思索のバルコニー 2月号
はじめに タイトル変更
フランス語のタイトルって嫌いじゃなかったのですが、なんとなくしっくりこないので、自分のブログをよく読んでくださるであろう方々を思い浮かべながら、自分が長らく書いていることも踏まえて真面目にタイトルを考えました。
シャーロックホームズのドラマや映画はいま観られるものは全て見ていると思うのですが、ルーシー・リューがワトソンさんをやった「シャーロック」版でAAミーティングでシャーロックが話している(麻薬やってた設定なので)ことを写真と一緒にブログにあげている人がいて、そのブログのタイトルから着想を得ました。私にとって思索というのは螺旋階段をぼちぼち、トボトボと上がっていくようなものなのですが、今回は階段でも廊下でもなく、バルコニーという外の世界との接点にある空間をタイトルに持ってきました。
このnoteも正直リハビリ半分で書いていたところが少なからずあったのですが、タイトルをきっちりと決めたことでここでお伝えするべきことに集中してお伝えしていけるんじゃないかしら、と思います。
ということで、短かったジャーナル形式のものから、少し系統立てながら、試作のバルコニーに立って新しい空気を吸い込むように、また、皆さんの声も聞こえるような場所にできればいいな、と思っています。
今年は数秘8の年
元々の仕事ができなくなって、海外からも戻ってきた頃、どうしようと焦るけれど昔みたいにも心身ともに働けない状態だったのでとにかく本を読むか勉強をしてたのですが、仕事=勉強だったので、何を学べばいいかもその頃はわからず、頭が回らないので学術系も難しかったし、資格取るような期限があるのもつらかったので何故か数秘術を学びました。今の自分なら考えられないのですが、数秘のことほとんど知らないままに習い始めたのです。で、先生に自分の数秘を教えていただいたら「あなた、このビル欲しいなっていえば明日手に入っちゃうような数秘よ(その当時のお言葉そのまま)」と言われるぐらい、ずっと鑑定している先生も初めてご覧になる珍しい数秘でした。その言葉の真意はというと、「現実化のパワーすごいよ」ということでした。ですが、当時の私といえば、帰国後、焦燥して日本にも馴染めず、心身ともに疲弊し切っていて、お金も仕事も満足にないつらーい状態だったのでした。そんな中で「あなたビル建てちゃうわよー」と言われても、ねぇ。「ちょっと何言ってるかわからない」
でも、思えばずっと心の中に残ってたんですよね。
それからもひたすら勉強は続けていましたし、何やってるんだ、自分?と思い続けながらようやく数年前から今に至る学びに本格的に舵を切り、自分で仕事をするのか?できるのか?となりつつある今年がなんとマイナンバー(政府のじゃないけど)8なのであります。
7は修行、8は現実化。昨年の自分は確かに目鼻はつき始めたけれど、とにかくやることをやり続けて形を見出さなくては、という時間だったと思い起こすと「確かに、7の年だったわねぇ」と天を仰ぎ見てしまいます。辛いけれどトンネルの先に明るさを感じるような一年でした。
そして2月の旧正月を過ぎたところで、Bon Jovi が高らかに頭の中で「It's my life」と歌い上げた時にふと調べてみたのです。今年の数秘。
その時を思い出して、AI氏に歌の一節から画像作ってもらいました。
日が昇りつつあるけれど、自分はまだボロボロの格好のまま、お日様を背中に浴びて座り込んでいます。
整えてからじゃないと走れない
50超えてからのセカンドキャリアなんてそうそう簡単なことではないのですが、大きく分けて二つのことがあって進められている気がします。
ひとつは、再評価。自分で何十年もビジネスやってた記憶をたった10年ぐらいで出てこないぐらい記憶の奥底にしまっていた部分が大いにあるのですが、それをいい形で引っ張り出そうとしています。どういうことかというと、自分の経験をゴミみたいに扱ってしまいがちだなってことなんですよね。それぐらい辛かったともいえますが、情報医学(タイムウェーバー)のおかげだったり、パートナーさんのおかげでぼちぼちと自分の経験に対してプラスとは言わなくてもニュートラルな評価をしてあげられるようになっています。さきほどのAI画像ではありませんですが、背中から火が当たってるのにまだ自分はボロボロなので、勉強したりいろんなことを整えることで、身なりを整えて走る準備をし始めている感じです。
30代の起業よりちょっと賢く
離婚したのと起業したのがほぼ同時で、色々早く結果を出したいと焦って失敗したことがたくさんありました。その一つがお金の使い方でした。その失敗をずっと引きずってしんどい経営をし続けてきた感覚がありました。今回はその轍を踏まないように時間をかけて、しっかり準備をすることが大事だなと思いながら仕事をしています。自分のビジネスを必要な人のところに届けるために何をしたらいいのか、その手段を学ぶって本当に大切で、できていることとできていないこと整理してまとめていこうと考えています。それが、数秘8というナンバーに秘められた現実化のために必要なことなのだろうと思っています。
学び方の変化
複数の事業と新規事業を同時に動かしつつ、尚且つビジネスのベースとなることを学んでいるのですが、ぼちぼちと進められているのはひとえにNotionとAIのおかげです。スケジュール管理、学んだことをデータベース化していつでも出せる環境にしておくこと、目標を途切れさせないということもすべてNotionで管理しています。
最近読書傾向も少し変わっている感じがあります。自分が読んだ本を若い人に紹介していく機会が増えたので、カッティングエッジで、最新の研究、だけれど基本的な学問の流れを踏まえている、思考やビジネスの基礎になる本を見つけては読んで良かったものをシェアしています。
おかげで自分の視野も広がって「いつか読みたいな」と思っていた本を気軽に手を取るようになりました。
自分らしさを認める
私はイギリス英語が好きなので、スピーチや発音の練習、聞き取りにも英国のものを使うことがほとんどです。先日久しぶりにエリザベス女王のスピーチを聞いてみたのですが、声の表現やトーン、人々に訴えかけるパワーがすごいなぁと改めて感じました。短い文章の中にたくさんの想いを詰め込んでいたという番組の録画を見返していたので、「少なく、想いを込めたものをしっかりと伝える」という姿、クリスマスのスピーチに数ヶ月かけて推敲される原稿には言外に多くの想いが入ったものだったろうと思いました。
若い頃のスピーチは初々しく、それを揶揄ってある貴族の方が「女王の話し方は真面目な女子高生のようだ、もっと親しげに話してもいいのに」とインタビューで答えたことが話題になったということも紹介されていました。その言葉を聞いた女王陛下の心中は如何なるものだったか、ということでした。
タイに住んでいた頃、「あなたのタイ語ってお坊さんみたいに古臭い表現多いよね」と友達に言われたことが何回かありました。その時はものすごくショックだったのですが、考えてみたら当然のことで、当時の私はタイの素晴らしいお坊さんの説法テープばっかり聞いていたんです。笑
留学していた頃は、誰も自分と丁寧な言葉遣いで話してくれるような生活環境ではなかったので、どこに行っても自分の話す言葉が恥ずかしくて仕方なかった頃もありました。
丁寧な言葉遣いは自分で学ぶことができますが、田舎の街で身についた彼らの生活習慣から得た言葉遣いは学んで使いこなせるものではありませんから、それが数年後、仕事に役に立つのですから人生って分かりませんよね。
エリザベス女王が、自分の職務とパーソナリティの間でありうべきスタイルを確立していったように、私も自分のやるべきことと自分らしさをうまく織り交ぜてやっていけたらいいのかもしれない、と思うようになってきました。「何が足りない」「何ができない」ということよりも、今ある状況をより調和を持って整えていく。
それが社会や周りの人の幸せにつながればいいなと思っています。
情報社会、AI社会に生きること
たくさんの情報がさまざまな人から発信されています。
本当にたくさん。情報の持っている価値がどんどんと下がりつつあります。その中で、私たちがどのように文章を読み、ものを選んでいくのか。
人間性の時代、とか属人性という人もいます。
いずれにせよ、ありのままの自分の魅力が勝負になってくる時代です。
今までの経験が全ての糧となって、より良い世界や宇宙のために自分を使える時期が来ているのならそれは嬉しいことだなと思います。
文章を書くことも、新しい事業を始めること、発信することが辛かった時期も全部愛おしく今を迎えるものだったとしたら何よりだなと思うわけです。そのために淡々と自分ができることをやっていこうと思います。
惜しまず働く
これは、奉公に来た丁稚やおなごしさんにかける言葉でドラマの中では出てきましたが、私たちのような商売人一家ではそれが暗黙のプロトコルでした。
自分の身を守るような姿勢ではなく、しっかりといただいている恩やご縁に報いるためにためにせぇらい(せいぜいしっかり)働くというのは商売人の社会で求められる最大の不問律でした。
大阪商人の生き残りとしては、出来が悪いですが、自分に染みついた三方よしの思想や、骨惜しみしないビジネスの仕方も再度自分の中に甦らせてこれからの新規事業にあたっていこうと思っています。
終わりに
ジャーナルという縛りを外し、新しいタイトルにすると書きたいことが自然に出てきました。Notionでブログ用のメモをとっているおかげもあるかもしれません。次回以降はもう少しテーマを絞って集中して、届けていければと思っています。
前にも書いたかもしれませんが、昔書いていたブログを読者の人から「辛い時の灯台のようだった」と言っていただいたことがありました。その言葉は私にとっての灯台のように、自分が文章を書くことをやめない理由にもなっています。いつかあなたに必要な言葉がここから紡がれているようにと願うばかりです。まだまだ寒暖差が激しい毎日です。どうぞご自愛くださいませ。また来月お目にかかりますね。