暑中見舞い
7月最後の朝の散歩。7月も今日までだからね。
暑い中コスモスが咲いてる。
コスモスは秋に咲くもんだと思ってたけど、案外今咲いてるのもあるね。
今年はクサギがいっぱい花をつけている。
クサギをくさいと思ったことはない。
今朝は AUTO YASHINON-DX 50mm F1.7 にしてみた。カメラは Z5。
今朝も雲が多めで暑さはたいしたことない。
階段上ると汗はじわじわでるけれど。
暑中見舞いが届く時期。かもめーるはなくなったけれど、まだ数枚は届く。
今年の立秋は 8月8日ということでそれまでは暑中見舞い。
立秋で暑さのピークが過ぎますように。
暑中見舞いのハガキはかもめーるがなくなる前からほとんど出す習慣がなく、いただいても返信をさぼることも多かった。
今も基本的にさぼっている。
年賀状は基本的に出してくれた相手には返信しているのに。
会社からの賀状には返信しないこともあるけれど。
すみません。
廃れてきたとはいえ、暑中見舞いってステキなやりとりだなあとは思う。
なのに元々やってないし、届く枚数も少ないしめったに返信も書かない。
ハガキを送るということをそもそもやらなくなった。
メールのやりとりも事務的なものだけになったし、メールも LINE に替わっていった。
その方との履歴が残るから便利だけど、久しぶりの方に LINE を送ろうとすると最後のやり取りが目に入るので何だか不思議な感覚になる。
ハガキくらいがちょうどいい相手ってのもあるなあと思う。
ただ、ハガキって、手書きの場合は自分が書いた内容が意図的に残さないと残らないので、出してしまったら何を書いたかわからない。
自筆の手紙って、メールや LINE よりも礼儀正しくて重みがあるはずなのに、自分の手元には残ってないから何を書いたら忘れてしまう。
それが手書きのよさでもあるんだろうけど。
手書きのハガキや手紙のやり取りって、いつ以来やってないだろう。
若い世代だと、そもそも切手を貼ったことがない、という人もいるかもしれない。
印刷された暑中見舞いを眺めながら、ふとそんなことを考えた。
字を書かなくなったなあ。どんどんうまく書けなくなってゆく。
漢字が思い出せなくなってる。
こういう時代だからこそ、手書きってしておくものかもしれないなと思う。
字を書こう。
手書きの文字って、味がある。
書いた字でがっかりされても、それもまたよし。
読めません自分で書いた走り書き名前くらいはまともに書こか
AUTO YASHINON-DX 50mm F1.7 / Nikon Z5
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