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きっとヒトは死を意識するからこそ学びたくなるのだと思われる(その1)

 日本大学通信教育部文理学部哲学専攻というのが、私が籍を置いているところだ。通信教育部であるのだが、独立した学舎もある。

 というのも、スクーリングが平日の昼に通学制の講義と同じように受けられるからである。90分×15回で2単位。野暮な話だが費用は一万円。

 ほんらい通信なので、基本は2000字のレポートを2通と科目修得試験というテストに合格して、4単位を完成させるのが、オーソドックスなパターンだ。

 しかし私の場合、いかんせん読解力がない。普通の読書でも少し読んでは考えのくり返しなので読了は遅い。教科書なんてなおさらである。

 そういうわけで、講義を聞いて理解を深めるようにしているのだ。昼のスクーリングは週1回3科目とっている。

 昼のスクーリングは、おもに若いヒトが多く受けている。目的はヒトそれぞれであろうが、若いがゆえに、少ない労力で効率よく単位をとろうと考えているヒトは少なからずいる。

 若さの特権といえよう。遊びたいし、お金も必要だからアルバイトもせねばならない。そしてまずは大学に行き、卒業する。それが第一の目標である。

 しかし私のような中年の場合は、勉強が目的なのである。時間は限られているのだ。だからこそ、やりたい勉強をする。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。
この呼吸が続くかぎり、僕は君のそばにいる。

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