涙雨
知人の通夜に出席した。
近頃は葬儀を近親者だけで済ませて事後報告、ということが多くなって、そのような席に出ることがめっきりなくなったので、礼服に袖を通したのは久しぶりだった。
ウエストがきつくなっていたことはいささかショックではあったけれども、同い年の友人が享年54歳であの世に逝ってしまったわけで、彼や彼のご家族のことを思えば、そんなことくらいどうってことない、むしろ腹回りが豊かになったことはむしろ幸せなことじゃないかと思えた。
彼が亡くなったのは5月8日の夜遅くで、その翌日、知らせを聞いた。
通夜が日曜で、葬儀が月曜と伺って、通夜に出席した。
日曜は午後から涙雨になった。ただただ静かに雨音を聞いた。
祭壇の遺影はまだ元気なころの写真で、記憶の中にある彼の笑顔だった。
最後に見送った棺の中の彼はやせ細り、すっかり別人になっていた。
病は残酷だ。
あまりに急ぎ足でオレたちを残して去ってしまった。
ご冥福をお祈りします。どうか安らかに。
通夜の席ではいろいろなことが思い浮かんだ。
共にバレーしたときのことやわいわい騒いだこと。
やはり彼の声は記憶の中で鮮明に思い出された。
声の記憶はどうしてこれほどはっきりしているんだろう。
先日の知人女性が亡くなったときにも声が聞こえる、と思った。
同世代で身近だった人たちがこうしていなくなってゆくと、明日は我が身だなと思う。
だから、今後の人生設計を見直したほうがいいかもな、と妻と話した。
残された時間の過ごし方をもうちょっと具体的に描いておいたほうがいいかもしれない。
老後はのんびり、なんて悠長なことを考えていたらやりたかったことができずにその日を迎えてあたふたしそうだ。
わかっちゃいるけれどできないことが多い。
ついそのうちに、そのうちに、と後回しにしてしまっていること。
定年の決められていない自営業だからってこともある。
自分で線を引くのは案外難しい。
でもある程度決めておいたほうがよさそうだ。もちろん思い通りにはいかないことも多いだろうけど。
50代も半ばだとまだ早いと思ってしまうけれども、意外と早くないのかもしれない。
先に逝く友が教えてくれたこと元気なうちにやっておくこと
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