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StageⅣガン患者として私が一番困っていること。
だいたい以下のような内容を記しますが、一番訴えたいのは末期ガン患者が社会的孤立状態に陥りやすく、それは社会の側が持っているガンに対するイメージの問題が大きいという話がメインです。
高額の治療費
病状
社会的孤立
おそらくガン患者を社会が支えるように働くような情報の伝え方がされていない。
治療費が高額であること。これは確かに困る。なんせ100㏄の点滴薬1本70万円である。限度額医療費制度がなかったら直ちにパンクする。厳しいが制度のありがたさに感謝するしかない。
退院後約1カ月ほどは謎の脇腹の痛みが続いた。じっとしているぶんには何も問題ないのだが、ちょっと動くと右わき腹が痛くなる。おそらく長距離を走っているときに襲われる腹痛の感覚に近いものである。ただ、これに関してはだんだん症状が出なくなり、なぜそんな症状が出ていたのかわからないまま今では思い出になってしまった感がある。
入院中というか、退院後実感したのは、とにかく何でも「人間、使わない機能は劣化する」ということである。一番悩まされたのは足が萎えてしまい、激ヤセしたこともあって、筋肉がすっかり落ちてしまい、「これはジジイの足やん!」と自分で思ってしまった。特に階段を上るときなどに自分では上げたつもりのところまで足が上がっておらず、何度もつまづきそうになった。これはリハビリするしかないと思い、脇腹と相談しながらなるべく散歩するようにした。こっちは意外と早く回復して2週間もしないうちにほとんど気にならなくなったように記憶する。人間あまりラクしてはいけません。
体調面で残ったのはトイレ問題である。もともと軽い頻尿気味ではあったが、とにかく我慢が効かない。あっと思うともう漏れている。前だけに限らず後ろも身が出る。ただ出ないよりは出る方がマシなので、これについては使えるトイレがどこにあるかを常に気にするようになった。
ガンの病巣そのものについては治療が私の場合、かなり上手くいっているといっていいのだろう。病巣は決してなくなりはしないもののだんだん小さくなっていることが確認できていて、トイレ問題を除けば日常生活には何も支障はない。私が行っている抗がん剤治療は普通の細胞も攻撃されることになって、普通はどこかに炎症が出て、場合によっては治療を止めなくてはならないことも珍しくないそうだが、幸い今のところ私には何の炎症も出ていない。何も知られていなければ、私を見てすぐにガンを疑う人はいないはずである。
2020年12月11日に退院したわけだが、2020年度末までは有休休暇も利用して職場(大学)には休職させてもらった。それで2021年度から職場復帰することにしたが、不幸中の幸いにコロナ禍があったので在宅勤務の形をとった。それで2年間在宅勤務を続けさせてもらったが、データ上は殉職する可能性が高く、それが嫌だったのと他にもいろいろあって2022年3月31日をもって退職させていただくことになった。
退職後は、夢の毎日が日曜日生活で何かに拘束されるということがほとんどない。ナマ大谷見放題、いつ寝ていつ食べてもいい。金銭面の不安は残るが職場からの拘束が一切なくなったのはかなりラクである。
長くなるがここからが世間の人々に対して一番訴えたいことになる。
ガン患者には周囲からのサポートが重要である。ここはほぼ誰もが同意する。だが実際にはガン患者、特に末期ガン患者は社会的に孤立してしまう傾向がある。これを知らなくて、私もこれに悩まされて精神的にキツい状態の時があった。
職場復帰すぐ(2021年4月3日)の頃、高校時代からの気の置けない友人に連絡して、「病気休暇もらってて最近職場復帰した」って話から「何の病気で入院してた?」って話からガンの話になり、そいつは詳しいことを知りたがったので、電話で経緯から話した。それで、後日そいつは少数の友人には伝えたことを知らせてきたが、自分としては当時もう少し多数の友人に知っておいてもらって、連絡を取り合いたいという気分があった。ただ芸能人のように自分で発表することでもないな、と考えていたところ、そいつから「SNSで同級生の親しい友人くらいには伝えてみようか?」という提案があったので喜んでお願いした。その中に同級生同士で結婚したカップルがいてその夫婦が広報担当?の役を担ってくれるって話が出てきたので、こちらとしては何気なく「お礼の連絡しとくわ」って言ったら、「いや、それは止めといた方がいいんじゃない?」って言われ、「君と話をするのはつらいかもよ?何と言えばいいのかわからないから。」って説明を受けた。これがすごくショックでかなりメンタル的に引きずることになった。
確かに言われてみれば、そいつに何の悪気もなく、ただ感じたままを正直に言ったにすぎない、ということもわかるのだが、このやりとりのおかげでこちらからしばらく顔を合わせていない友人に連絡を取ることができなくなった。
もし学生時代のように毎日顔を合わせていてやり取りしているような状態なら、相手もショックは受けるだろうがおそらく励ましの言葉をかけてくれるだろう。ガンであることを知ったとたんに連絡を絶つのはその方が心理的ハードルが高い。
しかし、依然親しく付き合っていても、しばらく連絡がなく、それで生活上なんの支障もない場合に友人が末期ガンであるという情報が入ってきたらどうだろう?おそらく連絡して励ますという行為は心理的にものすごくハードルが高いことになるのではないだろうか?それで自分からも連絡できず、向こうからも連絡がないということが当たり前になってしまう。
そうすると、こちらとしては「じゃあ、自分はこのまま連絡を取り合うこともなく朽ちていくだけか?」という気分になり、社会的孤立状態に落ち込んでいくわけである。
これはおそらく私の個人的性格の問題ではなく、多くの末期ガン患者が共通して陥る状態ではないかと思う。
一番問題に思うのは我々がガン患者に対してどういうイメージを持っているか。ということである。マスコミ等で報じられるのはだいたい悲惨な闘病生活とか、そうでなければすごく美談になるようないわゆる物語として感銘を与えやすいと判断される情報ばかりが溢れている。自分のような治療が比較的うまくいっていて日常生活が支障なく送れているような人間の情報はストーリー性が乏しく、マスコミが取り上げたりするようなことはない。死ぬまでに半数以上の人がガンにかかるという時代であるから、日常的にもガンになった人の話題は周囲に割とあったりする。しかし、だいたい伝わってくるのは闘病の大変さであったりすることが多い。特にマスコミ情報からの影響は大きいと思うが、自分が思うにこうしたことで世間的にはかなり偏ったガン患者イメージが広がっていて、そのことには触れないでおくのが日本人的優しさのような道徳観が形成されているように思う。これは私にとっては大変困ることなのである。ガンであろうがなかろうがこれまでどおり死ぬまで同じような付き合いを続けて欲しい。これが多くの末期ガン患者が願っていることではないだろうか?
まあ、そうしたことで、「そうか、連絡されたら困るような存在に自分はなってしまったのか。」と感じざるをえない日々を過ごしてきて、その状態に慣れもしてきているわけだが、この状態はできれば変わっていく方がいいものだとも強く思う。
触れないでおくことは優しさではない。自分自身が傷つかないためのものである。このあたり、なんとかもっと支えあって生きていけるような社会を作っていきたいと今さらながら思う。
以上、おおよそガン関係の重い話について、おおざっぱに書きたいことは書いたので、以後はその時々で適当に思いついたことを書いていきたいと思っています。