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33歳、ウンコを漏らす。


本日わたしはウンコを漏らしました。

このアカウンコは忘れがたき思い出を語るために作ったものですが、今日の出来事も発生から日が浅いだけで殿堂入りすることは決定的なので、においの鮮度が落ちないうちに書きたいと思います。

2020年6月8日、火曜日。リモートワークの昼休憩に、ハンバーガーでも食べようと近くのイオンモールへ行きました。ダブルチーズバーガーセットを食べ、お腹が満たされたわたしは、モール横の公園を散歩することにしました。

このイオンモールと公園は、昔からわたしの遊び場でした。とくに公園は、幼い頃、母に連れられて兄弟で遊んだ思い出ぶかい場所です。数年前に改修工事があり、公園の象徴だった噴水は撤去されて、跡地に設置されたお城のような遊具が新しい象徴となっていました。

夏日一歩手前の日差しと心地よい風を浴びながら、今はなき噴水でずぶ濡れになって遊んだ幼き日の思い出を懐かしんでしたら、

ウンコを漏らしました。ぷりゅって。

「え?」あまりにも急な出来事で、この身のオーナーであるわたしも状況が飲み込めず、ただ肛門に神経を集中させ被害範囲を慮ることしかできませんでした。オナラだと思って出したらウンコだったという失敗談はよく聞きますが、このとき放屁したかどうか正直覚えていないので、判例に当てはまるか定かではありません。わが肉体が甚だ無自覚なオナラを出そうと思ったのかもしれませんが、とにかくウンコを漏らしたのです。ぷりゅって。

都知事に無断で東京アラートを再発令したわたしは、都庁とレインボーブリッジを真っ茶に染めながらも、これ以上悲しみをおもてに出すまいと臀部をプレス機のごとく圧着し、中田ヒデばりのルックアップで周囲を見渡しました。すると20メートルほど先に公衆トイレがあるのを認めました。伝達式で褒章される偉人のように、一歩一歩、ゆっくりと進みます。燕尾服は着ていません。半袖短パンです。

多目的トイレに到達したわたしは、洋式便座に腰をおろし下半身をあらわにしました。下着は手遅れです。コーンスープ2口分の世界地図がそこに。おやまあと呑気にため息をつきながら便器に「ドドド」と腸の遺物を放ちました。

過ぎたことは仕方ない。この失敗を次にどう活かすかが社会人です。そんなことを思いながらお尻とパンツをきれいにしようとペーパーホルダーに視線を向けたところ、

トイレットペーパーはありませんでした。

都会では自殺する若者が増えている。今朝みたネットニュースの片隅に書いてた。だけども問題は今日のウンコ。紙がない。フォークソングにでもなりそうな事態でしたが、幸い今日はあたたかい。多目的トイレなだけあって、室内の手が届く距離に水道があったので、我が手を湿して繰り出すハンドウォシュレットという選択が頭をよぎりました。しかし右か左か、差し出す手を選ぶことができなかったため、一晩中泣いて、黄砂に吹かれて、自然乾燥を試みることにしました。

10分ほどが経ち、自分の中でこの騒ぎもそろそろ鎮火しはじめたので、意を決してパンツを履きました。afterウンコ、withウンコ。

ダブルチーズバーガーを食べたかっただけの一日がこうしてドラマチックになるなんて、ツイているのか、いないのか。トホホとトイレを出たところで、わたしは神と遭遇しました。

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紙や。

夏だというのに、白い犬の姿をした神はおでんを食べようとしていました。さすが神。季節を超越している。爆心地からトイレまでの導線に落ちていたはずなのに、当時はウンコのことで頭がいっぱいで、落ちている紙はおろか、野に咲く花にさえ目を遣ることができなかった自分を恥じました。

SDGsの12番目の目標に「つくる責任、つかう責任」があります。わたしは今、誰かが放棄した「つかう責任」を果たすため、神を拾い上げトレイに戻りました。限りある資源を有効活用したい。そんな思いで生きております。

さてさて、拾ったティッシュペーパーでなんとなくお尻の汚れとパンツの汚れを組んず解れつ、有耶無耶にできたので、カローラⅡに乗っておうちに帰りました。

うんちこんもりしたけれど、わたしはげんきです。ピース。



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