当たり前
土曜の朝はまたしても寝坊してしまった。情けない。
カメラ持って出たけど撮る余裕なくて。
急いで散歩から帰ってつじつまを合わせる。
庭で少しだけ撮ってから出勤しよう。
おや、咲いてるぞ。
うちの庭でもツバキが咲いてくれた。
うれしいじゃないか。
クリスマスローズやミモザは毎年咲いてくれるので当然になっている。
もちろんこの子たちが咲いてくれるのもうれしいんだけど、この子たちはうちの庭でも咲くのが当たり前だから。
当たり前があって、当たり前じゃないことがある。
当たり前のことのほうがたぶん大切。
当たり前を大切にしなくちゃいけないのはわかっている。
とはいえ、当たり前じゃないことはつまり驚きなので、驚くことはアクセントになるから平凡な暮らしに変化が生まれる。
うれしい驚きもあればうれしくない驚きもあるけど。
うちの庭に移植したスイセンがこうして咲いてくれたのもうれしいアクセントだった。
うちの庭でもこれからスイセンが毎年咲いてくれるといいなと思う。
そうなれば新しい当たり前になる。
赤に変わった信号機を撮ってから、横断歩道を渡った。
なんで信号機を撮ったのかというと、カメラを持っていたから。
カメラを首からぶら下げているのが当たり前になった。
当たり前になると、それがないと不安になる。
朝日を浴びたスイセンがキレイなあ、と思ったとき、カメラがないと撮れないじゃないか。
それはとっても残念なことだ。
いい当たり前を揃えて、心地よく暮らしたい。
当たり前じゃないことだってそのうちに当たり前へとランク上がって
Carl Zeiss Planar 50mm F1.4 ZF.2 / Nikon Zf
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