私と吃音について⑧(大学時代)
二年間の浪人生活をへて、やっと大学生になりました。
大学受験で懲りたので、大学では、勉強はしっかりすることと決めていました。また、いろいろなことを経験してやろうと思っていました。
私の入った大学は、研究室に一年生から入れる制度がありました。私は迷わず、一番やりたかった所を希望し、無事入ることができました。
また、大学の同好会や、社会人のサッカーチームにも入り、一気に世界が広がった感じでした。
のちに、研究室が忙しくて、同好会やサッカーは辞めるのですが、いい経験ができました。
吃音の関係でいうと、一年生の時に、近所の人が、東京都の委託事業で「言友会」という団体が「吃音者講習会」をしているというのを教えてくれました。
言友会というのは、吃音者が作っている団体で、セルフヘルプグループ(自助団体)と言っていました。私は、中学生の時に本に書いてあるのを読んで知ったのですが、「こんな団体があるのか」と驚いた記憶があります。
そこに、同じ吃音者の兄と一緒に、週1回のペースで3カ月くらいでしたか、熱心に通いました。
そこでは、吃音の基礎知識を学び、発声練習、講談の練習、スピーチの練習、グループディスカッションなどをしました。
また、終了後は、近くの喫茶店に行き、お茶を飲みながら交流を楽しみました。
そこに行って、吃音が治ったわけではないですが、同じ悩みを持つ吃音者の仲間が沢山できたことは、私にとって大きな財産でした。
講習会が終わった後も、私は言友会の会員になり、週1回の例会に参加しました。
言友会の内部では、いろいろなサークルがありました。
その中に中学生、高校生を対象とした。「中高生吃音のつどい」というのを主催するグループがあり、私もそれに参加するようになりました。
「自分の吃音をなんとかしたい」から「人の吃音をなんとかしてあげたい」に変わった瞬間でした。
大学三年生の頃には、実行委員長を務めるようになりました。
内容の企画や準備、会場の予約や、広告を載せてもらうためにマスコミを訪問するなど、様々な活動をしました。
つどいを開催するために、いろいろな苦労をしました。
しかし、つどいが無事に終わり、中高生やその親御さんが喜んでくれている姿を見ると、何とも言えない充実感を感じることができました。
人間の脳というのは、人のために何かをすると、快楽ホルモンがでて、自分も気持ちよくなる。
そんなふうにできていると、どこかで読んだ覚えがあります。
当時の自分もそうだったのだと思います。
自分より若い、中高生(中には小学生もいました)の少しでも為になる活動ができた。
それは、自分の為でもあったし、相対的に自分の吃音の問題も少し減った。そんな気がします。
大学を卒業後、私は大学院に進み、就職活動に臨みます。
また、次回に書きたいと思います。
上の写真は、京都府八幡市にある「男山」です。頂上には有名な「岩清水八幡宮」があります。
下は、京都府大山崎町で咲いていた「水仙」です。