運と実力とウチ
運も実力のうち
うん
言いたいことは分かる。
ぼくは運という言葉が嫌いです。
嫌いです。っていうと語弊があるけど。
正確には
運を僕はあまり信じてないし、ぼくは運に左右されることはないけど、運を信じてる人にとっては、運も大切なものと思うので、その人が運を信じてることを否定することはない。
です。
意味わからんなこれ。
ぼくはおみくじを引いたことがないです。
遊びでとか、アプリでとか、お店のスクラッチでとかならありますけど
神社に行って、おみくじを引いたことがないです。
先に断っておきますと、おみくじを引く人は馬鹿とか思ってるわけではないです。
ぼくが信じていないだけです。
運とか占いっていうのは自分の捉え方だと考えています。
極端な例え話になるのですが、
例えば、おみくじをひいた後に車に轢かれて骨折したとしたら
おみくじが大凶だったら
やっぱり運が悪い
と思いますが
おみくじが大吉だったら
骨折ですんでラッキー
って思うでしょうね。車で轢かれた事実は一緒でも、自分が大吉と思うか大凶と思うかで捉え方がガラッと変わります。
人にとってどうかは分からないですが
僕にとって、そういう運頼みみたいなのって
責任の所在を自分に押し付けないための道具に見えてしまいます。
例えばさっきの車の話でも
まず原因は自分の不注意だったとしても
おみくじで大吉をひいたおかげ
あるいは
おみくじで大凶をひいたせい
になってしまいますよね。自分の不注意からは目を逸らしています。
何が言いたいかって
たしかに最終的には運だと思います。
いくら気をつけてても車に轢かれる時は轢かれるので。
でも自分の気をつけ方とか普段の行動で
轢かれる確率は変えれるでしょって話です。
そしてそこにおみくじは一切関係無くないかと
ぼくは思うっていう話です。
まぁでも人の信じる力ってすごいので
ぼくは大吉だから何をしても最高!
ぼくは大凶だから日々気をつけないと!
って思ってたら、日常からポジティブになったり逆に慎重になったりできます。
なので、人の信じる力を否定することはないです。
ただ、ぼくは信じれないのと
仮にほんとに神様とか仏様がいて、
自分の運命とかが決まってるとしたら
そんなん腹立つじゃないですか。
罰当たりとか縁起悪いとかでその先左右されるの。
それで思い出したんですけど
あれが1番嫌いなんですよ。
受験生に落ちるとか言わないほうがいいみたいなやつ
どうでもいいだろあれ
あの変な気遣いされるのが大嫌いだった
高3受験生のぼくは
自ら全ての受験会場に
「激落ちキング」というでかい消しゴムを持っていっていました。
落とせるもんなら落としてみろと。
激落ちキングを持って受かったるねんと。
結果としては滑り止めとかも全部落ちて
激落ちでした。神様おそるべし。
もう激落ちキング川に捨てたろか思いましたけど、最後まで自分を信じてラスト受験した大学が今の大学です。
もちろん面接会場でもポケットに激落ちキングいれてました。
激落ちキング回避!なんならこの大学で良かったので、激落ちキング様様です
と言いたいところですが、激落ちキングは関係ないです。僕がセンターの点数悪くて、僕がこの大学に入るべくして入りました。
芸能界は運とよく言われています。
それはそうだと思います。
周りの人であったり
関係者、一つ一つの出会いとか
先輩・後輩とか
お客さんとの出会いとか
全部ある意味運ですけど
その運とかチャンスの数を増やしたり
チャンスを掴むための握力は
自分の力でつけるもので
それが場数だったり、日々のSNSだったり、人との繋がりだったり
一つ一つの行動なわけで
売れる確率が10000分の1からスタートして、どこまで1に近付けられるかは自分次第だなと思います。
とはいえ最後は運だと思いますので
運もつけていきたいところですね。
運と実力とウチ
ぼくは自分のことウチと呼んだことはないですが、一人称を変えるというのもひとつのチャンスかもしれないですね
一人称ウチに変えよかと思いましたが
まぁそれはそのウチ
なんつって
最後なんかすみません
ご清聴ありがとうございました。