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siawase no toki

昨日の夕方、4時半頃だったろうか、家から駅へ向かう。
「これが蝉時雨と言うのか!?」と天啓のように言葉がやってきた。
樹の多いこの団地ならでは、だろう、
普通なら一匹一匹の声が、ミーンミーンとかジージーとか聞き分けられるものだが、
その時はまるで空間全体が響き合って、声に塗りこめられている。
細い雨に見える限りが霞んで見えるように、世界が蝉の声に覆われている。
包まれている。
生命に満ちた大合唱。
取り巻く樹々の息吹。夕方の光、風の匂い。
一つのものとして、からだに染み込んでくる。

そんな風に言葉がこの身に「受肉」する時。


* 写真は以前たまたま立ち会えた羽化したての時。この木、1mほどの間に現在7つの抜け殻がついている。敷地内を少し歩けば、膝下くらいの草にも付いていたりする。
* 時雨:「日本海側や京都盆地、岐阜、長野、福島などの山間部では突然、空がかげったかと思うとハラハラと降りだし、短時間でサッとあがり、また降り出すといった雨」で、地域限定のものとのこと。
東京生まれには、単に言葉の音だけで「時雨」にしても「蝉時雨」にしても、もっと幽けき、繊細なもののようにイメージされていた。果たして「蝉時雨」と言ってよいのかは未確認。
(「Japanknoeledge」https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/37.html 20210810参照)
* wikipediaによれば、アブラゼミの夜鳴き、のようだ。(https://ja.wikipedia.org/wiki/アブラゼミ 20210810参照)

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