最後のガラケーを捨てた日 〜今はいない友人のメールを読み返した
スマホにしたのは、もう10年も前のこと。
今日、最後のガラケーを捨てました。
私は、目覚まし時計の音が苦手なため、目覚めた時に不快になるのが嫌で、細やかなメロディが流せる、ガラケーの目覚ましを使っていたのです。
でも、ついに充電器が壊れてしまい、もちろんガラケーの充電器なんて予備もないので、これで終わりにしようと決めました。
ものすごく気に入っていた訳でもないし、もう使っていない携帯電話。
とはいえ感慨深いものですね。
それはきっと携帯に思い出がつまっているからだと思います。
写真をSDカードに保存したかを確認し、何気なくのぞいたのはメールBOXでした。
そこには、今年の冬に突然亡くなった、友人とのメールが残っていました。
10数年も前のメールのやりとりだけど、その内容から当時のことを、ありありと思い出します。
彼女は女優仲間であり、日舞仲間であり、私に着物の楽しさを教えてくれた大切な友人でした。
ここ数年は全く会えていなかったけど、そのメールの頃は、日舞の稽古や飲みで定期的に会っていたので、たくさんのメールが残っていたのです。
それらを読み返していると、タイムスリップしたかのように当時のことを思い出します。
彼女から、どれだけたくさんの幸せの時間をもらったんだろう。
コロナになる直前、「今年は会おうね!」というLINEをしたのが最後で、落ち着いたら連絡しようと思いながら放置していたのです。
ただ、なんとなく気になって久しぶりに「元気?」と連絡をしたら音信不通。
嫌な予感がしていたら、旦那さんから訃報がありました。
もっと早く連絡をすれば良かった。
会えなくても連絡ぐらいはできたはずなのに。
こういう後悔って、たまらないですよね。
でも、早く連絡をしていたからって、彼女に何かできたわけではないし、私が命を救えるはずもない。
もっと早く連絡をしていたら、亡くなる前に会えたかもしれないだなんて、私の自己満足でしかありません。
ただ、まだまだ生きたかったはずの彼女のことを思うと、その無念を感じてしまい胸が苦しくなります。
改めて彼女のことを思い出しながら、最後のガラケーを捨てました。
「思い出はちゃんと私の胸の中にある」そう思って。
着物が大好きだった彼女から、私は着物をたくさん頂いていました。
「きっとこれ似合うから!」そういって素敵な笑顔と一緒にもらった着物もあります。
先日、彼女の家にお線香をあげにいったとき、彼女からもらった着物、帯、帯締めで伺ったのです。
もちろん喪服ではありません。
むしろ華やかな柄のお着物です。
でも、とってもファンキーで華やかで、楽しいことが大好きな彼女なら、きっと許してくれるはずと思って着ていきました。
こんな弔いしかできないできないけど、彼女からもらった着物を着るたびに、きっと思い出すと思います。
華やかな彼女だったから、着るたびに悲しい気持ちではなく、一緒に笑い合ったあの日を思い出しながら、袖を通そうと決めました。
もし、これを読んでくださっている方がいたら、少しだけお節介をさせてください。
「そのうち連絡しよう」と思っている方がいたら、できるだけ早く連絡することをオススメします。
みんな当たり前のように「コロナが落ち着いたら」と口にするけど、そんなのいつになるか分かりませんよね。
きっと、あなたからの連絡を喜んでくれると思います。
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