まだまだ2
前日に続いて土曜の朝も Canon New FD 35mm F2 と Z6 で朝の散歩へ。
近所のギボウシはまだまだキレイに咲いている。
アリがたかっているのよね。蜜を求めて。
密はあかんけど蜜はいい。
まだまだキレイなアジサイがある。こんなところにこんないいアジサイがあったとは。
まだまだ近所でも知らないことが多い。
バラもキレイに咲いてた。
土曜の朝だし、人影がないので気持ちよく撮れる。
アジサイの楽園は7月に入って夏の日差しに負けずアジサイが残っている。
ずいぶん色が変わってきてるのも多いけれど、レンズを向けたくなる。
レンズが同じだと相変わらず同じテイストの写真ばっかりになるけれど、すっかりこのレンズが気に入ったので。
クチナシもまだまだ新しい花が開いている。クチナシは咲いてすぐに傷んでいくから、咲いた日くらいしかこの白さは撮れないと思う。
逆光の朝日がまたいい感じで。
35mmだとあのアジサイにはちょっと遠いかなと思ったけれど、それもまたいいかな。
昨日は通らなかったこっちのコースへ。
昨日の朝と今日の朝では状況がずいぶん変わった。
息子の陽性が判明して、仕事を休みにした。
朝から抗原検査して、陰性は確認して、犬と散歩して、アジサイ撮って。
まだまだアジサイいけるやん。
今朝会ったネコは貫禄十分で、階段を通り抜ける時このネコはここを動くことがなかった。
どんだけ図太いネコやねん。
さすがに驚いたわ。オレもまだまだやわ。
50過ぎても経験したことないことがいくらでもあって、経験してないことに対する不安はいくつになっても変わらない。
もしかしたら年取ってからのほうが未経験なことに対して臆病かもしれない。いや、もしかしたらというよりも、たぶんそれは間違いない。
そういう意味ではまだまだでいたい。未経験に対することに対して強くありたい。
時代の流れが早いと、経験したことないことが起こるのは当たり前で、こんなことははじめてだよ、というのが普通のことだ。
はじめてのことを積極的に経験しておいたほうがいいかもしれない。
しなくていい経験もいくらでもあるけれど。
避けて通りたいことほど、経験しておくと強くなれるような気がする。
これまでもそこそこにピンチは乗り越えてきたはず。
それでまあまあ強くなったと思っていたけれど、まだまだだなあ。
それにしてもなんやかんやと起こるものである。
あれを乗り越えたんだからこれも乗り越えることができるはず、というのが増えてはきたけど、毎回ギリギリになってる。
あれを乗り越えたんだから、という経験がないと乗り越えられないってわけじゃないだろうけど、年を取ると、そういうふうに考えることでどないかなりそうな気がする。
それにしても、こうして昨日と同じように散歩して、写真撮ってると落ち着くものである。
朝の光がやわらかくていいなあ、なんて思えてる。
このレンズほんといいね。思い出のレンズになりそうだわ。
庭のアガパンサスやアジサイも終盤だけど、まだまだ撮りたくなる。
アガパンサスの花が終わる頃には息子の咽頭痛も軽減してくれているだろう。
ただ自然治癒を待つというのは長い。痛みに対してはより長く感じる。
まだまだ痛そうだ。
抗原検査は鼻から綿棒を突っ込んで鼻咽頭ぬぐい液を採取するタイプで、これがまたけっこう大変で、毎日やってると鼻の奥の粘膜が痛くて。5日間連続でやるってかなりストレスだわ。
まあこれも経験だ。
まだまだ油断はできないけれど、ここまで家庭内での拡大を防ぐことができているので、そこについてはクリアできそうな気がする。
うちの庭のギボウシが今年もキレイに咲いてくれたぞ。
こうして小さなうれしいを見つけて中和していこう。
乗り越えなきゃいけない時って、周りの誰かに助けてもらってるなあ、と感じることが多い。
決して自分らだけで乗り越えてない。周りに助けを求め、助けてくれる人がいるおかげで、何とかなっている。
そういうもんである。
困ったときは、助けてもらっている。たまには逆の立場になれるように、日々働きたいものである。ここもまだまだだな。
困ったら助けてくれる人だった困った時にやっと気づいて
Canon New FD 35mm F2 / Nikon Z6