
【ドラマっこ】こっち向いてよ、向井くん
結婚したものの、最愛の彼が「夫」にカテゴライズされる様に納得がいかない女。
離婚歴のある彼と人生のコマを進めることなく恋を続けたがる女。
結婚の呪縛から解き放たれるために「結婚」したい女。
結婚しなくても幸せであることを体現したい女。
そんな彼女たちと対峙しながら、「結婚」ってなに?「恋」ってなに?「別れる」ってなに?という疑問に立ち向かう向井君。
ねむようこ先生の原作をゆるゆるマンガだと思って、ドラマも見始めたけど、あれ?これってけっこう深いぞ!

「幸せになってほしい」
子に対し親はそう願い、またその大半の場合「幸せ=結婚」の連想ゲームの中で期待をむける。
かく言うわたしも「幸せと言ったら結婚、結婚といったら子ども」のマジカルバナナ(古)を続けている身。
親もパートナーもそのゲームの行方に異議を唱えることなく見守ってくれているから、それそのものが「幸せ」だと感じる。
「独身でも幸せ」「子なし夫婦でも幸せ」「パートナー制度でも幸せ」そういった、マイノリティだった「幸せ」を耳にする機会が増えた昨今、わたしの辿ったマジカルバナナは成立しなくなってきている。
「あなたにとって幸せはなに?」という答え合せを「答えがまだ見つかっていない子ども」とすることになる親の現実を考えると、わたしはちゃんとその「答え」が出る(もしくは出ない)様を見届けることができるのだろうか?と自分の器の大きさにいささか不安を覚える。
「わたしの幸せにあなたは関係ない」というまさかの根底を覆す価値観を子どもに突きつけられる未来もあるのか?いや、それは育て方次第か?なんていう不安もあるな。
何にしろ「本人が幸せならいい」はわたしにとっては嘘であり、「子の幸せを一緒に喜び合いたい」そういうエゴイズムを、はじめての呼吸をし真っ赤な顔で泣き始めた我が子を抱いたその日から持ち続けている。

と、どうしても親視点で見てしまった第7話だったけど、他にもいろんな視点で楽しめる今話。
環田の元妻が放った「結婚してるけどわたしはわたしの人生だから」は言い方とか文脈によって正解の受け取り方が絶妙にかわる。
・妻のために(おそらく給与が下がり仕事の範囲も狭まるだろう)エリア限定職に転職を決めた夫へ「あなたもあなたの人生なんだから、もっと仕事で自己実現していいんだよ」
・(君のために)と夫のすべての言動に()付けがされているように感じてしまい、「私は私の人生に責任取るつもりだから、あなたの人生をわたしのせいにしないで」
などなど。
いずれにせよ、
「君の人生も背負う覚悟」を決めた夫と、
「私は私の人生を歩んでいる」と言った妻は、
どう考えても同じ方向は向いていない。
恋は向き合って、愛は同じ方向をむいて、と
どこかの誰かが言っていたけど、
まさにそうで「同じ船に乗っているか乗っていないか」はそれぞれのカップルによって異なったとしても「同じ方向を向いて進んでいる」という事実は違わないのでは。「同じ方向を向いて進めなくなった」ならそれは潮時ではないか。
さて、ドラマは向井・美和子ペアが破局となってしまったけれど(もともと付き合ってなかった、、、)
ほか洸稀・環田、麻美・元気、それぞれの行く末も気になる〜