がる石仏、なんということでしょう。ただならぬ空気を感じ背中が冷たくなりました。
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近くに看板を発見。どうやらここら辺一帯は中世から江戸初期にかけて火葬兼墓地だったらしく至る所に阿弥陀仏が安置されていたのです。それらが長い年月をかけ、土に埋もれ、落ち葉に隠れと整備が行き届いてなかったようです。忘れられていた信仰が姿を現したのだ。
そして、このようなものも
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磨崖五輪塔、昔のお墓です。おわかりいただけるでしょうか。五つのうち二つは未完成です。これについては1570年、佐々木六角氏と織田信長の戦いに少菩提寺が巻き込まれ、灰と化したために作業が中断し、このまま残ったのではないかと考えられています。
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下山時にこのような遺構が。時代背景を加味するに石垣跡ではないでしょうか。
まとめ
筆者は高校では日本史をとっておらず、共通テストは世界史と地理で受けていました。故に佐々木六角氏が何者かわからないのが惜しかったですね。日本史をやっていればより楽しめたのではないかと思ってしまいました(苦笑)。
しかしながら、日本史をやっていなくても楽しむことができないわけではありません。たとえば、なぜ土葬が一般的な時代に火葬が行われていたのか、そもそもなぜ日本においても土葬が主流だったのかといった具合にですね。諸外国や他の宗教と比較してみてもおもしろいかもしれません。
一例を上げるとキリスト教世界では異端者が火刑に処されたり、死体が火葬に処されたあげく灰は川に投げ込まれるといった具合に火葬に対して悪いイメージが強いです。こちらは最後の審判の際に死体が無ければ蘇ることができないといった思想からです。裏を返せば異端者が火刑に処され、遺体がわざわざ掘り起こされ燃やされた理由の一つとしては二度と復活できないようにするためです(ちなみに前者の代表者はフス、後者はウィクリフ。どちらも宗教改革の時代に活躍した人物)。
まだまだ書きたいことがありますが、長くなりすぎてしまいかねないので気が向いたら回を改めて書こうと思います。それではまた次の投稿をお楽しみに。
例のごとく活動日記のリンクを貼っておきます菩提寺山 https://yamap.com/activities/14856061 #YAMAP