私と吃音について②(幼稚園、小学校時代)
先日、初めて私の吃音についてを書いたところ、今までの記事の中で、一番PVが多いことに驚いています。
吃音というのは、吃音でない人には分かりにくいものと思いますし、マイナーな話題ではないかと思っていましたが、多くの人に関心を持ってもらえて嬉しいです。
そんなわけで、続きを書く意欲もわいてきました。
今日は、私の幼稚園、小学校時代の吃音の体験について書きたいと思います。
私が吃音を意識したのは、幼稚園の時です。ただ、おとなしくて人見知りの子供だったので、そのせいで話せなかったのかは今となっては、はっきり分かりません。
実は私の兄も吃音者です。私は、子供のころは兄の真似をしてうつってしまったと思っていましたが、吃音が「うつる」というのが本当がどうかは分かりません。
ちなみに私は、男二人と女三人の五人兄弟ですが、吃音になったのは男二人だけで、女三人はなっていません。女性の吃音者もいますが、男性の方が吃音者は多いようです。男であること(男性ホルモン?)が吃音の原因の一つではないかと考えたりします。
さて、小学生の低学年のころは、先生から「落ち着きがない」といわれるくらい活発で、国語の朗読などは、自分から手を挙げて読んでいた記憶があります。たぶんそのころは、吃音はあっても、「気にしていない」時期だったのだと思います。
吃音を「気にする」ようになったのは小学四年生の時です。同時に症状もひどくなり、国語の朗読などは恐怖の時間になりました。なぜ、「気にする」のかというと、自我が芽生えてきたからといえると思います。自分のことを気にする、どもって笑われるのはカッコ悪いし、耐えられない、そんな気持ちが強くなってきたのだと思います。
吃音というのは、どもらずに話そうとすると余計どもるようになります。
たとえば、「タマゴ」と言おうとして、「タ、タ、タ・・・」と連発でどもるとすると、見ている人は面白いし、子供だったら確実に笑います。笑われるのはいやだから、「タ」だけで止めようとすると、その「タ」も出てこなくなります。必死に言おうとして、顔をゆがませ、手足をばたばたさせたりしますが、それが余計におかしいし、少し上の年代になると当惑した表情をされたりする。そのせいで、話すこと自体を避けるようになると人間関係や、生活全般にひびいてきます。
私が、四年生の時にはっきり覚えているのは、自分の書いた日記が先生の目にとまり、みんなにも聞かせたいと思ったのか、それを教壇に立って読むように言われた時です。
文の最初からひどくどもり、読み終わるまで長い時間がかかったと記憶しています。聞いている人も、どもったことだけが印象に残り、文の内容などは飛んでしまっていたと思います。
必死で読み終えて、自分の席に帰るときのみじめさときたら・・・。今、その時の自分に会えたら、「大丈夫だ」となぐさめてやりたい、そんな気持ちにかられます。
それから、六年生までの小学校高学年の時代が今思うと一番吃音で悩んだ時期かもしれません。
具体的にどんなことがあったのかはまた、次回に書きたいと思います。