自称「思想強めマン」は大体単なる心弱めマン

思想が強いという言葉自体はまあ、わかるようなわからんような…と思っていたがSNSのプロフに「思想強め」と書いているような人間は、大体が単なる心が弱いマンである。
もう結論は出たのであとはダラダラと根拠というか、思ったことを書いていく。

この手の輩はネット上で偏った発言をしている。
とはいえ偏れば強いのか。言い切ってしまえば強さか。否。

俺自身断言しやすいマンであり、同時に世界レベルで心が弱いという自負がある。
中学時代に英語の教科書にのっていた
koala is Sensitive animal
(コアラは繊細な動物です)
という一文を音読して覚えていたら母親に
「アンタもSensitive animalやねえ」と言われる程に。

さておき。だからまあ、分かるのだ。
弱き者ほど、同じ弱き者が分かる。
禿げかけてる男(以前の俺)ほど、髪型でハゲを隠している男が分かる。今?もう禿げたよ。

断言ってのは大体バッサリ物事を切るから、困っている人とかに考えが至らず一刀両断しがちである。これこそ弱さの証。

令和の世で求められる笑いが
「誰かを傷つける可能性を内包しているクリティカルな笑い」より、
「傷つける可能性が低い程々の笑い」になったのは、これはもう人類の進歩。人類はじわじわと強くなってきている。

物事に対しては、なかなか断言は出来ない。なぜなら人それぞれだから。
そして人それぞれへの拒絶こそが弱さであり、人それぞれを受け入れられるのが強さである。
もちろん一筋縄にはいかない。いかないからこそ「強さ」と言えるし、思想強めの人は心が弱いといえる。

その理屈でいうとまさにこの記事も「本当は心が弱い人」を袈裟斬りにしている心の弱い記事なんだけど、自称思想強めマンは大体既に困ってる人達を安易に切ってような奴だからまあいいだろ。
ドラゴンスレイヤースレイヤーみたいなもんだ。人殺しのライオス!(ダンジョン飯ネタ)

同じ穴の狢か!みたいな話になったけど、少なくとも自覚はしておこうと思う。

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