科学は馬鹿げているが、それを嗤う者はもっと馬鹿げている

最近の科学ってよくわからないですよね、理系大学生でもそう思います。

具体的に?ある程度勉強したことのある人ならわかりそうなワードを…
数学:ゲーデルの不完全性定理、リーマン予想、P≠NP問題
物理:超弦理論、クォーク
化学:ハイゼンベルグの不確定性原理、波動関数
生物:セントラルドグマ

なんとなく難しく聞こえそうなものをいくつか挙げてみました。
難しそうですねぇ〜(これらのものは高校レベルから未解決問題までレベルはバラバラ。)

こんな難しい内容って本当なんですか?一部の人たちが嘘をついているんじゃないんですか?馬鹿げている内容じゃない?

…と、人を見下すことは最も愚かで、自らの無能さを世の中に自己紹介しているようなものです。

この駄文の中では科学という単語を使っていますが、これは理系文系、そのほかの内容を問わずに言っています。ちょっと哲学とかは例外かも。

科学は一般の認識からかけ離れている

最近の科学って難しすぎて、専門以外の人の認知の領域から外れてしまっていると思うんですよ。

例えば、現代の身近なところで言えば…なんでしょう、mRNAワクチンとか、AIとか、量子コンピュータとかでしょうか?

mRNAとか高校の生物基礎で学習する(はず)ですが、それをちゃんと覚えている方ってどれくらいいるのでしょうか、あんまり多くないと思います。
生物の中の大原則として、セントラルドグマっていうのがあって、DNA -> mRNA -> タンパク質…みたいな原則があって…みたいな話。(私は高校の生物基礎/大学の教養での生物までしか学習していないのですがこれであってます?)

じゃあこのワクチンはどうやって機能しているのかっていうと、ワクチンは一度弱体化させた病原体を体内に取り込んで免疫をつけるもの。(最初は天然痘ワクチンだね)
ウイルスのスパイクタンパク質のmRNAを体に取り入れてそれを体内の細胞に取り込み、翻訳させてタンパク質を生成して免疫の細胞に学習させる、っていう仕組み。(であってますか?)

これ、報道機関がよくやるような一箇所だけの切り抜きしてみましょうか、
ウイルスのmRNAを細胞に取り込む。

いやまぁ正しいけど、何も知らない人は少し怖くないですか?
ウイルスを取り込む!?って

これは切り抜くような人間が悪いような気もするけど…
まぁとにかく、怪しい主張に対しては懐疑的に見ていきましょうね。

まだこれだけじゃなくて、言い回しもかなり誤解されていると思うんですよね。

「理論上可能である」とか、「完全に否定できるものではない」とか。
学術の世界と、一般の認知は大きくかけ離れていると思うんですよね。
そこをまたトラブルの原因だろう。

異論があるなら堂々と示せ

最近の研究って本当に正しいの?その主張を持つことを禁止しようとは思わない。憲法か何かに思想そのものを抑圧することはダメ、みたいなのがあったはず。(ですよね?) であるならば、どのようにして異議を唱えるか、が人としての真価が問われる部分である。嫌がらせのような、証拠も持たないレッテル貼りは愚かというか、「私の人間としての思考能力はこの程度です〜」って自分で底なしのバカであることを自白しているようなものだろう。

おおよそ学術分野では論文が自分の主張の正当性を示す武器である。じゃあなぜ論文が公に認められているのか?
まず、論文の形式を考えてみよう。

情報系なので、大体こんな感じの論文が多い。introduction, background, implementation, experiment, discussion, conclusion。
現在の状況はどうなっているか、提案するものは何か、提案手法はどのようなものか、実験結果はどのようになっているか、議論すべき点はないか、といったような構成である。

論文というのは、(おそらく全てが)多くの他の有識者からの多くの指摘を受けてきているはずだ。例えば、「この主張は、この場合にも成立するのか」「この実験結果は恣意的に有利になるような統計値を使っていないか」「正しく実験が行われているのか、対照実験として成立しているのか」など?

こうした数々の指摘を(一応は)乗り越えているのが論文であるため、(基本的に)正しいものである。もちろん実験のやり方が悪かったり、文章が少なく誤解を招きかねないものもある。

なので、既存の科学に対する疑問(某薬に対する某ing笑だとか)は、この形式に従って己の考えを内外に公開する必要性がある。
この形式に従わず、TwitterやYouTubeを情報源としてxxは有害である!など大声で罵る姿は実に滑稽である。高々数ヶ月インターネットを漁っただけの人間がどうして数年〜数十年かけて必死に勉強・実験した人間に勝てようか。

まぁつまり、戦うなら、フォーマットに従って戦おう!
ラップバトルでキレて手をだすような人間ほどダセェやつはいない。

終わりに

戦うならその土俵で戦おう。それが強いとは限らないが、少なくとも正当性はあるだろう。そのあたりの思考を放棄し、ただ大きな声で空虚な妄想を撒き散らすのは、非常に有害だし、能無しと思われても仕方ない。病原体を撒き散らす蚊と同類だ。過激な意見だが駆除されて然るべしだ。

大事なのは情報を集め、正しく理解し、他者に正確に伝えよう。また、わからないことは理解を詰めていこう。これが正しく現実に向き合えるものの行いだと思う。

もちろん、全てを理解するのは無理がある。自分だって数学をちゃんと細部まで理解していません。(ツォルンの補題⇄選択公理とかさっぱり)
なので、結果は正しく認識しましょう。ある条件のもとで、何をしたら、どうなる、っていうのはちゃんと押さえておく意味はあると思います。
それがヒューリスティックでも構いません。
でも幅広く情報は掴みましょう。一度バイアスがかかるとそれはよりバイアスを強めてしまいます。

幅広い見地と、偏らない情報収集、そしてそれを理解する知能。これらが非常に大事で、現代の社会を生き延びる上では重要なのではないでしょうか。

ちなみに、科学が人にとって幸せなものかどうかは今後考えを洗練させていく必要性がある。そこはまた別のお話だろう。


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