サッカーボールには座らない、いや座る

サッカーボールに座るととても怒る人がいる。彼らに言わせると、失礼らしい。ボールは座るものではないと。

座るとダメって言うけどそもそも足蹴にするのもどうなんだ?という気もしてくるが、そもそもサッカーボールは蹴るものだからまあそれはいいだろう。

しかしサッカーボール本人の気持ち聞いたことがあるのか。
人間でも顔面騎乗されるのが好きな人はいるんだから、座られるのが好きなサッカーボールがいるかもしれねえだろうが!!!ショタに顔騎されるのたまらない!!とか思ってるかもしれんだろ!

昔話で、お地蔵様を使って川遊びしていた子供に対してお婆さんが罰当たりな!と怒ったらお婆さんの夢にお地蔵様が出てきて「子供と遊んでるのに邪魔するな」と抗議したという物がある。
ボールに座るなって言う奴はこのお婆さんなんじゃないかという気がする。やはり座られたいかもよ?ボールも。

まあ世迷言はこれくらいにするとして、実際問題どうなんだろうか。ボールが歪むって主張は分かるが、実際問題、最近のボールは歪まないらしい。
なのでこれはもう、好みというか礼儀というか、礼儀という名の野生のマナー講師達による俺の好み通りやれという押し付けなのかもしれない。

ブラジル人のフェイント・テクニックの類で「一瞬ボールに座る」みたいなのがあった気もする。
これは、ボールは座るものではないという発想だと浮かばないものであり、そういう思考はどうにもプレーの幅を狭めるだけだと感じる。特に日本人はその辺の頭が硬い。

昔の日本サッカー界では、トーキックは下手くそのキックと言われていた。
自分もなんとなくその意見に流されていたが、デブの方のロナウドとか普通に使うし、フットサルでも普通に使うキックである。
なんだよもっとトーの練習しときゃ良かったと俺は思っている。
いわゆるブレ球もそう。
昔のサッカー人に言わせると蹴り損ないのクソキック、邪道みたいな風潮があったらしい(野々村チェアマンが何かの番組で変に偉そうに言ってた)
ところが今じゃもう一般的な球種だ。

そう考えるとサッカーは…いやあえて主語をデカくしよう。
この世界はいかに頭を柔らかく、物事を決めつけないかが大事なので、その思考は弱体化を招く考えである。

サッカーボールは座るものではないと考えるか。
サッカーボールは座ることもできる物だと考えるか。
後者は選択肢がひとつ多い。ならそっちの方がいい。手数は多い方が良い。

頭作り変えろ。アオアシでもそう言ってたではないか。
勝ちたいからこそ思考は柔軟に。

ちなみに俺は座らない。子供の時ボールに座ったら、後ろに倒れたことがあるので。どんくさい子供だった。


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