運動部の宿痾

先日、麻雀界に依然として残る「これくらいいじゃん」的体質について書いた。

もちろん違法行為の罪状としては微罪もいいところであり、ほとんどの場合は摘発、起訴どころかその場で怒られて終わってしまうような話だ。僕が言いたいのは、罪状の悪質さとかでは全然なくて、本当に彼らはこれまでの麻雀のイメージを払拭して、より良くしていこうと思っているのかという懸念に過ぎない。

彼らが唱える理想やビジョンが絵空事、綺麗事であると多くの人が知ってしまった時、Mリーグはどうなるだろう、そう思う。次のチャンスは来るのだろうか。

まぁいい。多かれ少なかれその手の宿痾はどの世界にもある。今日はその話だ。

Twitterでこんなツイートを見た。Noteの記事の紹介だった。

読んですぐ、胸が痛くなった。僕が高校生だったころから30年以上経つわけだが、運動部のこの体質は何も変わっていない。デジタルデバイスが発達した現代では、ある意味においては悪化さえしている。

僕は高校の頃、野球部だった。公立の進学校だったから甲子園など夢のまた夢のチームだったけれど、それでも部室の壁には「目指せ甲子園」的な張り紙があった。夏の大会の前になると、マネージャーが折った千羽鶴も部室にあった。

高校1年の時、入部してすぐに頭を丸めてくるように命じられた。「気合を入れた長さ」にしてくるようにとの指示だった。僕はあまり頭の形が良くなく、丸刈りは全く似合わないので、スポーツ刈り的な髪形にしていった。

中にはいわゆる五分刈りの新入生もいて、青々としたその頭を先輩たちは満足げに頷きながら「あいつは気合入れてきた」と評価していた。僕のような長さは「気合が足りない」と評されて、その日は一日外野の小石を拾わされた。僕と同じような長さで僕と同じように小石を拾った仲間の一人は、次の日に五分刈りにしてきた。そしてノックをしてもらえた。僕はといえば、次の日はバッティングマシンにボールを延々と補給する役だった。

実のところ、その時点で全くやる気を失ったのだけれど、それでも辞めようとは思わなかった。いや、ちょっと思ったかもしれないが、部活を辞めたら恐ろしく暇になるのも分かっていた。(そのころはまだそんなに麻雀は好きじゃなかった)

僕にとって野球はそれくらい面白いスポーツだったし、上級生が抜ける日まで我慢すればいいと自分に言い聞かせながら、僕と同じように頭を五分刈りにすることを嫌がり、僕と同じようにやる気を失った数人の仲間と愚痴りながら1年目の夏の予選を迎えた。

その年の3年生を中心としたチームは2回戦で負けた。3ヶ月しか一緒に野球をしなかったから、正直名前も覚えられない先輩もいた。そのチームの何が強みで、どこに弱点があるのかもよくわからなかった。ただスタジアムのスタンドで手拍子をしながら、どこかの知らないチームの試合をしているのを見るような気持で離れていく点差を眺めていた。

当然だけれど、試合が終わった時、悲しくもなかった。その日、やっとこさまともに練習をさせてもらえるとむしろちょっと弾んだ気持ちで帰路についたことを覚えている。

夏休みになり、新チームが発足したのだけれど、そこでチームを引っ張ることになった新キャプテンは絵に描いたような脳筋人間だった。

情熱的と言えば聞こえはいい。けれど実態は、それこそうさぎ跳びで校庭を回ることが正義だと言い出しそうな根性論、精神論しか頭にない男だった。当時すでに、うさぎ跳びが膝を痛めるということが巷間に知られていたおかげで、うさぎ跳びこそしなかったけれど、練習時間は長ければ長いほど良く、休みは少なければ少ないほど良い、というタイプだった。

冗談のような話だけれど、この男の掲げた新チームのキャッチフレーズは「頭を使った野球」だった。

進学校だから、周囲から頭がいいと言われることに慣れている人間が集まっているわけで、そのキャッチフレーズ自体は特に抵抗なく受け入れられたのだけれど、問題は頭の使い方だった。

練習方法の合理化、効率化などではなく、プロ野球でも年に1回やるかやらないかの複雑なサインプレーの練習に熱を上げ始めたのだ。

守備時に、ノーアウトでランナーが1塁にいるとする。30年前の高校野球だからセオリーは送りバントだ。サードとファーストがピッチャーが投げると同時にダッシュで前進してバントをされたら2塁で刺す、というプレーがある。この時は当然1塁のカバーにはセカンドが入り、2塁にはショートが入る。

ただし、ピッチャーの投げるタイミングが早いとダッシュが間に合わないし、遅いと前に行きすぎないようにダッシュの勢いを止めなければならない。どちらのパターンもバントをされた時に2塁で刺せない。

そこでピッチャーは頃合いを見計らいながら投げるわけだけれど、そんなことに気を使っているから集中が散漫になり、ストライクが入らない。明らかなボール球はバントしてくれないから、何度も何度もサードとファーストはダッシュを繰り返し、疲弊していく。セカンドも1塁まで走るし、外野だってカバーに向うわけだから、みんな疲弊していく。

しかもその間に、バントをさせて2塁で刺す作戦と見せかけて牽制をするサインもある。ファーストがダッシュで前進するとランナーのリードは大きくなる。そこにセカンドが入って牽制を受けるという作戦だ。

やってみるとわかるけれど、セカンドの定位置から1塁ベースに着くには3秒くらいかかる。その間セットポジションでボールを保持するのはかなり大変だし、これもやってみるとわかるけれど、たいていの場合ランナーに気づかれる。それはそうだ。自分のすぐ近くにいるセカンドが自分の後ろを走って1塁に入ろうとしているのだから、これでランナーを刺すのは極めて難度の高いプレーになる。

セットポジションが保持できずにボークを取られるケースや、セカンドが1塁に到達する前に牽制球を投げてしまってボークを取られるケースも頻発する。こんなの何時間練習したって何にもならないのだけれど、脳筋にはわからない。

やっとこさそれが終わったと思ったら、今度は長打の時の中継プレーだ。

外野の間を抜ける打球をノックで打って、2塁や3塁まで中継していくプレーを延々やる。これは外野にとっては地獄だ。脳筋は内野だったからわからなかったのだろうが、30~50mを全力で追いかけてボールをカットマンに投げる、という練習はそんなに何度も繰り返せるものではない。

夏休みの多くの時間を割いてこんな練習を延々繰り返すのだ。正気の沙汰ではない。

しかも脳筋だから休憩を取らない。暑くてフラフラになりながら走り回るのを練習の成果だと考えるような人間ばかりだ。休憩時間に入ると、上級生が休憩している中、下級生はグラウンド整備をしてからやっと休憩を取れるのだ。

僕は体力には自信があるけれど、この練習にはうんざりした。隠れて水を飲んでいたら見つかって、連帯責任で1年生全員で罰走させられたこともある。水を飲んだ方が動けるのは身体でわかるから水を飲むのだけれど、脳筋にはわからない。気合と根性でフラフラになりながらもボールに食らいつくのが美徳なのだ。

しょっちゅう隠れて水を飲んでいた僕は、やがて同級生に「水原」というあだ名をつけられることになったのだけれど、それも全く気にならなかった。ボールを思い切り投げて思い切り打つためには、体力が必要だという確信だけはあったのだ。

野球のチームを強くしようと思ったら、どんな練習をすればいいか。

現代は情報が溢れているから答えは容易に見つかるだろうけれど、要するに出現頻度の高いプレーの確実性を高めることが大事なのだ。

送球の正確性を上げようと思ったら、適切な距離で素早く投げるようなキャッチボールを繰り返すしかないし、強い打球を打とうと思ったら、スイングスピードを上げるように努めるしかない。狙い球を絞って、しっかりとスイングする以外に、会心の当たりなど出るはずがない。

いいボールをコントロール良く投げようと思ったら、正しいフォームで、集中して投げることが大事だ。気が散っていたらまず狙ったところなど行かない。

野球はチームスポーツだけれど、その実態は個人競技の連続で成り立っている。連携プレーで大事なのがあるとしたら、せいぜい中継プレーくらいだ。それだって1試合に何度も出てくるようなプレーではないから、優先順位はそんなに高くない。

内野と外野でユニットを組んで、連携プレーがうまくいかないと全員で罰走、練習試合でエラーをすると罰走、複雑怪奇なサインを見落とすと罰走。(これも冗談みたいな話だけれど、ブロックサインのキーを投球ごとに変えたことがあった。当然出す方も間違える)

罰を与えれば思うように動けるなら誰もエラーなどしない。体力だけはついていくけれど、技術的にはほとんど進歩していかない。

僕みたいな根性の無い人間は目をつけられて、100万円くらいするバッティングマシンがあるのに、フリーバッティングでバッティングピッチャーとして何百球も投げさせられた。何が「生きたボールが打ちてえんだよ」だと心の中で呪いながら投げていた。

2年生の夏に、3年生を主体とするチームが1回戦で負けた時はざまあみろと思った。泣きじゃくる脳筋を見ても全く心が動かなかった。そういえば、脳筋ご自慢のサインプレーは公式戦ではついに一度も使う機会がなかった。

けれど、来たるべき新チームにも全く夢はなかった。脳筋が指名する新キャプテンには、同じ学年の脳筋がなるだろうということがわかっていたから。こいつは新入生の時に、何も言われる前から頭を青々と剃ってきた筋金入りの脳筋なのだ。もちろん野球も上手かったから、まぁ衆目の一致する人選ではあったのだが。

といっても、一応は最上級生だから、ある程度の要求はできる。しょうもないサインプレーの練習は頑強に抵抗したけれど、朝から晩までの練習や、休憩の少なさは変えられなかった。というより、自分の体力が有り余っていて、少々のハードさではへこたれなかったからかもしれない。高校生の頃の僕は、部活に加えて朝夕2回、犬の散歩で毎日1時間以上歩いていたし、学校にも自転車で通学していたから無限の体力があったのだ。

どうでもいいことなのだけれど、最後の夏は1回戦で負けた。一応主戦だった僕は、被安打は3本だったけれど四死球をたしか8つ出した。パスボールだかワイルドピッチで2点取られたのも覚えている。結局最後まで僕のノーコンは直らなかった。

これは嘘じゃなくて本当の話だけれど、同期の脳筋はかかとの疲労骨折で試合に出られなかった。走れないんだから試合になんか出られるわけがない。

でも、自分が走れないのに罰走をさせるのは気が引けたらしく、、試合前の数週間は罰走がなかった。

野球は面白い。今でも野球場で試合を観ると心が躍る。ボールがバットの芯を食った時の感触。高々と青空へ吸い込まれていく白球とボールを追いかける相手チームの選手の背番号。スタンドの歓声。部活を途中でやめなくて良かったと心から思う。

でも、それを味わえなくて辞めてしまった人がたくさんいることだけは容易に想像がつく。この運動部の宿痾はいつなくなるんだろう。

野球部の同期とも別に仲は悪くない。今でも時々集まったりする。でも、僕は自分からは絶対に当時の部活の思い出話はしない。そして、高校を卒業してから、僕は一度も野球部のOB会には参加したことがない。たぶんこれからも。

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