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お店は増えた。でも、居場所がない—— そんな声と向き合う
「若い人の知らないお店ばかり増えて自分たちの行く場所がない。戻ってきたはずなのに自分のまちではないという感覚だ」
先日私の経営するアオスバシでコーヒーを飲んでいたとき、向かいに座った80歳くらいの女性がそんな話をしていました。
話題にしていたのは、新しくできた場所について。でも、「行ってみたい」とか「どんな人がやっているんだろう?」という興味ではなく、「自分とは関係のないもの」として話しているように感じました。
「それ、◯◯ってところじゃないですか?」と聞くと、
「移住してきた若い人がやってるらしいけど、よくわからない」といった返事。噂や情報としては聞いたり耳にしたりはするようだけど、どうも自分に関係のあるとは思えてないようでした。
口調こそ淡々と話してはいましたが、少し物悲しそうな雰囲気を感じました。
新しいお店ができることが、すべての人の豊かさになるわけではない
ここ数年、小高には私たちのお店を含め、新しいお店やゲストハウス、体験サービスが増えてきました。移住者や若い人たちが「このまちを面白くしよう」と行動を起こし、それによって確かにまちは変わりつつあります。
でも、すべての人にとって、それが「豊かさ」になっているわけではありません。
「新しいお店はオシャレすぎて入りづらい」
「どんな人がやっているのかわからないから行きにくい」
「若い人ばかりで、自分が入っていける雰囲気じゃない」
新しくできたお店が、知らず知らずのうちに「世代間の壁」をつくってしまっていることもあるのです。
小高は「新しいものをつくらないと、まちが復興できない」という状況にあります。でも、その一方で「ここにいてもいい」と思える場所がないと、戻ってきた人たちが孤独を感じてしまいます。
間違っても今の歩みを止めるべきではない、と思う一方でこの壁を放置せず、なんとかしていくことが、「戻ってきて良かった」「移住してきた良かった」と思える豊かな地域づくりにつながっていくと、私は考えています。
どうやって歩み寄るのか
「高齢者も新しいお店に行けばいい」とか「若い人がもっと気をつければいい」といった単純な話ではありません。
必要なのは、「歩み寄るための仕組み」をつくることだと思います。
例えば、岐阜県の大垣市では、自治会の人たちがまちの掃除をしたあとに、一緒にご飯を食べる取り組みをしています。ただ掃除をするだけでなく、そのあとに同じ釜の飯を食べることで、世代を超えた交流が生まれています。この活動が広がり、今では「自治会でコミュニティキッチンを作れないか」という動きにもつながっているようです。
朝からちらし寿司とおでん作って。自治会で空き家をみんなで整備しようの大掃除🧹して、ご飯食べました。おばあちゃん達が大活躍! pic.twitter.com/k62L1WTvmP
— ひらつかやよい/coneru 代表 🍞フードコミュニティデザイナー🥣 (@Coneru_yayoi) December 22, 2024
うちの地域では、アオスバシのイベントを知ってもらうために、一軒一軒訪問してチラシを配ったことがあります。最初は「なんだろう?」という顔をされたのですが、何度も足を運ぶうちに、「この間のイベントよかったよ」と話しかけてもらえるようになりました。
関係性は、一度きりの接触で生まれるものではありません。時間をかけて、少しずつ育てていくものなのだと実感しています。
「ただ一緒に食べる場」をつくる
アオスバシでは、すでに月に一度の「親子で食べる会」を開催しています。
南相馬に住む子育て世代の人たちが集まり、一緒にご飯を食べ、そのあと親子で英語を学ぶ会です。
英語の勉強が目的ではあるのですが、それ以上に「同じ園に通っていても、普段なかなか話せない親同士が、気軽に悩みや気持ちを共有できる場」として機能しています。誰かに「やってもらっている」場ではなく、みんなで場をつくるからこそ、対等な関係が生まれるのです。
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こういう場を、子育て世代だけではなく、高齢者含む地域全体を対象ににもつくれないかと考えています。
そこで、今年は芋煮会のような「ただ一緒に食べる会」をやりたいと思っています。材料費+少しの運営費をいただき、誰でも気軽に参加できる形にする予定です。
「お店に行くのはちょっとハードルが高い」という人も、「一緒にご飯をつくる場」なら気軽に来れるかもしれません。冒頭に上げた女性も「そういうのだったら参加しやすいかも」といってくださったので声をかけてみようと思っています。
まちの豊かさは「役割」と「自己決定」から生まれる
まちが豊かになるとは、どういうことなのでしょうか。
私は、「役割」と「自己決定」があることだと考えています。
震災後、小高はずっと「復興支援の対象」として扱われてきて、「◯◯してもらう」という側面での支援が充実してきました。でも、「してもらう」だけでは、本当の意味での豊かさは生まれません。
「●●してもらう」だけでなく、「自分が●●する」役割を持てること。
それができたとき、人は「このまちは自分の居場所だ」と思えるのではないでしょうか。
ゼロからのスタートを強いられた小高だからこそ、一人ひとりが関わりを持ち、誇りや尊厳を取り戻していく仕組みをつくっていきたいと思っています。
小さな一歩が、まちの居場所をつくる
居場所は、誰かがつくってくれるものではなく、みんなでつくるものです。
もし、この記事を読んで「たしかにそうかも」と思ったら、こんな小さなことから始めてみてはいかがでしょう。
町のイベントに、お年寄りを誘ってみる
地元のお店に「高齢者も入りやすい工夫」を提案してみる
まちの中で、すれ違う人に少しだけ話しかけてみる
こうした積み重ねが、地域の居場所と豊かさをつくる最初の一歩になるかもしれません。