第九回 領域展開!
みんな~~~~~!!!生活、してますか~~~~~~~!!!
私は微妙かも!!!どうも、碧川春です。
さて。今日は俳句や短歌などの短詩に領域展開されるお話です。どういうことか?私にも、あんまり……まあ、しばしお付き合いください。
詩を作るうえで、そのきっかけ、起こりをどこから持ってくるのかは人によってまちまちだと思います。自分の体験や感情を詩にする人もいれば、全くの想像(ファンタジー)でつくる人もいたり。
俵万知さんの有名な「サラダ記念日」の出来事が実はカレー味のからあげだったという話を聞いたことがある人も中にはいるかと思いますが、こんな風に、実際の出来事を少し変えて作る方もおられるでしょう。
私の場合、(短歌を詠むことが多いので短歌の話になります)始めは自分の体験をそのまま短歌にするところから始めましたが、詠み続けるうちにそれだけでは足りないようになっていったので、ふとしたきっかけを想像でふくらませて詠むことも増えてきました。今は、その想像の部分の表現をいかに良いものにできるかに注力して頑張っています。それは時に比喩や擬人化であったりしますが、そういった表現によって、実際には起こりえないことを言葉にして拾い上げる営みに私は詩を感じて、とても好きだなあと思います。そんな作者の想像の世界観をありありと見せてくれるような詩が好きで、初めて出会う表現、感覚なのに、言われてみればわかる気がする、そんなこともあるだろうと感じさせる説得力のある、そんな短歌を詠めるようになりたいものです。だって、そんなの、領域展開じゃん!!!強すぎるよ。
たとえば、こんな。
きっとお好きな方も多いでしょう、木下龍也さんの「オールアラウンドユー」の中に入っている一首です。
水は生物ではありませんから、足跡をつけられたという意識も、忘れられないという感覚も持ち合わせていないはずです。そんなひとひらの水に思いを馳せ、ないはずの水の感覚をストレートに詠んでいるこの短歌。そんなはずはないのに、ふと水に共感できるくらいの強さを感じて、とても好きなんです。降り、踏まれ、溶け、流れ、また雲になり……と循環し、終わることは無い水が、巡り廻るあいだずっと忘れられない靴の感覚があるとしたら。どんな場面なのかな~~。
一行で、雪原とそこを歩む人間、そして季節の移り変わりを脳内に想像させられる……これぞ、領域展開!(ちがう?そうかも。)
また、この短歌は、純粋だったころに受けた大きな影響(それは時に感動であったり、トラウマであったりする)を忘れられない様子を水に喩えていると読むことも可能かなと感じています。新雪に跡をつけることを、何か特別な行為だと感じる人は多いんじゃないでしょうか。そんな、ふわふわの雪を踏むこと、つまり、純粋できれいな存在に、自分が何らかの影響を与えてしまうことの罪悪感や、高揚感、そしてそれが相手にとってはどんな感覚なのかまで考えしまうような、自分の忘れられない感情を思い起こしてしまうような、そんな短歌だと思います。
字数の少なさゆえに、余白が多く、たくさんの解釈の余地があるところもきっと短詩の良いところで、大好き!
だからこそ作る際の表現の取捨選択はむずかしく、シビアに考えてどつぼに嵌りがちですが、表現して伝える部分と余白となり広がる部分がバランスよくできると、とても素敵だと思う、この頃です。
つらつらと述べましたが、(※すべて個人の感想です)のでそこのところ、ご了承ください。いろんな詩があって、いろんな好みがあって、いろんな作り方があって、だからこそ素晴らしいのは当然なので!!
また、どなたでも、好きな詩の話をできたらとっても嬉しいです。ではみなさん、いつか分からない次の機会にでも。碧川春でした。
それでは!