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データベースと抽出


はじめに

なかなかこない秋に、みなさん「そろそろ寒くなってきたねー」とか言いたいのになかなか言えなくて悶々としてるのではないでしょうか。私もそのひとりです。たまに涼しい秋風を感じたり、空を見上げて着々と季節は進んでいると独りごちています。出先のおみやげだよ!と栗ご飯にしてもらう気満々でくりを持ち帰ってきてくれるのを見ると、やっぱり秋に差し掛かっているようです。

旅という未経験

タンデムっていうのは、誰かのバイクの後ろに乗っけていただいての二人旅をいいます。普段から大きなバイクの後ろに乗っかってあちこち連れて行ってもらいますが、旅は未経験。最近は全くしてない長旅です(と言っても短い)。雨予報もあったりしましたが、本当に一瞬ぱらりとやられたぐらいで、走っている間にデニムもあっという間に乾く程度でした。



北海道から新潟、長野路を堪能しました。黄金に輝く稲の香りや雨の匂いを感じながら、フォッサマグナを突き抜けたり、ご縁のある場所を巡ったり。大好きな人の背中を堪能しながらの数日間はライダーはさぞさぞ大変でしょうが、同行1名はバイクに降りた後の体のケアだとかパッキングなどに注力しましたが、後ろに乗っている間は頭を空っぽにして風を感じ、街の匂いを感じ続ける大変心地よい、素晴らしい時間でした。


長縄跳びに入るタイミング

さて、そろそろと本題に入ろうかなと思います。私はAIのことも勉強しつつ、波動医療、情報医療についても仕事にしていますが、データの取り扱いについてはコンピューターが出てきたおかげで前職の時には想像もできなかったたくさんのデータを一度に扱っていける世界が広がりつつあるなと思います。情報を持っているということ、知識を持っていることが強さだった時代から、それをいかに使いまわせるか、横断的なシステムの構築などはやはりある程度の知識がないと回せないんじゃないかなと思っています。
とは言え私もまだまだひよっこですので習いながらぼちぼちなのですが、視野は広く、俯瞰しながら世界を眺めています。AI情報の世界のスピードに追いついて技術革新をアップトゥデートで伴奏していこうというのはとっくに諦めて、自分の必要なタイミングで、適切なところに飛び込む。これは長縄跳びに入る時みたいな感じなんですが、そのタイミングがそろそろやってきたようです。セーのっと意を決して入っていく。そのための準備とその先に広がる世界を楽しみにしています。それもこれも皆素晴らしいメンターさんたちのおかげでできることなのですが、本当に一つ一つが楽しく、充実しています。違う業界で諦めてしまったことを何倍ものスケールで到達しようと目論んでいるのですから、楽しいに決まってますよね。

AIにせよ、情報医療にしてもデータベースは無限と言っていいような膨大さなんですが、大事なことは「抽出条件」なんじゃないかなと最近感じています。人間の器や学習している程度、人生経験の多寡で同じ事象についても理解する深度や見方、気づきが全く異なるようにより「わかってるな」という条件を出せるかどうかはやはり本人の習熟、経験によるのではないか、これはAIであれ情報医療であれ(もちろん情報医療サービスなどでは誤差がないように配慮はされるのでしょうが)、その差がどうしても埋まらないといいましょうか、この人に頼みたいと思うだけの価値でもあると思います。
例えば、最近たくさんのAIプロンプトを書く人が出てきて、有料無料でシェアしていたりします。当初は圧倒されながら見ていたのですが、そのサービスの内容をチラチラと見ていると自分とフィットしない、使いたい、とならない。それは業務的な問題でもあるかもしれないし、仕事の仕方かもしれないし、そんなことにAI使ってもなっていうことかもしれないし、とにかく温度差を感じることがありました。
それは端的にいうと生きている世界が違うから=抽出条件が違うってことなのかもしれないとも思うのです。
私の分子栄養学のお師匠さんは人間AIみたいな方なので、ある栄養素や症状を聞くと溢れんばかりにたくさんの情報が出てきます。
自分で身の回りの人(自分を含む)の健康に対して前向きに改善していきたいと考える人という条件に先生の答えはいつも配慮と深い知識に基づいていて、これこそが真の医療人だなと思うとともに、同じ世界=抽出条件が一致しているところで正しくスイッチを押しているからこそ先生の知識が質問者やその周りの人の改善に寄与するわけですよね。

フラクタルの一端

AIにしても情報医療にしても、最近は一般的になりつつある分子栄養学でもまだまだこれから多くの人が理解したり利用するようになるまではずいぶん時間がかかると思います。それでもあらゆる世界で同好の士が少しずつ集まり、増えていき、コミュニティを形成して自由な場を通して自らの望むべき世界を形成し、幸せだと思える環境や状態を作り出していけるならそれが本当の多種で多様な社会だと思います。そこにはお互いを尊重することが大前提になるのかもしれませんが、何はなくともまずはその長い道のりの歩みを進めていくことが大きなリフレクションのきっかけであり、フラクタルの一端になるのだと思います。その力の大きさは個人の熱量に比例するのだと思います。私が長い時間をかけて情報医療に手が届いたのも同じこと。一歩づつ今できることに歩みを進めていたからだなぁと思うので、皆様もそれぞれの世界でぜひ。


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