捨てられない日記、戻れない日々
2018年、高校3年生の日記を読んだ。
字も、書いていることも幼いけれど、その当時の率直な想いは日記を読むことでしか思い出すことはできない。
人には見せられない黒歴史が詰まっていても、捨てられないのはそのためだ。
いまでは関係が途絶えた人が、たくさん日記のなかにいた。
そのときは、感情をコントロールできないくらいに大好きで、大切にしたいと思っていたことが分かった。
自分の手で壊してしまったもの、もう戻れない時間がそこにはあった。
いまもいまで愛しいけれど、少しだけ戻りたくなった。
バンドで音を出す時間が大好きだった。
バンドメンバーを支えたいと思っていた。
ずっとバンドを続けたいと思っていた。
当時の恋人の隣で、心から安心していた。
ほっかほか亭の唐揚げをよく食べていた。
下田のジャスコにたくさん行っていた。
進路に迷いながらも、なんとか高校に通っていた。
人間関係は相変わらず下手だった。
記憶は曖昧だし、感性は変わっていく。
過去の自分といまの自分が地続きであること、なかなか実感が湧かない。
あまりの幼さや失敗に、過去の自分を自分だと認めたくないのもある。
いまならもう少しうまくやれる、もう少し壊さないで抱えられる、そう思ってしまう。
生きるのが怖くてしかたない。
生きているだけで大切な人を傷つける自分が嫌で、もうこれ以上壊さないか不安で、それでも自分のことも大切にしたいし正直にありたくて。
言葉があふれて、言葉にしなくては落ち着かなくて、でもぜんぶが無意味に思える。
生きることが正解だとは、まだ思えない。
ただ生きているうちは、少しでも大切なものを大切にしていきたい。
行動はなかなか伴わないけれど、想いだけは本当なんだ、と誰にいうでもなくいつも思う。
いまでは離れてしまった人たち、元気かなあ。
少しでも健やかに生きていたらいいな。
またどこかで会いましょう。
そのときは、昔の話を少ししよう。