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万治さんだったら、何て言うだろうか。諏訪バイパス計画の考察

はじめに

以前の諏訪市四賀ソーラー事業、もう少し前だと岡谷小学校統合計画から地域に関わる課題にはできるだけ参加しようと試みたが、一部の集会に参加したのみでしっかり自分の意見を育てるには至らなかった。今回も気にはなっていたが全く参加できず既に意見書の提出も終了した現在、せめて一人でも多くの方の理解を支援できるものができないか試みてみた。

この考察は、反対とか賛成とか言う前に今まで国や県や、そして地域自治体と計画に関連する企業や地域の方々が真剣に取り組んできた記録の断片をもう少ししっかりと把握するために個人的に作成した資料です。当然閲覧したものに見落としや解釈の違いもあるため安易に『正しい情報』と判断されずに、あくまで『ある人の解釈』として参考いただければと思います。

資料収集

諏訪バイパスの概要や計画内容
基本的に県が発表している資料を時系列的に追ってみた。作成はマインドマップを使い、県から提出されている資料の主なものを抽出、グルーピングし且つ見解資料などは、どの発表内容に関連しているかを中心に整理した。

キャプチャ2

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市民や事業者の意見と見解
気になったのは各説明会での市民の声とそれに対する県や自治体の反応である。こちらも検索すればするほど色々な資料がPDFにて公開されていることが分かるも取り留めがないため、主要な説明会と昨年12月の公聴会の議事録に対する見解内容を中心にまとめてみた。

キャプチャ3

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全体をイメージしたい

県(や自治体)の発信するPDFファイルに掲載されているものは図面であるため全体を俯瞰することができないし、現在(の状態)と比較するには限界があるためGoogle Earthを利用して計画の一部を落とし込むことにした。完全に3Dにできないが、様々な方向から閲覧できるため理解度が促進できると判断した。(資料は4月26日発表のものを参照した)

キャプチャ

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参考資料
下諏訪都市計画道路(PDF) 2021年4月26日
(下諏訪都市計画道路の変更案の再縦覧について)
諏訪都市計画道路 2021年4月26日
(諏訪都市計画道路の変更案の再縦覧について)

考察

必要だとする見解の根拠は、

自然災害(道路冠水)における地域孤立化・分断の解消、
緊急搬送活動の改善、観光活動と物流活動の混雑緩和それによる観光地の騒音緩和、地域住民の事故低減

にあるとすれば一定の市民の理解を得て動いている事業であることが分かるが、

諏訪バイパス建設に関連する、接続道路に対する環境配慮が後回し
万が一水源に問題が起こった場合の補償が検討されているように感じない
中央道との連携した具体的な考察が示されていない
平成26年の意見徴収がいまだ纏められていないなど情報公開の部分的な欠如
そもそも全体予算やその内訳(県や自治体の負担配分)などが見えず、実行することだけが先走っている感覚がする

などが見受けられる部分から、反対意見の方も一概に環境アセスの報告書を提示されても『はいそうですか、影響が無いのであれば安心』と簡単に納得できない感覚は、平成26年の意見徴収を、平成28年の4月の資料でまとめている内容の纏め方を見ても理解できる。そもそも、下諏訪岡谷バイパスとの接点である部分(岡谷市側)はすでに用地買収も済んでおりトンネル工事にも着手してしまいそうにも見え、その部分が先に進めてしまっては計画が無くなった際に逆に反発する市民が出てきてもおかしくないようにも見受けられる。

観光や文化事業にも、育成を前提にした一定の予算投入の必要性

諏訪パイパスが『地域に暮らしやすさ』をもたらす計画であるのであれば、例えば

諏訪5蔵の飲み歩きがもっと円滑に開催できるような条例の制定や、観光客が文化施設等で地元の人たちとコミュニケーションできるイベントの充実、ものづくり企業同士での新しい事業へ協業しながらの挑戦

など、縦割りに予算を区切るのではなく工事の一部を文化や技術育成、環境保全用途に使えるような横の連携による予算活用を検討すべきと考える。反対意見のかたが請願する相手が、その事業を管轄している部門ではないところが、意見を真正面に受け止めてもらえない問題点としても感じる。

人が物が行き来できることが便利になっても、行きたい場所(自分の必要なもの)づくりを創出する活動側に一切支援のない(別の部門の、別の予算で考えなくては行けない)ズレのようなものがシコリとして残ってしまうような気がする。

最後に

表題の『万治の石仏』とは、下諏訪の砥川沿い、諏訪大社下社春宮の奥に鎮座する石仏であるが3回廻りつつ願い事を納め、最後に『おさめました』と報告まで唱えさせる不可思議な石仏である。大好きで良く通っている。

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彼?はこの計画の事を何て言うだろうか。『今までも随分色々壊して来たでしょう。何を今更』と一蹴したりはしないだろうか。少なくとも彼から約数百メールの所に高架式の道路が通ることになる。

さて、椎名誠のデビュー作?である『さらば国分寺書店のオババ』にこんな一節がある

不思議なもので、人間というものは自分の生活にとってそんなに深い関係があるわけでもないのに、そこに黙って存在していれば安心し、なにか都合で急に無くなってしまった、ということになると、その空虚感は思いがけないほど大きなものになるらしいのだ。

自分が一番怖いのは、いつの間にか絶滅してしまう『人の心を潤わせるモノやコト』だ。こうしたモノ達は、直接的でなく間接的に絶滅しやすい。今回の工事で直接的に影響はないように見えても、ゆくゆく無くなるものは無いだろうか。それら価値を保ちつつ変化したり、統合されたりするならまだしも、二度と取り戻せない状態になって人の心を潤せなくなってしまう事は本当に悲しく愚かなことだ。

地域を魅力的にしてゆくこと。住んでいる人達が、今後も、住みたい、居続けたい、人を呼びたいと思える場所づくりに必要なのは、大きく効率的に便利にしようとする社会通念上の解決方法よりも、小さいけれども、一つひとつの課題に丁寧に取り組んで改善してゆく事には敵わないのではないかと思いたい。

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