私はその日映画を見なかった②
こういうの、大好物です・・・
「今、アンケートをとっていて……中に入りたそうに見えたので、ちょうどいいと思って……」
どういうことだ?と脳内は疑問符でいっぱいだが、言われるがままにのこのこと後ろをついていった。
中へ入ると、昔ながらのポスターや扉を残しながらも、スタイリッシュな空間が広がっていた。バーカウンターの描く曲線が美しく、ビシッと場を引き締めている。
「めっちゃいい空間ですね」
「1927年からこの場所はあって、かつては演劇や芝居が行われていました。まずは小ホールから見ましょうか」
私のためだけの、贅沢な劇場ツアーが始まった。
声を掛けてくれたはしもとさんが、オーナーである田中さんに呼ばれた。
つかの間、閉館中の映画館の小ホールに1人きり。
我に返り、事態が面白くて、笑いが込み上げてきた。
不思議な出会いも、この場所も、大好物です。
次は大ホール。
小ホールも落ち着きがあり良い空間だったが、大ホールはかつての歴史からも、映画を見る場所というより生演奏を楽しむ場所という印象を受ける。
好きなアーティストのライブ前のような高揚感を抱く。この場所で映画を見れるって贅沢だ。
ドリンクホルダーがないから各々の座席の前にテーブルがあって、非日常に日常が紛れ込んでいるような感覚になる。
「これが銀幕スターの銀幕です」と、誇らしげにはしもとさんが言う。
現在は白幕が普及しているが、技術が発達していなかった時代に弱い光を効率よく届けるために多用されたのが銀幕だ。
ここの銀幕も、昭和のスターを映し続けたのだろう。
ステージを少し進むと、奈落として使われいていた空洞があった。
劇場だったことから、音がよく響くという。無声映画を流しながらピアノのライブをしたこともあるのだとか。なんと粋な!
人は物語が好き
史実がはっきりしていないものも多く、はしもとさんの話には「らしい」という語尾が付く。しかしはっきりしていないからこそ、想像の余地が生まれときめく。
人は物語が好きな生き物であることを思い出す。
だから人は何度でも映画を見る。
他人の人生に自己を投影できる映画は、日常と離れた場所で映画という物語にのめり込むことのできる映画館は、人々のよすがだ。
休館を繰り返しながらもこの場所がなくなって欲しくないと奔走する人々の原動力を、建物全体から感じ取ったような気がする。
豊岡劇場そのものが、ひとつの映画なのだ。
映画を見るために、私は豊岡に行く
四代にわたって豊岡劇場を経営してきたという山崎家の元住処が隣にあり、そこも案内していただいた。
豊岡劇場が築いてきた堅実な歴史が、丁寧に残されていた。
はしもとさんはこの場所をリノベーションし、宿泊できる場所をつくるという。
建築の魅力に包まれつつ、お酒を飲みながら映画三昧を可能とする施設。うっとりする。
価格設定をどうするか悩んでいて、よそから来た観光客の肌感を知りたかったそうだ。カメラを二台ぶらさげて、ぼんやり歩く私はまさに観光客。白羽の矢が立ち、声を掛けられたという次第だ。
あのとき、はしもとさんに出会うまで、思いつきで豊岡市に立ち寄るまで、豊岡劇場は私の人生に交わることのない場所だった。
岩手に住む私が兵庫に来てまで映画を見ようなんて、思うこともなかった。けれど、豊岡劇場に心を奪われつづけている自分がいる。
宿泊施設が完成した頃、私はきっと豊岡劇場に映画を見に行くだろう。
帰り際、川沿いでゲートボールに励む人々の姿を横目に、私の足取りは軽い。そしてしみじみ思うのだ。
あぁ、旅をしている。