銅鑼の音は遠く
北国の夏が駆け足で通り過ぎ、ほんの少しの間だけ秋の気配が漂った後、試される大地に、長く厳しい冬がやってきた。内地(ここの人々は本州をそう呼ぶ)ではまだ秋はこれからだけれど、毎朝の冷え込みが、「覚悟はいいか、準備はできているか」と問いかけてくる。
もちろん覚悟や準備ができていなくても、冬はやってくる。容赦も、躊躇もない。
北の大地で準備が遅れるとどうなるかというと、駐車場から大きな通りまでの道に積もった30cmの積雪を、スコップ一本で雪かきしなければならない。行政の除雪車は幹線道路から除雪を行うから、生活道路には昼くらいまでやってこない。
車1台分の通り道10mを作るのに、だいたい2時間かかる。その辺の路肩に排雪することは禁じられているから、自分の敷地まで人力で運ばないといけない。大雪の朝、「車が埋まって出られないので遅れます」というのはこちらでは遅刻の常套句だ。
後悔して急いで除雪機を買いに行っても、冬には除雪機は売っていない。
除雪機は、秋までに買うものだ。
そして、薪ストーブを使っている家(北海道にはけっこうある)で薪がなくなれば、氷点下20度の寒さの中で薪を割る羽目になる。割ってある薪は、およそ2倍の値段がするからだ。
灯油ストーブを使っていて灯油が切れたら、ガソリンスタンドに20L入りのポリタンクをいくつも持って行って、凍えながら給油し、凍えながら運んできて、凍えながらホームタンクや灯油ストーブに補給しないといけない。
灯油の補給は室内ではできない。玄関先や部屋の中で灯油を補給してこぼしたら、石油臭に1週間は悩まされる。
夏のうちに除雪機を買う。薪を5㎥割っておくか、容量400Lのホームタンクに入れる灯油の定期配送を申し込む。これが北の大地の掟だ。いきなり灯油の配達を頼んでも、業者はすぐには来てくれない。
エアコン?こたつ?
そんなもので、ここの冬は越せない。
だいたいにおいて、この土地の冬は、東京よりも日の出は遅く、日の入りは早い。朝の7時はまだ暗く、午後の3時はもう日没寸前の照度しかない。一日の大半は薄暮以下の明るさで過ごすことになる。
ネトマに没頭するにはいい季節だ。
なのに、天鳳を打たなくなってしばらく経つ。これまでも時間がなくて打てなかった時期はあったけれど、今回は少し違っていて、余暇があっても打つ気分にならない。
Mリーグも以前ほどは観なくなった。Twitterの麻雀タイムラインを追いかけることもだいぶ減った。
きっかけは、はっきりしている。8月に運営から発表された、鳳凰卓東風戦の同卓募集の解禁だ。
そのときは少し様子を見ようと思っただけだった。そしてしばらくしてから1か月ほどの試験期間とするというアナウンスがあって、それなら1か月後の検証を待とうと思った。
まぁ実のところ、試験的な措置であることを後から発表することの意味不明さにも少しがっかりはした。マーケティングじゃなくて思い付きなのかと。
で、どうなのよ?
同卓募集OKにしただけで卓は常時立つようになったの?
1か月くらい試験期間とします、というアナウンスの後、その試験結果についてのアナウンスは、1ヶ月経っても出てこなかった。しばらくはちょくちょくツイートを追いかけていたけどやがてそんな気も無くなった。たぶん10月も終わろうとしている今になっても出ていない(と思う)。要するに検証する気はないのだろう。
全く打ってないから単なる推測だけれど、同卓募集が解禁されたからと言って、卓の稼働状況が活性化したわけではあるまい。たぶん鳳東の状況はほとんど変わっていないのではないかと思う。
そもそも既に雀魂という強力な競合に押されつつある天鳳で、同卓募集くらいで、24時間途切れずに対局ができるような状況が訪れるほど活性化されるはずもない。
僕は、運営を非難しているわけではない。
前にも書いたけれど、何かを変えるかどうかを判断すること、どう変えるか決定することは運営の権限だ。ユーザーにできることは要望を出したり提案してみることくらいで、要望にどう答えるか、提案を採用するかどうかももちろん運営の権限だ。だから、ユーザーの要望に応えて、とりあえず試験的に同卓募集をOKにしてみようという判断自体は当然ありだ。
ただ、その決定プロセスにはとても大きな違和感があって、自分が白けてしまったというだけの話だ。
昔、天鳳段位戦には特上卓までしかなかった頃、R1800をカットラインにすると決めるまでには、匿名掲示板で数千ものレスがあった。東南戦のポイント配分を東風戦の1.5倍にした時には、1年以上の議論があった。配信だって禁止に至るまでには多くの議論や紛争があった。
もしかしたら今回もあったかもしれない。でも今回は、最初のツイートから幾ばくも経たないうちに、結論が出た。パブリックコメント的なものは全くなかった。
驚いた。
天鳳が大事にしていたのは、麻雀というゲームにおいて根底ともなる、ストイックなまでの利己主義なのではなかったのだろうか。徹頭徹尾自分のポイントをプラスさせることが自分の得だと考えて打つプレイヤーが集まっていることこそが、天鳳を天鳳たらしめていると思っていたし、僕はそれを好ましく思っていた。
「特定のプレイヤーと同卓することそのもの」を得とするのはもちろんあり得る。キャッキャウフフを否定するつもりはない。それだって麻雀の楽しさだということにまったく異論はない。
けれど、天鳳段位戦においては、自分のポイントの損得以外の得は付加価値であり、キャッキャウフフがやりたければ個室でやればいい、というのが天鳳の設計思想だと思っていた。だから、今回の試みは、メインの価値と付加価値を逆転させるものになりはしないかと思った。
マクドナルドのサラダ
そこに僕は、何か違和感と言うかむず痒さを感じて、しばらくの間それについて考えていたのだけれど、ふと思い当たった。
マクドナルドのサラダだ。
マクドナルドが一時期売上を低迷させていた頃、やることなすこと裏目に出る時期があった。
「当店に望むことは」
「あったらいいなと思うメニューは」
などと顧客にアンケートをし、声を拾うのだけれど、何をやっても売れない。
その時に売り出していたのが「サラダ」や「ヘルシーメニュー」だった。アンケートをすると常に上位に来ていたからだ。けれど、サラダを出しても全く売れず、マクドナルドは長い低迷を迎えることとなった。
なぜか。もちろん現在においてはその失敗の原因は明らかだ。
「マクドナルドのメインの顧客は、マクドナルドではサラダを食べないし、「サラダがあったらいい」と答える顧客の大半は、何か要望を出せと言われるからそう言っているだけで、実際はそこまで求めていないし、本当にサラダを求めている顧客はそもそもそんなにマクドナルドには来ない」からだ。
たくさん声を拾ったのかもしれないけれど、本当に鳳東を支える顧客は「@1」「12時に予約します」のような形での卓立てを好むのかどうか。そのマーケティングは本当に正しいのか。議論も、検証もないままに変わっていった。
答えはこれから出るだろう。僕はもうあまりそこには関心はない。
余暇を過ごすエンタメはたくさんある
そう、他にも楽しめることはたくさんある。麻雀だけが全てではない。
今は今まで見られなかったスポーツを見たり、映画を見たり、本を読んだりしている。そういう意味ではとてもいい時代であり、いい時期だ。MLB、NFL、NBA、プレミアリーグ、ラ・リーガ、ブンデスといった海外スポーツがいつでも見られる。Jリーグも、Bリーグもある。
全部、月に数百円から数千円出せば好きなだけ見られる。ものによっては無料だ。
スポーツの場合、ライブじゃなくても見逃し配信もある。結果が分からない状態にさえしておけば、ライブと同じ興奮を得ることはできる。ただし、この「結果が分からない状態」にするためには、必然的にTwitterから離れることになるというのが、タイムラインを追いかけなくなった理由の一つでもある。
図は、僕が見ているスポーツエンタメのシーズンだ。ほとんど1年じゅう、複数のスポーツコンテンツが開催されている。真夏は屋外スポーツには不向きだからあまり開催が無いけれど、その代わりに余暇を費やすイベントがスポーツ以外に山のように出てくる。花火大会、BBQ、海水浴、キャンプ、登山・・・どれもエンタメにとっては強力な競合だ。
映画だって海外ドラマだって何でも見れる時代だ。Amazon-prime、Netflix、Hulu・・・全部に入っても月に1万円くらいだ。それで一生かかっても見切れないくらいの作品を見ることができる。もちろんそうはいっても、実感としてはその95%くらいは、2時間の視聴に耐える作品ではない。(そもそも僕も全部入っているわけではない)
Mリーグはファンを惹きつけられ続けるか
話は逸れるけれど、平日の余暇は長くても3時間だから、基本的にはそれに収まるようなものを人は選ぶ。それ以上は相当な熱心さを必要とする。
文字通り素人とは圧倒的な差があるプロスポーツでさえ、試合時間はだいたい3時間以内に抑えられている。圧倒的な動員力を持つプロ野球でさえ、時間短縮の努力は続けられている。億単位の費用をかけて作りこまれたエンタメである映画コンテンツも当然そうだ。(映画の場合は時間を気にするせいでかえってつまらなくなることも多いけれど)
それに対して平日に4時間以上費やされるMリーグはどうやって観客を惹きつけ続けていくのだろうかという疑問がないわけではない。録画で観ることを良しとした時点で、ネット配信の長所をかなり失う。少なくとも「熱狂は外へ」は行かないようには思う。一人で楽しめるコンテンツにしたいなら別にそれでもいいけれど、そうではないのに改善が不要だと思っているなら、たぶんそれは誤りだ。
麻雀は打った方が楽しいけれど、観戦してももちろん楽しい。この先起きる未来を正確に当てることはどんな熟練の上級者でも不可能だから、誰でも結果論でモノを言える。
実はこれはエンタメにとっては大きなことで、「通」しか楽しめなくなってしまうとエンタメは衰退する。ラグビーも歌舞伎も同じような悩みを抱えてから変わっていった。
こう書くと、僕がビギナー寄りの考え方だと思われそうだけど、そうではなくて、誰でも好きなようにあれこれ言えるということそのものにエンタメの価値がある。エンタメで食う人は、あれこれ言われることでギャラが発生するということを頭に叩き込む必要がある。提灯記事ばかりで喜んでいてはいけない。
まぁいい。それはここでの本題ではない。
エンタメで食うことの難しさ
ともあれ、空白になった「麻雀に使っていた時間」に、そういったスポーツエンタメや映像コンテンツがあっという間に入ってきた。僕の頭の中の「余暇の使い方センサー」は、驚くくらいすんなりと麻雀以外の使い方に順応して、がっかりした気持ちをどこかに追いやった。
エンタメに関わる人々にとって、これはわりと大きい問題ではあるだろう。僕は天鳳においてかなり熱心なプレイヤーだったと思うけれど、それでも些細なことで距離を置く。離れたまま戻らなくなる。
その原因は、距離を置いたときに、代替され得るエンタメがこの世の中には無数にあるからだ。僕はソシャゲを初めとしたゲームの類はもうやらないけれど、ゲームだって無数にある。漫画だってネットで読める時代だ。もちろん読むに値する書籍も無数にある。一生かかっても読み切れない。聴くべき音楽も、見るべきアートもいくらでもある。
逆に、何かを変えて奏功すれば、一気に拡大できることもある。けれど、その判断は昔よりずっと難しい。距離を置かれる要因は運営の方針決定だけではない。スキャンダルやゴシップも距離を置かれる一因だし、場合によってはSNSの発言一つで支持ががた落ちすることもあるだろう。月に数千円で見たい物を好きなだけ見られると書いておいてなんだが、30円は高い。
エンタメに生きる人は、そういう難しい時代に生きている。
別に、今回天鳳が失敗したわけでは、もちろんない。僕が最初から天鳳の運営スタンスを誤解していただけなのかもしれない。マクドナルドではサラダは売れなかったけれど、鳳東で「@3」と言って卓を立てることが主流になる日が来るのかもしれない。あるいはすでに来たのか。
その辺のところは、僕の手には余る。
いずれにしても僕は、麻雀というゲームからほぼ離れつつある。麻雀を覚えて30年以上、天鳳を始めて14年。ずいぶん長い間遊ばせてもらった。感謝している。これから先、打つことはあるのかもしれないけれど、それほど多くの時間を割くことはもうないだろう。
昔と違って、娯楽は無数にある。余暇という有限のものを奪い合う娯楽の世界で生きる人は、どれくらいそのことを理解しているんだろう。モニターの一番目立つところにあった一索のアイコンも、今はない。
2万回くらい聴いた、対局の開始を告げる銅鑼の音も、実のところ、もうそれほど懐かしくはない。
末尾は例によってポエム。
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