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藤井風が紅白歌合戦で披露した”満ちてゆく”の歌詞を独自考察🌠

藤井風の”満ちてゆく”とは?

昨年3月公開の映画『四月になれば彼女は』の主題歌として制作された曲です。ちなみに映画は見ていないので映画のあらすじではなく歌詞自体を読んで感じた個人的な感想を独自の視点で書き連ねたいと思います。(あくまでも個人の感想なのでご容赦下さい。)

”走り出した午後も 重ね合う日々も 避けがたく全て終わりが来る 
あの日のきらめきも 淡いときめきも あれもこれも全て置いてくる
それで良かったと これで良かったと 健やかに笑い合える日まで”

物事には始まりがあればいつか必ず終わりがくる。
”あの日の”で始まっているので過去の出来事を回想し、"きらめき”や”淡いときめき”などその時の感情を思い返している。それで良かったの”それ”は自分の手元にはない、自分ではどうすることもできなかった物事に対して、これで良かったの”これ”は自分自身がした判断や行動に関して”良かった”と受け入れられる日を待っているのではないか(現時点ではまだ健やかに笑い合えない、どちらかもしくは両者に蟠りがある?)

”明けてゆく空も暮れてゆく空も 僕らは超えてゆく
変わりゆくものは仕方がないねと 手を放す、軽くなる、満ちてゆく”

明けてゆく空も暮れてゆく空も自然現象であって人間がどうこうできることではない。自然現象以外でも人との関係性(相手の気持ち)や偶発的に起こることなど自分の力ではどうしようもないことに対してもがき、抗うのではなく”仕方がないね”と受け入れ、固執する事なく手を放す事によってその事柄に縛られていた自分自身の心が解放されて満ち足りてゆく。

”手にした瞬間に 無くなる喜び そんなものばかり追いかけては
無駄にしてた”愛”という言葉 今なら本当の意味が分かるのかな
愛される為に 愛すのは悲劇 カラカラな心にお恵みを”

自己満足な所有欲を満たす為に何かを得ようを必死になる。例えば恋愛関係や親子関係において愛してもらう事を目的として愛すと愛情を示して貰えない、見返りがない場合に決して満たされることがない。その状態が”悲劇”と嘆いているのではないか。相手からのリターンを求めない無償の愛を与える事ができたら”愛”の本質が理解できるのではないか。

”晴れてゆく空も荒れてゆく空も 僕らは愛でてゆく 
何もないけれど全て差し出すよ 手を放す、軽くなる、満ちてゆく”

"晴れてゆく空と荒れてゆく空"は人生におけるいい時期や悪い時期を指していてどんな時でも自分の人生を肯定して愛し、誰かから愛されることや何かを得る事を求め続けるのではなく見返りがなくても自分が持っているもの(これは物理的な物だけでなく愛ややさしさ)を差し出すことによって心が軽くなり、満ち足りてゆく。

”開け放つ胸の光 闇を照らし道を示す 
やがて生死を超えてつながる 共に手を放す軽くなる 満ちてゆく”

この部分は解釈がとても難しかったので何度もMVをみました。
母親らしき女性を追いかけたり幼少期にピアノを買いに行くシーン、水の中で女性へ手を伸ばすシーンから感じたのは自分の大切な人(親や子供、友人など)との別れに絶望し、暗闇の中にいてもやがて別れを受け入れて前へ進む事(執着を手放す事)によって共に過ごした時間や思い出を介していつでも生死を超えて大切な人と繋がる事ができるという想いが込められてるのではないかと感じました。

”晴れてゆく空も荒れてゆく空も 僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ 手を放す、軽くなる、満ちてゆく”

まとめ

この曲は自ら”何か”への渇望や執着を手放すことによって自分自身を解放することができる。その執着の対象は物だったり、名声だったり、誰かだったり、若さだったり、人によって様々あるかとは思いますがもしそれがどうしても叶わないのなら永遠に追い求め、満たされないままより現状を受け入れて今の自分の環境や人生を愛し、自分が持っているものを与える事にによって心が軽くなり満たされるのだと教えてくれているように感じました。

1つの曲でも聴く人のバックグラウンドやキャラクターによっていくつもの解釈があると思います。Ⅹ(旧twitter)前CEOのイーロン・マスクが”あなたがメディアだ”とつぶやいていましたが自分の感想や気持ちを表現できるプラットフォームが多数ある今の時代はとても素晴らしいですね。誰も見ない投稿かもしれませんがもし誰かの目に留まって自分の感じた事を共有してもいいよという方がいたらコメント欄にあなたの”満ちてゆくの解釈”を記載して共有して頂けたら嬉しいです😊

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