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夜明けの交差点で:第二部

第二部:揺れる想いと決断

プロローグ

 誰かと心を通わせることは、ときに喜びをもたらし、ときに苦しみを生む。ましてや三人の思いが交差するならば、その感情の糸は簡単にはほぐれない。

新たな案件をきっかけに近づくさくらと真一。

一方で、光との意外な縁も動き出す。

仕事とプライベートが交錯する中で、それぞれが求める“居場所”はどこにあるのか。

三人の運命は、この第二部で大きく揺れ動き、そしてある決断を迫られることになる——。


第一章:光のオファー

初夏の風が心地よい朝、伊藤 光は自身が勤めるITベンチャー「アストラテック」の会議室で、プロジェクトメンバーと打ち合わせを進めていた。

新しいサービスのUIリニューアルを計画しており、外部クリエイターとのコラボを試す段階だ。光はこのプロジェクトのリーダーを任され、チームを率いる立場にある。

メンバーたちがそれぞれ意見を出す中、光はすでに候補として三浦さくらの名前を挙げていた。

「フリーのイラストレーターの方なんですが、SNSでの発信力も高く、繊細なタッチが特徴的です。UIの世界観作りにも面白いアプローチが期待できるかと……」

光の穏やかな口調に対し、同僚の何人かは怪訝そうな顔をする。

「でも、フリーランスって企業との協業に慣れてるんですかね?」

「本格的なUIデザインの経験があるかどうか……」

否定的というよりは疑問を投げかけるような言い方だ。

光は内心で焦りを感じながらも、落ち着いたトーンを維持して応じる。

「もちろん、そこは課題かもしれません。ですが、UIの専門家を社内外で補えば、イラストレーターとしての独自性がうまく活きるのではないかと。むしろ既存の枠を超えた発想が欲しいんです」

「なるほど……。まずは一度会って、話を聞いてみるというのは?」

「はい、そのつもりで、すでにコンタクトを取っています」

こうして、光はチームの了承を得ることに成功した。

上司からは

「ちゃんとスケジュール管理しろよ」

と釘を刺されつつも、何とか前向きに進められそうである。

光の頭の中には、さくらのイラストが浮かぶ。

あの淡い色彩と繊細なライン。

UIデザインにはない“温かみ”を注入できれば、ユーザーにも新鮮な印象を与えられるかもしれない。

しかし同時に、光は心の奥底で

「これって仕事以上の興味なんじゃないか」

という自問を抱えていた。

合理的に考えても、さくらは適任だという結論に達しているが、どうしても自身の感情がそこに入ってしまう。

そしてその感情をどう処理すべきか、まだはっきりとわからない。

それでも、プロジェクトを成功させたいという強い気持ちがあるのは事実だ。光は会議室を出ると、早速さくらへ連絡を入れた。

「これで正式に社内での合意が取れました。一度ミーティングできないでしょうか」

送信ボタンを押したあと、光はほっと肩の力を抜く。

どんな返事が返ってくるのか。

期待と少しの不安が入り混じる胸の鼓動を感じながら、彼はスマホをカバンにしまった。


第二章:さくらの戸惑い

その連絡を受け取ったさくらは、自宅のデスクでイラストの仕上げをしている最中だった。

真一が担当する広告の最終納品を終えて、ようやく一息ついているところだ。

光からのメッセージを読み、さくらは微妙に胸がざわつく。

もちろん、業務的にはありがたいオファーである。

IT企業のUIリニューアルという、大きな案件になりそうな話だ。

フリーとしてのキャリアを伸ばす意味でも前向きに検討したい。

 ただ、さくらは心のどこかで

「今の私に、UIなんてできるかな……」

という不安も抱いていた。

過去にデザイン会社で働いていたとはいえ、UI専門家ほどの経験はない。

イラストレーションとしてのアプローチはできるにしても、企業の求める要件をどこまで満たせるか。

さらにもう一つ、さくら自身でも説明しづらい感情がある。

光とのやり取りはまだSNS上とメールのみだが、その文章から伝わる雰囲気に、なぜか惹かれる自分がいる。

どこか穏やかで、相手の気持ちを優先してくれるような——。

仕事として割り切れればいいのだが、もしかするとプライベートでも何かが動いてしまうかもしれない。

真一との関係も、確かな好感を抱き始めていたが、そこまで明確に恋人関係になるとも決まっていない。

むしろ、さくら自身が慎重になっている部分もある。

過去の恋愛の失敗が頭をよぎり、「

まずは自分の仕事をきちんとする」

という意識が強いのだ。

結局、さくらは

「一度お会いして、詳しくお話を伺いたいです。私の得意分野が活かせるかどうかも含めて検討したいです」

と返信を送る。
 
うして予定を調整し、週末にアストラテックのオフィスで打ち合わせを行うことになった。

心のどこかで緊張を感じつつも、さくらは「仕事をきちんと進めよう」と自分に言い聞かせる。まだ“恋”に踏み込むつもりはない。

仕事がひと段落したら、真一とも会ってゆっくり話をしたい——

そんな思いを抱えながら、さくらは画面を閉じる。

パレットの上の絵の具が少し乾き始めているのを見て、再び筆を手に取った。


第三章:アストラテック訪問

土曜日の午後、さくらはアストラテックのビルを訪れた。

オフィスは都心の新興ビジネス街に位置し、外観からしてスタイリッシュで近未来的な印象だ。

エントランスで受付を済ませ、エレベーターで指定されたフロアへ向かう。

扉が開くと、近代的なオフィス空間が広がる。

壁は白を基調とし、ガラス張りのミーティングルームがいくつも並んでいる。

週末の出勤者は多くはないが、若い社員が数人、パソコンに向かって作業していた。

「あ、三浦さくらさんですね? 伊藤がお待ちしてます」

声をかけてきたのは、光の同僚と思しき女性。案内されるまま廊下を進むと、会議室の前で光が待っていた。

「こんにちは。わざわざ来ていただいてありがとうございます」

「いえ、こちらこそお招きありがとうございます」

そう言って、二人は軽く一礼を交わす。光は実際に会うと、SNSのやり取りやメールの印象どおり、穏やかで柔らかい雰囲気を持っていた。

背は真一より少し低いくらいだが、姿勢が良く落ち着いた佇まいだ。

会議室に入り、まずは社内チームのメンバーが自己紹介をする。

UIデザイナーやプロジェクトマネージャーなど、それぞれ役割を持った人たちで、さくらは緊張しつつも挨拶を交わす。

光はリーダーとして進行役を務め、すぐに本題に入った。

「今回は、当社が提供しているソーシャルアプリのUIを一新したくて。その中で、既存のパーツとは別に、イラストを取り入れた情緒的な要素を追加することで、ユーザーに温かみを感じてもらおうというアイデアが出てきました」

 プロジェクターに映し出された資料には、現在のUIデザインと、ベンチマークとして海外のアプリなどの参考例。

そこには確かに手描きのイラストを部分的に使った事例があり、画面が硬くなりすぎない工夫が見てとれる。

 さくらは資料を食い入るように見つめながら、

「確かに、こういうアプローチがあるんだ……」

と感心していた。同時に、自分がどう関われるだろうかと想像をめぐらせる。

「もちろん、全体のUI設計は当社の専門チームが進めますが、三浦さんにはイラスト面でのアートディレクションに近い役割を期待しています。背景やアイコン、チュートリアル画面など、ストーリー性を感じさせる要素を追加したいと思っていて……」

 光は丁寧に説明するが、その目にはどこか緊張の色が伺える。

ちゃんと伝わっているだろうか、という不安があるのかもしれない。

しかし、さくらはすでに心が踊っていた。

「面白そうですね……。私自身、UIというのは専門外ですが、イラストや小さなアニメーションなど、使う人が“ふふっ”と優しい気持ちになるような演出は得意かもしれません」

そう言うと、光は安堵の表情を浮かべる。

周りのメンバーからも

「ぜひ一緒にやってみましょうよ」

という前向きな声が出始める。

もちろん、実務的な課題は山積みだが、さくらの繊細なタッチが「新しい風」を吹き込むだろうという期待感が広がっている。

打ち合わせは約1時間ほどで終了し、その後は簡単な顔合わせも兼ねてオフィス内を案内してもらった。

エンジニアが集うフロアやカフェスペースなど、自由な雰囲気でさくらは驚く。

「すごくオープンで、皆さんフラットな関係なんですね」
「ええ。一応スタートアップですからね。僕らもまだまだ変化の途中です」

光の言葉を聞き、さくらは「変化の途中」というフレーズが自分にも重なる気がした。

会社勤めからフリーになった今、まさに自分も新しい可能性を模索している。この出会いは運命的とまでは言わないが、何か引き合うものを感じるのは確かだ。

最後にエントランスまで見送ってもらい、別れ際にさくらは一言付け加える。

「今日はありがとうございました。正式なお返事は、少し考えさせてください。私のスケジュールや能力で、ちゃんとお役に立てるか確認したいので」

「もちろんです。僕たちも具体的な納期や契約形態を整理しておきますので。そのうえで、ぜひお願いしますね」

そう言われ、さくらは深く頭を下げる。光の柔らかな笑顔を見ていると、少し胸が苦しいような、暖かいような、不思議な感覚が込み上げてきた。


第四章:真一とさくらの食事

同じ週の平日夜、さくらは真一から

「二人で食事でもどう?」

と誘われていた。コスメ広告の納品が無事完了したお祝いも兼ねたいという理由を聞き、さくらは快諾した。

待ち合わせ場所は渋谷の少し奥まった通りにあるダイニングバー。普段はあまり行かないようなおしゃれな雰囲気で、さくらはやや緊張する。

「ここの雰囲気、好きなんだ。ご飯もお酒もおいしいし、ゆっくり話ができるから」

真一はそう言いながら、さくらをテーブルに案内する。週末ほど混んでいないため、落ち着いた空気が流れている。

まずはビールで乾杯し、簡単に最近の仕事の話をする。さくらはアストラテックでの打ち合わせを受けたことを報告するか迷ったが、仕事の話を隠す必要はないと思い、素直に伝えた。

すると、真一が少し驚いたように反応する。

「へぇ、ITベンチャーでUIの仕事って結構大変そうだけど……。でも新しい挑戦になるならいいんじゃない?」

「うん。私も楽しそうだなと思ってる。まだ正式に請け負うかは決めてないけど……」

さくらの言葉に、真一はうなずきながらグラスを傾ける。

その横顔に心配や嫉妬の色は見えない。

むしろ応援してくれているようだ。

こういうところが真一の魅力だと、さくらは思う。

自分の世界観を大切にしつつ、相手を受け止める度量がある。

もちろん、営業マンとしてのポジティブな姿勢もあるのだろうが、それだけではない“ロマンチスト”な面が見えるときがあるのだ。

料理が運ばれ、二人はゆっくり味わいながら会話を続ける。

仕事のことだけでなく、休日の過ごし方や学生時代の思い出など、自然に話題が広がる。

「そういえば、高橋さんって大学時代は音楽サークルだったんですよね?」

「うん。バンドやってた。ボーカル担当で、下手だけど熱だけはあったなぁ。懐かしい」

そう言うと、真一はどこか照れくさそうに笑う。さくらはその表情が新鮮に感じた。

やがて話は、真一の大学時代の友人・伊藤 光の話題へとつながる。先日の結婚式の二次会で再会したということを、真一はすでにさくらに話していた。

「あいつ、エンジニアとしてすごく優秀なんだよね。落ち着いた奴で、昔から人に合わせるのが上手いっていうか。でも、自分の主張はしっかり持ってるから、尊敬できるやつだよ。さくらさんも、そんなエンジニアと仕事したら面白そうだよね」

まさかそれが“伊藤 光”と同一人物だとは、この時さくらはまだ言い出せなかった。

もしそれを伝えたら、真一の心情はどうなるだろうか。

光から仕事のオファーを受け、検討している事実——

それが真一と光をどう交差させるのか、さくらには見当がつかない。

ただ、罪悪感のようなものが胸をかすめる。

まだ何も始まっていないのに、あたかも自分は二人を騙しているかのような。

結局、さくらは言葉を飲み込み

「そうだね、面白いかも」

と曖昧に答えるにとどめた。真一はそれ以上詮索する様子はなく、

「ま、さくらさんならいろんな人の仕事に興味を持たれるだろうね

」と笑っている。

 食事を終え、外に出ると夜風が少し冷たく感じられた。

真一は

「家まで送るよ」

と申し出るが、さくらは

「大丈夫、自分で帰れるから」

と遠慮気味に断る。

あまりに親密になりすぎるのが怖い——

そういう自制心が働いたのかもしれない。

別れ際、真一が少し寂しそうに笑う。

「そっか。じゃあ、また連絡するよ。今度はもっとゆっくり話そう。……楽しかったよ、さくらさん」

「うん、私も。ありがとう。またね」

さくらは少しだけ会釈して、夜の街へと歩いていく。

真一の視線を感じながらも、振り返らずに改札へ向かった。

頭の中には光の静かな微笑みと、真一の熱っぽい瞳が交互に浮かぶ。

どちらも魅力的だが、今の自分にとって何が正解なのか。

過去の失敗を繰り返したくない、でも新しい自分になりたい——

そんな葛藤の中で、さくらの心は静かに揺れていた。


第五章:光の不安

一方、光は休日の打ち合わせを経て、さくらの返事を待ちながらプロジェクトの準備を進めていた。

社内調整や予算配分、そして何よりスケジュール管理がリーダーの重要な仕事である。

光はGoogleカレンダーを細かく更新し、チームのタスク管理ツールにもさくらの参画を仮定した工数を入力していく。

周囲からは

「そこまで厳密にやる必要ある?」

と呆れられるほど徹底しているが、光にとっては当たり前のことだった。

ただ、時折ふと

「これは本当に彼女にとっていい話なんだろうか」

という疑問がよぎる。

UIの専門家ではないイラストレーターに、どこまで負荷をかけてしまうのか。

もしプロジェクトがうまく進まなくなった場合、彼女のキャリアに傷をつけることにならないだろうか。

そんな不安を抱えるあたりが、光の優しさであり、同時に弱さでもある。

合理的にプロジェクトを成功させるには、適材適所で人材を配置すればいい。

しかし、さくらという存在にどこか個人的な感情を持ってしまっているからこそ、彼は慎重になりすぎているのだ。

夜、自宅の電子ピアノの前に座ると、母から習ったクラシックの一節を無意識に弾き始める。ピアノの音色が部屋に広がると、少しだけ心が落ち着いた。

光は、恋愛がロジックだけで片付くものではないと知っている。

大学時代に付き合っていた同級生とのすれ違いが、その事実を痛感させた。

でも、頭で分かっていても、どう感情を扱えばいいかは依然として難しい。

——気づけば鍵盤を叩く力が強くなっていた。

光は慌てて手を止め、深呼吸をする。

さくらに会ったときの柔らかい印象が蘇る。

もし一緒に仕事をして、さらに距離が縮まったらどうなるのか。

あるいは逆に、距離を保ったほうがお互いのためかもしれない。

そんな考えが堂々巡りし、光は深くため息をついた。


第六章:真一の焦り

真一もまた、さくらとの関係にどこか焦りを感じていた。

仕事を通じて大きな成功体験を共有したにもかかわらず、個人的な距離はまだ遠いように思う。

食事にも行ったが、どこか“壁”のようなものをさくらが感じているのではないか——

そんな気がしてならない。

そもそも過去の恋愛で長く付き合っていた女性と別れたとき、自分が「本当に好きだったのかわからない」という曖昧な感情に気づいた。

それ以来、真一はどこか「本気になりきれない」自分を疑うようになっていた。

だが、さくらに対しては不思議ともっと近づきたいと思うし、彼女の繊細な感性を支えたいとも思う。

その気持ちは確かにある。

けれど、一歩踏み込んだ行動を取るのが怖いのはなぜだろう。

もし拒まれたらどうしようという不安が、真一の中にわだかまっている。

ある夜、真一は会社の同僚と飲みに行き、帰り際に何気なく相談を持ちかけた。

「なあ、もし仕事で知り合った女性と、いい感じになってる気がするんだけど、なかなか距離詰められないってのはどうすればいいと思う?」

「え、真一が弱気なんて珍しいな。積極的にいけばいいんじゃないの?」

「そうなんだけど……なんか、相手に壁がある感じがして。無理に踏み込んだら嫌がられるんじゃないかって」

普段は勢いで突き進むタイプの真一だが、こうして弱音を吐く姿は珍しい。同僚は苦笑しながら肩をすくめる。

「相手のペースってのもあるからね。でも、俺が思うに、お前はまず相手の本音を聞いてみたら? 何か過去にトラウマがあって、慎重になってるのかもしれないし」

「そう……だよな」

真一はその言葉を胸に刻む。

さくらが何かしら過去の恋愛で傷ついたことがあるとすれば、それを無視して突っ込んでいってもいい結果は得られないかもしれない。

翌朝、少し二日酔い気味の頭を抱えながら、真一はさくらに

「仕事と関係なく、休日にどこか出かけませんか?」

とメッセージを送る決心をした。

あまり深い意味をつけず、気軽なデートの提案のつもりで。

だが、これが吉と出るか凶と出るかは、まだわからない。


第七章:微妙なすれ違い

一方、さくらのもとにも真一からメッセージが届く。

同時に、アストラテックからも正式なオファーに向けた準備の連絡が入り、いつミーティングを再開できるか問われる。

スケジュール帳を睨みながら、さくらは葛藤する。

真一の誘いは純粋に嬉しい。

しかし、今は新しい案件のことで頭がいっぱいだ。せっかく大きなプロジェクトの入り口に立ったのに、ここで気持ちがブレてしまうのが怖いという思いがある。

さらに決定打となったのは

「まだ恋愛に踏み切る自信がない」

という過去のトラウマだった。

前の恋人に合わせすぎた結果、自分を見失ったあの苦しさを思い出すと、どうしても慎重になってしまう。

結局、さくらは真一にこう返信した。

「お誘いありがとうございます。実はちょうど新しい案件が動き始めるタイミングで、少しバタバタしそうなんです。落ち着いたらぜひ改めて……」

真一は

「わかった。落ち着いたらまた誘わせてね」

と返してくるが、その文面からどこか寂しさが滲んでいるようにも感じる。

さくらは胸が痛むが、まずは自分のやるべきことに集中しようと思い直す。

今はそれしかできない。

それが自分を守る方法でもあるから。

一方、アストラテックには

「私はぜひやらせていただきたいのですが、スケジュールや要件をきちんと確認したいです」

と返答した。

光からは

「ありがとうございます。近々お会いして詳細を詰めましょう」

と、すぐに返信が来る。

こうして、さくらの毎日は忙しさを増していく。

クリエイティブな刺激を感じながらも、どこか心は落ち着かず、真一への想いは保留されたまま。

光との距離はこれから広がるのか、近づくのか。

それぞれの可能性が入り乱れ、微妙なすれ違いが生まれ始めていた。


第八章:再び交差する道

ある日、光はクライアント先からの急な要望で都内を移動していた。

電車を乗り継ぎ、資料をカバンに詰め込み、頭の中でスケジュールを組み直しながら一日を駆け抜ける。

夕方、ようやく業務が落ち着き、光はスマホを開いてSNSをチェックした。

すると、大学時代の友人グループでやり取りしていたチャットに「急だけど今夜集まれる人いる?」というメッセージがある。

メッセージを確認すると、発信者は——高橋真一。

どうやら、真一は得意先との飲み会が急にキャンセルになったらしく、暇になったため誰かを誘おうとしているらしい。

光は一瞬迷ったが、予定は特になかったので

「いいよ」

と返した。

大学時代のサークル仲間が来るなら久しぶりに話したいとも思ったし、何より真一とは二次会以来あまりゆっくり話せていない。

そうして指定された場所に行くと、そこには真一と、もう一人のサークル仲間がいるだけだった。

どうやら他のメンバーは都合が合わず、結局三人飲みになったらしい。

店は居酒屋。テーブル席に座ると、真一は

「久しぶり!」

と明るく笑うが、どこか疲れたようにも見える。

乾杯のグラスを交わしたあと、共通の友人が

「じゃあ仕事の愚痴でもしようぜ」

と言い出したので、自然に仕事の話題が出始めた。

「真一のほうはどうなんだ? 新しい広告案件、うまくいったって聞いたけど」

「ああ、うん。それは大成功。クライアントにも好評だったよ」

「さすが、やるじゃん。でも、なんか浮かない顔だね。疲れてるの?」

「まぁ……ちょっとな」

真一はグラスを置き、ちらりと光を見る。

光はそれに気づき、少し笑顔を返した。

「光はどうなんだ? エンジニアのリーダーとか大変なんじゃないの?」

「まぁ、プロジェクトは色々あるけど、今は新しいUIの企画を進めてるところかな。外部のイラストレーターを招いて……」

そのとき、真一の表情が変わった。心なしか目が鋭くなったように光は感じる。

「へぇ、外部のイラストレーターね。どんな人なの?」

「三浦さくらっていう、SNSでも人気のある人で……」

その名前を聞いた瞬間、真一の表情がはっきりと強張った。

「……あ、そうなんだ。やっぱりあいつら繋がってたのか……」

小さくつぶやいたが、周囲の騒がしさにかき消され、光には聞こえなかったようだ。

だが真一の胸のうちで何かがざわめく。

「さくらが言っていた“新しい案件”って、光のプロジェクトだったのか……」

友人が

「どうした?」

と怪訝そうに覗き込む。

真一は

「あ、いや……なんでもない」

と首を振って誤魔化す。

光も何かを感じ取りながら、あえて深く追及はしなかった。

その後、会話は自然と別の話題に移り、三人は学生時代の思い出話や軽い世間話で盛り上がった。

しかし、真一と光の間には言葉にできない違和感が流れている。

さくらの存在をはっきり言及することなく、二人は黙って飲み続けた。

やがて友人が先に帰り、店を出る頃には真一と光の二人きり。

夜風が肌寒く感じられる繁華街の通りで、光は

「じゃあ俺もそろそろ」

と切り出そうとするが、真一が声をかける。

「……おい、光」

「何?」

「お前、さくらっていうイラストレーター、どこまで話が進んでるんだ?」

 光は驚きつつ、

「え……さくらさんって、知ってるのか?」

と問い返す。真一は少しだけ黙ったあと、意を決したように言う。

「実は俺、彼女と最近一緒に仕事してたんだ。広告案件で。……それから、まぁ、いろいろあって……」

その言葉だけで十分、光には伝わるものがあった。さくらと真一との間に何か特別な関係が芽生え始めている——。

光はどう答えればいいかわからず、しばらく沈黙が続く。周囲を酔客が行き交い、遠くでタクシーのクラクションが鳴る。

「……そっか。なるほどね。俺もさくらさんをプロジェクトに誘おうとしてる。まだ正式契約ではないけど、ぜひ力を借りたいと思ってるんだ」

真一は少し苦しそうに笑う。

「そりゃそうだよな。あいつは有能だし……」

と。だがその目は、どこか悔しそうにも見える。

光は胸にチクリと痛みを感じながら、

「俺はまだ何も始まってないよ。ただの仕事だ」

と言い訳めいた言葉を口にする。

しかし、その言葉が真実かどうかは自分でもわからない。

二人はそれ以上突っ込んだ話をせずに別れた。

静かに去っていく光の背中を見送りながら、真一は夜の空気を深く吸い込む。

このまま行けば、やがてさくらを巡って正面衝突するかもしれない——。

そんな予感が、真一の胸に重くのしかかっていた。


第九章:決断のとき

翌週、さくらはアストラテックでの正式契約を前に、最終的な打ち合わせをするため再びオフィスを訪れた。

今回は光を含むプロジェクトチームが複数参加し、かなり実務的な話になる。

契約書やスケジュール表を前にして、さくらも覚悟を持って臨んだ。

話し合いの結果、さくらの負担範囲も具体的に固まり、「イラストを基盤としたUI要素の提案とアートディレクション補佐」というポジションが設定された。

期間は3か月程度を想定し、途中で段階的に成果物を出しながら進める。

報酬もフリーランスとしては悪くない額だ。

会議が終わると、チームのメンバーは

「よろしくお願いします」

と笑顔で挨拶し、会議室を出て行った。

最後に残った光は、ホワイトボードの前で少しだけぎこちない笑みを浮かべている。

「これで、正式に一緒にやれるね。ありがとう」

「いえ、こちらこそ。すごく面白そうな企画で、私もワクワクしてます」

さくらも微笑み返すが、その心中には複雑な思いが渦巻く。

真一とのやり取りをどう整理すればいいのか。

ましてや、光と真一が大学時代の仲間だということ——

さくらはまだ光に告げていない。

光もまた、さくらと真一の関係が何を意味するのかを測りかねていた。

あの夜、真一は明言こそしなかったが、さくらに対して特別な感情を抱いていることは間違いない。

もし自分がこのプロジェクトを通じてさくらと接近するならば、それは真一との関係にどう影響するのか。

けれど、光は自らその話題に踏み込む勇気を持てず、

「じゃあ今度、具体的な作業の進め方をリモート会議で話し合おう」

と業務的に締めくくった。

会議室を出る直前、さくらが立ち止まって意を決したように口を開く。

「あの……伊藤さん、少しお時間いいですか?」

「うん、もちろん」

二人は人気の少ないカフェスペースに移動し、向かい合って座った。

さくらは緊張気味に手を組み、唇を結んでから話し始める。

「実は私、最近まで高橋真一さんと一緒にWEB広告の案件をやっていたんです。……それで、あの、話聞いてますか?」

「うん。真一から少しだけ……。でも詳しくは聞いてないから」

光の答えに、さくらはほんの少し安堵する。

ならば正直に話そうと思い、ここに至る経緯と、真一に対して抱いている思い——

とまではいかないが、仕事を通じて仲良くなった事実を打ち明けた。

光は真剣に耳を傾け、

「なるほど……そっか」

と頷く。自分の中の予感が当たっていたと確信するように。

「真一は大学時代から行動力があって、人を引っ張るタイプだったよ。俺とは正反対でね。でも、不思議と馬が合ったんだ。音楽サークルでも一緒に活動してたし」

「……そうなんですね」

さくらは光の口調から、真一を尊敬しているような雰囲気を感じる。二人の間にある友情を壊したくない——

そんな思いが胸を締めつける。

光は続ける。

「彼と君が出会ったのは偶然かもしれないけど、何か縁を感じるね。……俺は、正直に言うと、君と仕事をするのが楽しみだよ。単なる仕事パートナー以上に、君のことをもっと知りたいと思ってる」

その言葉は光にしてはかなり踏み込んだ発言だったが、同時に穏やかな優しさを含んでいた。さくらは思わず目を伏せる。

「私……どうしたらいいんだろう……」

声に出してしまった疑問。光は戸惑うが、彼の優しさが勝ったのか、静かな声で返す。

「無理に答えを出さなくてもいいんじゃない? 今はまず、俺たちのプロジェクトをしっかり成功させよう。君のイラストが必要なんだ」

「……はい」

さくらは小さく頷く。

一瞬だけ、光にすがりたくなるような気持ちが胸をかすめる。けれど、同時に真一の情熱的な笑顔が脳裏をよぎり、罪悪感と戸惑いが入り混じって、はっきりとした言葉が出てこない。

しばし沈黙が流れた後、光が席を立つ。

「そろそろ戻らないと。作業スペースを見せたかったけど、次回かな」

さくらも立ち上がり、少しぎこちなく微笑む。

「わかりました。今日はありがとう、色々……」

二人はカフェスペースを後にし、それぞれのデスクへと戻っていった。

気持ちをはっきり言葉にはできないまま、しかし確かな想いの輪郭だけは鮮明になりつつある。


第十章:交錯する運命

時間は流れ、さくらはアストラテックのプロジェクトに本格的に参加し始めた。

企画会議やデザインレビュー、実装テストの見学など、フリーランスながら社内の一員のように動く日々。

真一との連絡は減ったが、それでも時々メッセージが来ると心が揺れる。

真一は真一で、新しい広告案件をいくつか抱えながらも、さくらの近況を気にしていた。

光に対してどんな感情を持っているのか、その答えは聞けていない。

一度誘いを断られてから、積極的に動く勇気が持てない自分が情けないと思う。

光は光で、リーダーとしての責任を果たしながら、さくらとの距離を少しずつ縮めている。

仕事上は順調だが、プライベートな領域に踏み込むのはやはり躊躇してしまう。
 
んなある日、アストラテックのプロジェクトが大詰めを迎えようとしているタイミングで、真一が思いがけない行動に出る。

——アストラテックを訪れたのだ。

実は、真一の勤める広告代理店とアストラテックには、過去に小さな取引があった。

今回は別の案件でアストラテックが広告展開を検討しているという情報を掴み、真一が営業として訪問することになったのだ。

受付を通して案内された先には、光と数人のスタッフ。

真一が名乗ると、光は戸惑いと驚きの入り混じった表情を見せる。

「真一……どうしてここに?」

「広告代理店の営業として、うちの会社に声がかかったって聞いて来たんだ。まさかお前が出てくるとは……」

奇妙な再会。

二人の視線が交差するが、互いに複雑な感情を抱えている。

スタッフたちがいる手前、とりあえずビジネスライクに打ち合わせは進められる。

しかし、ふとした拍子にドアが開き、そこにさくらが資料を抱えて入ってきた。

すでに何度も訪れている社内なので、自由に出入りしているようだったが、まさか真一がいるとは想像もしていなかった。

さくらは驚きのあまり資料を落としかけ、

「あっ……」

と慌ててかがむ。

真一は一瞬固まったまま、一歩も動けない。

光はその場の空気に張り詰めたものを感じながらも、スタッフたちへ

「すみません、ちょっと休憩にしましょうか」

と指示を出した。

三人だけが残された打ち合わせブース。誰も口を開かず、気まずい沈黙が続く。

「……真一、いつからここに来てたんだ?」

と光が先に切り出す。

「今しがた。広告代理店としての営業でね。お前がリーダーやってるプロジェクトじゃないみたいだけど、別件でアストラテックに……。それで、さくらがここにいるとは、正直驚いたよ」

真一は目を伏せるようにしながら言う。

さくらも混乱している様子で、

「私、ここのUIプロジェクトに参加してて……」

と口ごもる。

だが、ここで光が意を決したように口を開く。

「さくらさん、忙しいところ悪いけど、少し時間をもらっていい? 真一……俺たち、三人で話せないかな。ここじゃ目立つから、別の場所に行こう」

真一は少し躊躇したが、

「……ああ。そうだな」

と同意する。

あまりにも気まずい状況を打開するには、もう三人で話すしかない。

こうして、三人はアストラテックのフロアを離れ、ビルのラウンジスペースへ移動する。

そこからは都会の街並みが一望でき、夕暮れが街をオレンジ色に染め始めていた。

それぞれが言葉を選びあぐねている空気。真一は先に声を出した。

「さくら、いろいろ聞きたいことがある。お前が光のプロジェクトに参加してることも、もっと早くに知りたかった。……でも、教えてくれなかったよな」

その口調は責めるようなトーンを含んでいた。さくらは目を伏せ、

「ごめんなさい、言いそびれていたの。言ったら、真一さんに悪いかなと思って……」

と小さく答える。

光は割って入る。

「さくらさんは悪くないよ。俺も真一とさくらさんがそんな関係だとははっきり聞いてなかったし、どう言えばいいか分からなかった」

真一はちらりと光を見る。

「そんな関係って……俺だって、さくらの気持ちなんてわからない。だけど、俺はお前より先に、さくらに惹かれたかもしれない。それを、今さら俺に言われても困るかもしれないが……」

言葉の途中で、さくらが

「やめて……」

と消え入りそうな声を出す。

「こんなの、私が決めなくちゃいけないことなのに。二人とも、悪い人じゃないのに……」

さくらの目には涙が浮かんでいる。

光も真一も声を失い、街の喧騒が遠くで聞こえるだけだった。

どちらかを選ぶ——

という単純な問題ではなく、さくらが自分自身をどう確立するのか。

その核心を問われている。

過去の失敗から逃げるのではなく、これからの自分の気持ちとどう向き合うのか。

しかしこのときは、どちらもさくらを追い詰めるような言葉はかけられなかった。

結局、「仕事があるから」とさくらはその場を立ち去り、光と真一だけが取り残される形となる。

二人は無言のまま、沈黙を保ち続けた。


ビルの窓から見下ろす夕暮れの街は、何も語らず、ただ淡い光を放っている。

やがて真一が小さく呟く。

「……悪かったな。お前も困惑してるよな」

光は苦い笑みを浮かべる。

「いや、俺も自分勝手だったかも。……どうすればいいんだろうな」
答えはまだ見つからない。

こうして三人それぞれの葛藤をより深く抱えながら、次の局面へと向かおうとしている。恋愛感情と仕事、友情と個人の成長。その全てが絡み合い、彼らの運命の糸はさらに複雑に結ばれていく——。


〜第三部に続く〜


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