【雑談】わたしにとってのエンタメ
先週末、録画してたコンテンツ・ラヴァーズ、やっと観る。いやぁ、「俺の家の話」は今思い出してもしびれる。録画してる最終話の見直そうかな?
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たしかに、ドラマは、「わかるわかるわかる!」のリアリティ追求の共感ものと、「ドラマくらい夢見させて」のファンタジーと、どちらとも成立する。逆にいうとどちらとも成立するからこそ、それこそがエンタメ。
(俺の家の話、は、外で活動する時や旅行の時はマスク、家族の団欒時はノーマスクという、当時のコロナ禍の状況を先駆けて反映。そのため違和感なくストーリーにのめり込めた作品のひとつ、という話題が出ていました。)
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バラエティが「笑いくらい、ちょっと許してよ」だったのが許されなくなってる(リアリティに振り切り)からバランスが崩れて中途半端になりエンタメではなくなってる。
恋愛リアリティショーは「リアリティを掲げた」やはりファンタジーだったのかなと思うんだけど、構造が複雑すぎてバズりも生まれたけど、混乱も生んだ。
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わたしが「獣になれない私たち」を、再放送を録画するほど大好きなのは、基本ファンタジーとして観ることの多い恋愛をテーマにしているのに、「リアリティ追求」の視点から観ても違和感なく楽しめたから。(主人公ふたりが、ラブかもしれない、の状態で最終話を迎える。人ってそんなすぐ恋に落ちないでしょ、という恋愛ドラマへのアンチテーゼともとれる)
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作品とは、基本受け手がなんの思想も宗教も状況も、境遇も性別にも縛られずに自由に楽しめるからこそ、そこに作り手の試行錯誤が生まれるわけだが、そのプラットフォームが「テレビ」「映画館」「紙面」の枠を超え、「YouTube」「LINE」「TikTok」などなど裾野を広げたことにより、とくに受け手の「観る状況」が特定できなくなったことでリアリティとファンタジーのバランスが取りづらくなってきているように思う。
先日朝の情報番組で、ミロを飲むと男の子がラモス瑠衣になるっていう昔のCMを観てスタジオが盛り上がっていて、「僕らこれ飲んだらラモスさんになれると思ってましたからね、全員」と。テレビって、これでいいと思う。ファンタジーを子どもは信じることがあって、「ライダーになりたい」「将来プリンセスになる」、、、大きくなるにつれていつか「あれはファンタジーだった」と気づく。でも今は大人も信じちゃうケースがあるし、それを逆手に取っちゃう番組の作り方もある。子どもがのめり込めて、でも大人は理解して許せるファンタジーが難しくなっているのかも。
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ファンタジーが許容される世界。わたしはそこに生き続けたいし、その世界の中でまだまだエンタメには進化してほしい。
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そういう意味では、アマプラのマスクドシンガーは、ドリアリティーかもしれないし、リアリティ寄りのファンタジーなのかもしれないし。その議論こそが野暮なわけで、このまま絶妙なところついて貫いてほしい。
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