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「これまでお世話になったサッカーに恩返しがしたい」と言うけれど。日本の浮沈のカギを握る“元選手”

割引あり

 日本のサッカー進歩を語る時、いちばん外すことができない要因は選手の成長である。その国のサッカーのレベルは、サッカー界を構成する様々な要素の平均値になる。それは言い換えればその国のサッカー偏差値であると、筆者はこれまで自著の「日本サッカー偏差値52」等々で述べてきた。


 選手、監督、ファン、メディア、審判、協会、各クラブ、国内リーグ、代理人、テレビ解説者、スタジアム……が、その主な構成要素になるが、その中で先頭を走るのが選手であるというわけだ。各要素はお互いを相殺し合う関係にある。最もレベルの高い選手は、他の要素に足を引っ張られる立場にある。欧州組が100人に達したとされるいま、筆者には正統性の高い見立てであるとの自負がある。少なくとも本場欧州に人材を送り込めていない監督のレベルを、選手は確実に凌駕している。


 だが選手はいずれ引退する。監督を目指す人もいれば、解説者として活動する人もいる。協会やJクラブで仕事をする人もいるだろう。早晩、その他の要素に移行するわけだ。つまり選手は引退を機に、サッカー偏差値を上げる立場から下げる側に回る。現役時代、監督のレベルの低さを嘆いた選手を筆者は何人も知っているが、その言葉は引退するやブーメランとなって自身に跳ね返ってくる仕組みになっている。


「これまでお世話になったサッカーに恩返しがしたい」とは、引退会見で指導者の道を目指そうとする選手が口にする、お決まりの台詞だ。だが、他の競技はともかく、日本サッカーにその口上は適さない。現役時代の本人のレベルに、指導者として肩を並べることは容易ではない。現役時代のレベルが高ければ高いほど恩返しのハードルは上がる。


 なにより恩返しという言葉を用いる言語感覚に危うさを感じる。日本サッカーの特性を把握していない指導者に指導されても、選手のレベルは上がらない。監督を目指す資格なしと言いたくなる。その席で「将来日本代表監督を目指したい」とまで言ってしまう人も中にはいる。恐いもの知らずとはこのことである。

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