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ジャパンズ・ウェイというフィロソフィーに垣間見える日本サッカーに哲学が根付かない皮肉的な理由
日本サッカー協会は「ナショナル・フットボール・フィロソフィとしてのJAPAN‘S WAY」と題した指針をホームページに掲載した。
我々のアイデンティティに目を向けることで「弱者の論理から脱却し」、我々の武器を持って世界に打って出ていこうとの発想であり、世界の頂点を目指す道筋を立てていこうとしたのですーーとは、その冒頭部分を抜粋したものだが、このジャパンズ・ウェイで2050年までにW杯優勝を狙うのだという。
弱者の論理から脱却しとあるが、それはつまりの強者の論理になる。W杯優勝を強者の立場で飾ろうとしているわけだ。Jリーグが掲げる100年構想は、実現までまだ70年あるが、こちらは28年後、カタールW杯が終了して7大会後の話だ。いささか世界を甘く見ていやしないか、心配になる。
55ページにもわたる大作である。しかし、協会のトップページからそこに簡単に辿り着くことはではない。広く世間に周知させようとする姿勢がなにより感じられない。作成したことに満足しているように見える。1人でも多くの人に告知したいのなら、このページを電子書籍化して安価というか、無料で配布すればと提案したくなる。
だが目を通してみた率直な感想はと言えば、面白くないのだ。「フィロソフィとしてのJAPAN‘S WAY」は、ジャパンズ・ウェイが哲学であると謳っているが、目標、意気込み、宣言がほとんどであり哲学的ではない。ひねりやフックが利いていない。ウイットにも富んでいない。よってその話、面白そうだから聞いてみようとはなりにくいのだ。
筆者はこれまで欧州サッカー取材を通して、監督、指導者、評論家などから哲学をさんざん聞かされてきた。新監督就任会見の席上では、監督自ら口にするか、そうでなければ、記者が問い質すことで、その哲学は広く伝わることになった。
時に、人生観にも影響を及ぼすような重厚さが哲学にはある。個性、色も感じさせる。その言葉を耳にしたとき、ハッとさせられたり、心洗われたりすることもあるが、逆に体質的に受け付けない場合もある。賛否両論、振り幅が広い台詞でもあるのだ。
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