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こじらせ人生悲観絶望20歳女が嫌いな地元に帰って祖母との二人暮らしとドタバタカフェを始めたら色々あったけど最高だった話

19歳の私は人生をとにかく悲観し毎日絶望していました。 

曇天の空のような顔色、唇の色は多分誰かに取られてて、空気中の悪い水分全部私に入ってきてるんじゃないかっていうくらいむくんでいました。


ちょっとした失敗や逃げや諦めが重なり、人生終わりだと全てを諦めていました。




おいたち(無視して大丈夫!)


もともと、やる気と根性たっぷりで負けず嫌いな私は、長崎県五島市で生まれ育ち、目立つことが大好き。うざくて鼻息荒い系女子でした。

小学校くらいまでは、東大に行って首相になると本気で思っていました。それか宇宙飛行士。


憧れを胸に、高校は田舎から福岡の都会の方の学校にちょ〜〜〜張り切って飛びだしました。


卒業式では、みんなそれぞれ先生や友達、親に感謝とか言ってるなか、
「華のJK生活送ってきます♪⭐︎」
と大声で一言だけ放ち中学生卒業しました。

そして、浮かれまくっていた私は必要もなく都会の制服を着て田舎の街を駆け回っていました。

それだけ張り切っていたのに、高校にいざ入学するといろんな現実に撃沈してしまい、あっという間に不登校になりました

ゾンビのように痩せ細り、汚めの海のような顔色で毎日過ごし、結局は高校を辞めてしまいました。


高校生になって、少し大人になった私が、社会から見た自分の立場、現実を知りまず撃沈。

勉強めちゃくちゃできると思っていたら、普通どころか、できない分類で撃沈。

お金の使い方に撃沈。

周りのみんなのほうが運動も勉強もお金も家柄も美貌も全て持ってるのに、私はな〜んにもない。


そして一人暮らしの難しさに撃沈。
一人暮らしって楽しいものだと思っていたのに、スーパーの食材の買い方すら分からず、制服はしわくちゃのままで登校していました。

知らない世界を一気にたくさん知って、自分の何にもできなさも知って、息苦しく、生きづらくなりました。

何をするにも楽しかったのに、何をしてもやる気も自信も出なく、楽しくなくなってしまいました。

高校辞めてからは、とにかく暇だけど、何も手につかず、ずーっと体がむず痒い感覚。苦しかった。

大学進学も目指したものの、諦め癖がついており、予備校の息苦しさに秒で断念してしまいました。
現実を知りたくない、ダメな自分を見たくないがゆえです。

絶望の淵の私を救ってくれたのが「お菓子作り」でした。


元々料理もお菓子も何もできないし、やるタイプではなかったのです。

お菓子作りを始めたきっかけは、下北沢にあって惜しまれつつ閉店した『TiSSUE』の可愛すぎるケーキたちを見て、

私もこれ作りたい!!!!

と本当に炎が内側から燃える感覚がして、そこからは何日も寝食を忘れてお菓子作りに没頭しました。


日本人全員に配れるくらいの勢いで作っていたため、始めてすぐに上達しました。
息止めて熱中しまくっていました。

このときはまだ「ひとりで」ひたすらお菓子作っているだけだったので、自分のお菓子作りのレベルを「すごい」と勘違いしていました。

「ここまですぐうまくなれるんだったら、店持てるんじゃね?」

と、かつて東大入学して首相になれると思っていた私が現れて、その根拠のない自信家の私が「これだけできるなら店できるやろ!」と唱え続けて、


そう思い始めたら、店を持つことしか考えられなくなりました。

これがもし、専門学校に行って周りにたくさん人がいる環境だったり、インスタやTwitterでお菓子作ってる同年代のアカウントを見ていたら、

「自分はまだまだだ、、、 」と確実に諦めていたと思うのですがひたすらひとりでやっていたため、

自分は才能あるかも!!!お菓子作りの申し子なんだ!!と勘違いしていました。


これは、、

店をやるしかない!!!いますぐ!

と思い、「都会でやるには、家賃の面や競合の多さから絶対に無理」

と、さすがの私でもわかっていたので、初期費用がかからなくて、競合も少ない地元に帰って開くことを決意しました、

結局、地元は物件が少なく、工事費用がかかるところばかりでした。 


ちょうど私が店を持ちたいと思った年に飲食衛生の決まりが変わったところで、叔母がやっているスナックの間借りだと、初期費用もそこまでかからず、夜の営業時間までなら好きなように使えると言うことで間借りで始めることにに決めました。


祖母に、「1ヶ月後に店開くから、ヨロピク」とLINEを送り、

「はい」としか返信がなかったため、やっぱり店って簡単に開けるんだ。と猛烈勘違いしていました。

(祖母はLINE慣れてないのと老眼なのとでLINEは基本適当ってだけで、後々私が飲食やることに対してどう思っていたか聞いたら、「自分も居酒屋ずっとやってるけどたくさん苦労したから孫には苦労してほしくないから飲食はやらないで欲しかったけど、燃えてたから止めることもできなかった」と話していました。)


この時の私は、お菓子の技術と少しのお金さえあれば店を開けると本気で思っていました。


様々なカフェ開業記録を本やブログで読んだりしましたが、経験も場所も人それぞれ。

とにかくやってみないとわからないじゃん!!!! と思い、読んでいても、「早く動きたい!」という気持ちがいっぱいすぎて、ただ本をめくる作業になっていて全然頭に入ってきませんでした。

結局、全然知識身につけることなく、ドタバタしながら開業しました。 


カフェやろう!と思い立って、次の日に食器とか設備品爆買いして、
1週間後くらいに地元に帰って祖母と二人暮らしが始まり、翌月には開業していました。

カフェの店名は「もしもし五島列島」

高齢者が多い五島で親しまれるためには、どんなに簡単でも英語ってだけで嫌う人が多いので英語が厳禁なのと、子供でも覚えやすくて、観光客とかSNSで五島のことを検索したときに出てきそうな名前にしました。

大きな自信とともに始めた私でしたが、

準備大変だし開業後は超不安だし、毎日泣きながら開業準備をしていました。

誰から頼まれたわけでもなく、自分で勝手にやると決めたことなのにバカみたいになやんで、


ちょっと一旦落ち着け」と色んな人に言われまくっていたのに、全部無視して、とにかく早くなにか自分に居場所とスキルが欲しい!と焦って開業準備をしていました。

毎日感情パニックでした

開業1週間前になると、間に合わない現状と、急に襲いかかる不安とプレッシャーからケーキ2台一気にひっくり返したり、クッキー全部割ってしまったり。

本当散々でした。

トムとジェリーの世界。ドミノのように一つの失敗でいくつもの失敗が連鎖していました。

超ダサいですが、その度に泣き喚いて、母に「どうしたらいい〜」と電話していました。



メニュー表はオープン1日前にやっと完成したり、
やらなければいけない書類よりもやらなくていいインスタ検索とかしたり、

本来真っ先に考えなければいけないコンセプトや値段、営業時間やオペレーション全て考えずにオープン。


わがままかつ見栄張りかつ都会アピをしたがるため、初めは少しずつやったらいいのに、初めからたくさんの種類と量を並べたいと思い、とにかく寝ずにお菓子を作っていました。


配る時間がなくてチラシは10枚しか作りませんでした。

そしたら、各自で印刷して配ったり、商店街の各店舗貼ってくれていたり、スーパーに買い物に行ったら「店やるんでしょ!?チラシ貼っといたからね」と言われたり。

私自身は知り合いは少ないけど、両親どっちもの実家でもあったり、繋がりが広くて何もせずとも広まってくれたのは田舎ならではです。

SNSに関しても、すぐ広まりました。
たくさんの人が拡散してくれて、住んでいる人たちに一気に広まりました。


オープンした日もたくさんのお花が届き本当に驚きました。
たくさんの花を見て、
地元の悪口や、自分の冴えなさは田舎で生まれ育ったせいだ!!と文句を言っていた最悪な自分に対してこれだけ祝って貰えるなんてと、申し訳なさで泣いてしまいました。


同時に、
「これだけ祝われても、期待に答えるようなすごいことは一切できない。私にはへっぽこなカフェしかできないけど大丈夫かな!!!???汗汗汗泣泣泣」

と、オープン1時間前にして大パニックになっていました。

後にわかりますが、家族も親戚も周りの人もみんな、いい意味で若くて経験もない私には全然期待してないので、ただカフェを開けるってだけで十分だったと知りました。


実際、オープンすると、全然うまく回せず、たった1杯の飲み物作るだけで1時間かかったり、
常に絶叫マシーンに乗っているかのような高揚感とパニックと、気持ちも体もとにかく忙しく初日を終えました。


並べたお菓子が全てなくなり、すっからかんになった店内を見て嬉しさよりも先に喪失感に襲われました。

これから毎日仕込みに追われて、並べて、
オープンしたら飲み物や軽食作って、本当にカフェやっていける?

と、実際にオープンして初めてカフェの大変さをちゃんと理解し、とてもとても怖くなりました。

そして、一応スナックが開く時間までの間借り営業なので毎日のセッティング作業もあり、時間と体力との戦いが始まりました。

こんな感じです↓

スナックの状態
カフェの状態
そして、この黄色の布はオープン3時間前に届いたもの。



これが想像上では30分くらいでできるつもりだったけど、実際やると収納や掃除も含めて2時間くらいかかっていました。

本当は10時オープンで、18時にお店閉めて、仕込みも営業中にやったり、朝のうちにするつもりでしたが、全然間に合わないので、

スナックの営業中も仕込みをさせてもらうことにしていました。


そのため、スナックのお客さんたちはケーキや焼き菓子の焼ける匂いでいっぱいの店内に入るときに「いいにお〜い」と、まるでファブリーズのCMのごとく深く息を吸って入ってきていました。

スナックで仕込みをする上で1番の問題点は、カラオケと、ハンドミキサーの音の兼ね合い

うるさめの曲を声でかめの人が歌う時は何も気にせずに使えるのですが、

バラードや、声が小さい人が歌うと、ハンドミキサーの音で全てを消してしまうんです。

イントロの時や間奏のタイミングでガンガン回すようにして、工夫していました。おかげで、スナックのママである叔母よりも常連客の十八番について完全マスターしていて、昭和歌謡もたくさん歌えるようになりました。

お察しのとおり、これはスナック間借りならではの十八番エピ。

今でもカラオケに行って、昭和歌謡ドヤ顔で歌って、「なんでこの曲歌えるの?」の質問に

待ってましたー!!

と言わんばかりに食い気味でこの話を語っています。


仕込みについてですが、本当に毎日寝れなくて、特に、経営から仕込み、準備の全てを1人でやっていたこともあり、飲食店は体力勝負だとつくづく実感しました。

私自身が知識がなかったということもあり、ひたすら労働することでしかお店を回すことができませんでした。

寝ないか、3時間睡眠が当たり前で、大体はキッチンで倒れて死んだように寝る感じでした。


意識朦朧としながらお菓子を作っていたのでお菓子の匂いすら嫌いになり、甘いものが今でも少し苦手です。

祖母飯

祖母が差し入れてくれるご飯の量が海賊王レベル
自分も朝から晩まで居酒屋で働いているのに家事も料理も全てやってくれた祖母73歳。
どんなに夜遅くまたは、朝に帰っても、必ずご飯を並べてくれてて、お茶も必ず用意してくれていました。


意識朦朧としながらお菓子作るくらいなら、品数や営業日減らすほうが断然いいと今ではわかるのですが、

この時はとにかく燃えてたのと、期待されてるから答えなきゃって勘違いしていたのと、なにもない自分だったから頑張ってる姿を見せなきゃ!など、いろいろあって間違ったやり方をしていました。

しかし、初めて「自分の特技、好きなこと」を見つけられたような気がしてとにかく嬉しかったです。四六時中お菓子のことを狂ったように考えていました。夢の中でも本当にずっとお菓子作っていました。


そうはいっても、とにかく毎日きつすぎるし、テレビもスマホも本も見る時間ないし、寝ずに働いているのにお金は全然生まれないし、好きで自分がやりたくて始めたことなのに、なんでカフェなんて始めたんだろうと後悔ばかりして、泣いたり悩んだりたくさんしていました。

いろんなお客さんとの触れ合いや出会い

これが私の大きな心の支えとなり、悩みも疲れも吹っ飛び、


なんでカフェなんてはじめたんだろう、、から、

カフェやってて本当によかったなー!!!
と思え、私の考え方も少しずつ変わっていきました。

本当は、カフェを始めるにあたって1番嫌だったのが接客や人付き合いだったんです。

ずっと引きこもっていたし、こんな私と誰が話したいんだ。とかひねくれた考えもってたし、人と話しても楽しいことないしコスパ悪いとすら思っていました。

しかし、今となってはむしろもう接客しかしたくないくらい大好きになりました。

たくさんの人との出会いと会話が私を変えてくれました。


まず、毎日あらゆることに不平不満いったり、すぐキレたりしていたのがだいぶ減りました。


カフェを始めて、初めて人になれた気がしています。


心の広さが刺身醤油皿しかなかったのが流石に大皿にはならないけど、グラタン皿くらいに少し深さもついて広くなった気がします。

お客さんは本当にいい人たちばかりで、

私のために祖母がお金払って雇ってるのかな?と疑うくらい、いい人しかいなくて逆に怖いくらいでした。

「なんでここまで許してくれるの?」とか、「なんでお店に来ているのにお客さん側が気を使ってくれるの?」といったことばかりで優しすぎて、みんなマザーテレサでした。

常連のお客さんがいたり、小学校、高校、保育園が近くにあったので、親子や学生、年齢層も広く男女共にいろんな人が来てくれました。


アイシングクッキーをメインに置いていたので、「子供が来て見て楽しい」お店になれたことが嬉しくて、

小さい子が目をキラキラさせてお菓子を見ている姿はみんな可愛すぎて、とにかく癒されていました。

いままで全然子どもとか好きじゃなかったのに、小さい子が大好きになりました。お小遣いとかお菓子とかをあげたくなってしまう人間の心理も初めて知りました。本当に可愛い。 

幼稚園〜小学生くらいのこたち
一生懸命見て選んでかわいい。


こうなったら高校生とかも可愛くて、特にカップルとかでモジモジしながらカフェに来て男の子が奢ってる姿なんて見ると、
「頑張ったねー!緊張したでしょ!!!」と言いたくなっちゃうし、むしろもう可愛いからお代いらないって思っちゃう。



一人ひとりの好きをたくさん詰め込んだ、世界に一つだけのオーダーメイドケーキも看板商品で、

これを実際に受け渡しするときのお客さんの反応が嬉しくて、
最初の方は、「わあ〜!」と言われたり感謝されると、こんなにも喜んでもらえるなんて!恐縮です。

みたいな感じだったのに、
続けていくうちに、ケーキの箱を開けるときからベテランマジシャンのように、いい反応しろよ〜と圧をかけながら周りくどい手つきで箱を開けて、喜び待ちをドヤ顔でしている自分がいて、受け渡しした後にトイレに行ってふと鏡を見たときにドヤ顔が張り付きすぎていて本当に調子乗ってて反省しました。

大切な日のお祝いであるケーキを作ることはプレッシャーでもありましたが、その分何百倍の嬉しさがあって、お金をいただいて作らせてもらっているのに、こんなに感謝されるなんて本当に贅沢な仕事だと感じました。

ウエディング


軌道に乗り始めた時、

間借りではなく、店舗で営業しようと考え、店舗契約をし、内装工事にも入ってもらって、あと少しで完成!というタイミングで


大家さんとの意見の不一致で全てが白紙

になってしまい、理想の実現があと一歩だったということと、たくさんのお金を失った悲しさで、地球壊れる勢いで泣き喚いた時もありました。

しかし、大工さんからは若い時は自分も苦労したから!と、お金いらないよと言われたり、たくさんの人に励まされました。

祖母からは、「人生死ぬまで勉強。私は、1000万元旦那に借金背負わされたあと、娘たちの留学と私立進学でさらに1000万払ったことあるから、あんたも頑張りなさい!」と言われ、

店前のチラシには、「応援してるよ!」と誰かからのメッセージもあって、実際にもたくさん言葉をもらって、周りに本当に恵まれていると実感しました。

人の温かさにたくさん触れました。


オープン日、店前でその場で食べれるような袋に入れてないクッキー配っていたのですが、小学生の女の子2人組に渡したら、そのまま丁寧に持って帰って親と分け合って後日一緒にお店に遊びにきてくれたり、



ずーっと一言も話してくれなかった子がある日突然走って私のほうに来て、「ついにクッパ大王に勝利したよ!」って急に教えてくれたり、


恥ずかしがり屋のお兄ちゃんと妹が、お小遣い握りしめてシェイクをそれぞれ買いに来てくれていたのですが、妹がシェイクもアイスも食べたいと言い始めて、お小遣い足りないから僕はなにもいらないから妹に2つ頼んでいいよ言っていたり、


高校生は私の祖母がいるときに店に来ると100%話しかけられて、地域の未来を託されていたり、


田舎なので大体お客さん同士も知り合いが会うことが多く、話していたらどんどん話が広がって、お客さん同士で会話が生まれていたり、


「今日はたくさん残ってます〜」とインスタで知らせたら全部買っていってくれる人がいたり、すぐに駆けつけてくれる人がいたり、


クリスマスに常連のおばあちゃんが「あなたのためになにかしたい」と、特技のオカリナで「きよしこの夜」を50回くらい連続で吹いてくれたり、


「福岡に住む娘がここのお菓子を買って送って欲しいと言っててきたのよー」と、たくさんおかしを買ってくれる人がいたり、(福岡の方が美味しいものたくさんあるはずなのに、地元で同年代くらいがやってるってことで選んでくれたんだと思います!嬉しいー)

お店のキャラクターTシャツも販売していたのですが、幼稚園でプチブームになって私も僕も欲しいといってくれたり、

逆に中学生の子は、親から「このキャラクターのバック体操服入れにしたら?」の意見に、「みんな持ってそうだから嫌」といってくれたり、(実際はみんな持ってないのですがそう思ってくれたことが嬉しい)

保育園のお迎えの前にまずはお母さんが1人で休憩しにきて、そのあと子供迎えに行って子供とも一緒に来てくれたり、

長崎から来たお客さんがまるまるホールケーキをここのがいいと言って船で持って帰ってくれたり、(五島市は島なので長崎市にいくには船か飛行機が必要なのです。)


語るとキリがなくて、もちろん嫌なことや私のせいで迷惑をかけたこと、多大な失敗も散々してきて落ち込む日もたくさんあったけど、たくさんの人に支えられて、応援されてカフェができて本当に幸せだと思います。刺激的で楽しい毎日でした。

そして開業後にやっと気づいたのですが、やっぱり私の実力で(お菓子作り歴3ヶ月とか)開業するのは本当に実力と経験不足が激しいけど、開業しちゃったもんだからやらなきゃいけなくて、一気にお菓子作れるようになりました。

ちゃんとやってからやれって思う人もたくさんいると思うし、この実力でも許してくれる人がたくさんいる恵まれた環境だったからやっていけたのも大きいけど、周りと比べることなく勘違いしたまま開業できてよかったなと思っています。


私はめちゃくちゃ性格悪くて卑屈でネガティブだし、実際カフェ中もきつ〜〜と言いながら疲れた顔で営業してた時もたくさんあったし、いろんな人に愚痴こぼしていたくらい最悪の人間ですが、ここまで幸せにカフェができたのは、五島という土地が一番大きくて、祖母などの人脈や、いいお客さんの連鎖があったり、子供が多かったり、20歳で若いということもあったり。


小、中学生のころは、こんな田舎なんもないし、毎日変わらないし、楽しくないー。嫌!ってばかり思っていたけど、なにもなくないし、むしろ都会にないもの全てあるし、ていうか、都会はありすぎるからないのがいいところだし!! 

変わらないって、いいことだし、ゆっくりでも受け入れてくれるから、私みたいに色んなことについていけなくて諦めそうになっても落ちこぼれにくい柔らかい環境。

楽しくないのはそう思ってただけで、楽しさを見つけられていないだけでした。



お菓子を作ること自体に関しては、好きで始めたのに、仕事となるとプレッシャーや不安の方が勝ってしまいうまく作れなくなったりしていました。

そんな時もたくさんの人に相談して、乗り越えたり、
結局悩んでいても仕込みは毎日しなきゃいけないので、義務感で乗り越えたり。


1人で仕込みをしている時はどうしても、暗いことばかり考えてしまって、不安になったり、気持ちが落ち込む時もたくさんありました。

しかし、好きなことをして、おかねをいただいて、さらには、感謝までされる仕事をできていること自体ありがたすぎることで、常に丁寧に感謝の気持ちを持ってやろう。と決意していました。

決意していたものの、やっぱり感情に流されやすくて感謝の気持ちを忘れてしまうことも多々ありました。


感謝と真心。口でも文でも簡単に言えるけど実際に常にこれを心に留めておくのはほんとうに難しいと感じました。今の私はまだまだこれらの気持ちが粘着力の弱い百均の付箋みたいに簡単に剥がれてしまうから、少しずつでいいから糊付けできたらな〜〜と思っています。

全然利益出ないじゃんー!労働時間と見合わないー!と毎日お金の面で悩んだりぐちぐち文句言ったりしたりしていたものの、私には養わなければいけない家族もいないし、家事も全部、祖母や母がやってくれていたので何も考えずにひたすらカフェに向き合える恵まれた環境でした。


カフェを始めてから、いままで人付き合いも人と話すことも、五島という土地も嫌いで、人の目ばかり気にしていた私が変わって自分から交流を求めるようにもなりました。


田舎生活において1番大切なのは「恩の倍返し」


余ったのでもらってくださいとお菓子を行きつけの八百屋やさんに持っていったら、貰うの申し訳ないからと苺一箱もくれたり、他にもいろいろな人に持っていったら倍以上のお返しをもらうことが多くて、逆に申し訳なかったです。田舎では、もらったものは倍にして返す文化があると知りました。「元祖倍返し」


たくさん悩んで、悩んで、うまくいかない自分に腹立てて、周りに八つ当たりもしてもがきながら

たくさんの人に支えられて、嬉しい言葉たくさんいただいて、カフェを続けられました。

今は昔諦めていた夢と、新しい目標のために一旦カフェはお休みして、勉強しています。

正直にいうと、カフェ最高だし、カフェ毎日やるの楽しいけどやっぱり将来のことが不安で、まだまだやりたいこともたくさんあって、カフェのやり方自体ももっと私が人として成長してからカフェをやっていけたら、いいなと思って、いまは全く別のことを勉強しています。

だけど、いつかはまたパワーアップしてカフェをやりたいです。

誰もが来やすくて、来るだけで楽しい気持ちになれて嫌なことをほんの少しでもいいから忘れられるような優しいカフェ。私のことを受け入れてくれた五島の環境自体のようなカフェ。人の優しさや温もりがたくさん伝わるようなカフェになったらいいなー。と思います。

カフェをやっていて嬉しかったことのひとつに、中学校に通えない女の子が、もしもし五島列島のことを大好きになってくれて、中学校にはいきたくないけど、ここには来れるっていって平日来てくれたり、体験教室をやった際も来てくれました。

誰かにとっての新たな居場所や楽しみになったことがすごく嬉しかったです。

あくまでもカフェは長期のお休みなのでいつでも私には戻る場所があってとっても心強いです。

もっと知識と技術つけてからカフェ始めたらよかったと何度も後悔しましたが、やっぱり、あの時にカフェができて、全然うまくいってなかったけど、大きな経験ができて、たくさんの発見ができて本当に良かったです。


これからもなんでもチャレンジして、諦めないで、空回りしていたとしても熱すぎる情熱を絶やさず、たくさん周りの人を頼って、頑張ろうと思います。

本当カフェさいこー!!
だけど1人でやるのきついから誰か一緒にやろ〜〜〜!!!って言う仲間探しエッセイの側面も兼ねてます。

これだけ長くてまとまってなく読みにくい文を読んでくれた方には多大な感謝を申し上げます!!!!いつかカフェ再開した時には名前入りハートクッキープレゼントしたいくらい感謝です。


五島列島
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