褒められずとも
兵庫県知事選は終わったはずがどうも騒々しい。
プロモーションに関与した方が手柄自慢的な内容を公開したことで法に抵触するのではないかとなって炎上してしまった。
そこで承認欲求という言葉を目にする頻度が増えた。
行き過ぎた承認欲求は確かに目に余る時がある。
とはいえ、そもそも承認欲求なんて誰もが持っている感情で、決して悪いものじゃない。
情報を発信したい人って、承認欲求は強めなのかな。
オレもその仲間だと思う。
周囲から認められたい、自分を価値ある存在として認めたいという欲求は、幸せに生きていく上で不可欠だもんね。
自己肯定感をあげるために。
自己肯定感が低いと、承認欲求が強くなる傾向があるといわれる。
いつの間にか褒められることが目的になってしまって、褒めてもらうためにがんばるようになることも少なくない。
褒められたらやる気出るもんね。
でも褒められたいと思い過ぎるのは注意が必要だって思う。
いつだったか、先輩から「お前褒められたいんか?」とたしなめられたことがあって、それがいつまでも心に焼き付いている。
褒めてもらえなくてもやりたいことをやって、満足感が得られたらそれでいい、と思えるようになって、落ち着いた。
判断するのは自分自身。
大きく儲かるような仕事はできないけれども、自分がやってることをいいと思ってくれる人を相手に仕事して、そこそこ安定しているなら十分過ぎるじゃないか。
他人からどう思われようがあんまり気にせず自分がいいと思うことを淡々とやり続けるのが自分には合っている。
見栄張らずに身の丈に合ったことをやるのがストレス少なくていいのよ。
自分を肯定しておく。
知事選関連では机をバンバン叩いてた市長さんが謝罪したことも話題になった。
22人の市長が結束して斎藤候補ではなく対立候補を支持すると表明したときのあれ。
きちんと謝罪できるって尊い。
誰だって間違えることはある。
でももし結果が逆で、斎藤さんではなく稲村さんが当選してたなら、謝罪することなく終わったんだろう。
結果に関わらず謝罪すべきことに変わりはないのに。いや、結果が違ったら謝罪も必要なかったんだろうか。
オレは結果は関係ない気がする。でもそうじゃないんだろうな。
もし結果が逆だったら、PR会社の折田さんもこんなことになってなかっただろう。
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机をバンバン叩いてしまった市長さんもどうだけど、確かに軽率だっただろう。
とはいえ、そういうミスを犯してしまった人に対するバッシングがあまりにひどい。そういう世に生きているのよね。
褒めたたえられたり、叩きのめされたり。
褒められもせず、叩かれもせず暮らしていたほうが穏やかでいいじゃないか。
目立たなくても、幸せになれるはず。
ひっそりと咲く花のもつ美しさ気づいてくれる本物ならば
SIGMA 45mm F2.8 DG DN / SIGMA fp