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私のオモイカネ杯:5年間、バーチャルクイズ大会を開催し続けてきた私の思い

最近ようやく気づいたのですが、どうやら私は続けることが苦手のようです。
何につけても、新しいものには夢中になって全力を注ぐのですが、それがルーチン化したり慣れきってしまうと、途端に興味を失ってしまいます。それはプライベートはもちろん、仕事であってもそうで、まあ悪癖といって差し支えないと思います。

2024/11/19で6歳になる私、思惟かねですが、思えばこの6年の間に多くのものを始め、そして終わらせてきました。
初期のTwitter上の活動であった#思惟かねの今日のwikipedia
VTuberグループ執筆活動であったVi-cross
配信とnoteでの定期活動だった思惟かねのWeekly News 22
Twitter上での技術ニュース解説と、そのまとめとしての思惟かねの一口ニュース解説
そして居酒屋雑談配信、和食居酒屋おもい

今やそのどれも明確な終わりもなく、冷温停止となっています。
それでも数少ない私が続けているものこそ、メタバース写真旅行誌『Platform』、そして……バーチャルクイズ大会『オモイカネ杯』です。

2024年冬大会で第10回を迎え、ありがたいことに予選の延べ参加者は1000人を突破。来年にはいよいよ5周年を迎える、私のライフワークと言って差し支えないクイズ大会が『オモイカネ杯』です。

とはいえ、先も触れた通り、たいへんに飽きっぽい私です。
しかもオモイカネ杯は、準備期間~予選~本戦配信まで含め2ヶ月以上かかる、運営側も大変なコンテンツです。年の1/3はオモイカネ杯の準備をしているのです。
それを5年近く、10回も。その間にいろんな苦労や悩みもありました。
正直に言えば、キリの良い第10回だから、これをもって大会を終了することもひそかに考えていました。またこれまでも運営チーム内でそういう議論がなかったといえば嘘になります。

それでも!
私はこの第10回大会を期に、この大会をこれからも続けていこうと決意を新たにしました。
この6歳の誕生日を機に、そう心を決めるに至った私の胸の内を、少しだけ語らせてもらえれば嬉しいです。


◆大会が始まった経緯

この企画がいかにして始まったかは、大会を共催しクリエイティブデザインを一手に担う櫻井マヒロさんが2023/5の第7回大会の折に書かれたこちらのnoteによくまとまっています。

一言で言えば、オモイカネ杯は場の流れと勢いで始まったのです。
ただそこには熱意がありました。「私の理想のクイズ大会を作りたい」という思いが。

あなたは「ガチ」のクイズバトルに飢えていませんか?
ネタ解答を笑う世間の風潮に反旗を翻し、高難易度のクイズを集め、正解者に惜しみない賞賛の拍手を送る正統派のクイズ大会!

https://www.youtube.com/live/ZZOkej4Elt0?si=XK7R-rUEob8wEF4G

第1回オモイカネ杯の謳い文句にあるように、それは世間のクイズ番組に対するアンチテーゼでもありました。エンタメ色を排し、一般受けなど慮外の高難易度のクイズを本気で戦ってほしい。
そういう私の思いが、それを支えてくれたマヒロさんの力が、ほぼ第10回まで受け継がれた予選での選抜⇒少人数の本戦での相互出題による高難易度クイズという大会を2週間あまりで形にしました。

何もかもを忘れて夢中で準備したのを、今でも覚えています。あるいはこの時こそが、何にも代えがたい私のバーチャル人生の中で最も充実した時間だったような気すらします。

そして同じくらいに嬉しかったのが、私の理想が空回りに終わらなかったこと。高難易度のクイズ大会を戦うにふさわしい、驚くべきレベルの参加者が実際に集まり、想像を超えた戦いを見せてくれたことでした。

いくら難しくとも、答えられる者のいないクイズは虚しいものです。
それが、参加者がどれほど難しいクイズを投げても、それを打ち返してくる猛者が必ずいるという稀有な環境。
オモイカネ杯という偶発的なイベントが生んだのは、そういうある種の信頼関係が持てる場であり、それは今なお大会の核として息づいています。

その原点となったの己が企画と理想であるというのは、私にとって間違いなく最大の誇りの一つであり、新しい何かを生み出すことに対する私の情熱を今なお心の奥底で支えています。


◆大会を続けるということ

好評だったからには、そして楽しかったからには次も、また次も、となるのは自然で。それから2年はマヒロさんの他、黒羽さなぎさんを巻き込み、参加者もさらに増えて大会の規模も大きくなりました。回を追うごとに参加者も増え、新しい試みや運営の改善も盛りだくさんで、毎回がお祭り騒ぎでした。
いつも全力で大会を運営していて、本当に、心から楽しかった時期です。

ただ、大会の参加者数がピークを迎えた…つまり頭打ちとなった第5回大会頃から、私の悪癖が自分を蝕み始めます。様々なものがルール化され、システム化され、経験値がたまり、大会の形式が確立され…そして「飽き」の気配が、じわりと心に漂い始めました。

それまで「今回も成功させられるかな…!」と常にあった緊張、大会がどこまで大きくなってくれるのだろうという見果てぬ期待、そしてまだ見ぬ新たな強者への好奇心…そういった、いうなれば大会としての不確実性が薄らいでいき、予測可能なものとなり、それによって私のモチベーションは少しずつ低下していきました。


続けるというのは、そういうことです。
新しいものは、常に上り調子です。ゼロから始まるのだから、成功は上昇と等価です。
けれど、いつまでも上り続けることはできません。何にでも頭打ちが来て、時には下り坂があって、時には維持することにすら汲々とすることになります。私は弱いから、きっとそういうものに耐えられなくて、ゆえに新しさを探すのでしょう。

そういう私の倦みは、様々な形できっと大会に影を落としてきました。オモイカネ杯は私の理想から始まり、私の名前を冠し、私が「いっしょにやろう!」と皆を誘い、そして私が主導する企画であるがゆえに、私のモチベーションが全体に影響するのは当然です。

ならば変えよう、あるいは終わらせて新しいものを始めよう。
それが私のやり方でした。…普段であれば、

けれど、オモイカネ杯だけはそうできなかった、したくなかった。
それは、オモイカネ杯というものがとっくの昔に私だけのイベントではなくなっていたからです。


◆オモイカネ杯とは何なのか

いくら難しくとも、答えられる者のいないクイズは虚しいものです。
それが、参加者がどれほど難しいクイズを投げても、それを打ち返してくる猛者が必ずいるという稀有な環境。
オモイカネ杯という偶発的なイベントが生んだのは、そういうある種の信頼関係が持てる場であり、それは今なお大会の核として息づいています。

先に私が書いた一節です。
そう、オモイカネ杯とは「人が集まる場」なのです。

誰が答えるのかという難しいクイズを作る人と、それでもそれを答えてしまう人がいると信じられる場」
視聴者と配信者の枠を超えて皆が「予選問題」として同じ20問のクイズに挑み、その苦闘や驚き、学びや発見を他の誰かと共有できる」。
予選を突破したどれも一角の知識人が集まり、あふれる知恵をしょうもない遊びや雑談に興じられる」。
半年に一度、「ああもうそんな季節か」と皆が風物詩として思い出す」…

私がやっているのは、そうした「場」を保ち続けるためのお手伝いに過ぎません。町内会のささやかなお祭りを、天幕や出し物を倉庫から出してあくせく準備している近所のおじさんです。
その主役であり本体であるのは、季節が来ればそこに集まり、そして賑やかに楽しんでくれるお祭りの参加者。つまりあなたです

誰も来ない祭りが虚しいのと同じくらいに、楽しみにする人がいながら祭りが開かれないというのは、なんとも寂しいじゃありませんか。
だから私は、倦んではいても、それでもなおこの大会を続けたい。そう思うのです。

綺麗に言ってるけど、それって結局、都合よく理由を他人にかこつけているだけじゃない…?というと、それも少し違います

私を倦ませたのは、回を重ねるごとに新鮮味を薄れさせていった大会の準備や運営でした。確かに大会のスタイルは確立され、以前よりも確実にルーチン化してきてはいます。続ける以上、そこに「飽き」が来るのは避けられません。

けれども、それでも何度大会を繰り返そうとも色褪せないものがあります。
それこそが、参加してくれる皆さん一人一人にまつわるドラマ」です。


◆あなたの物語(ドラマ)を聞かせて

のべ1000人が参加してくれた大会です。それを見守ってくれた視聴者まで含めれば、きっと何千人。それだけ沢山の人が、きっとそれぞれの「ドラマ」を持っています。

それは何度も大会に参加して、接戦の末に掴み取った優勝であったり。

あるいは印象的な作問の影に隠された思いや裏話であったり。

いち視聴者として見続けて、見えた、気付いたものがあった経験だったり。

あるいは劇的でなくとも、「この問題、難しいけどたまたま○○で経験したことあったから知ってたんですよ」とか「偶然好きな小説で出てきたから分かった」みたいな、私とのDMの中で交わされた参加者の皆さんそれぞれの小さなストーリーも。

5年という、ともすれば高校生が大学を卒業するほどの時間。その間、オモイカネ杯を何度か見て、将来の何かのきっかけを得た人がいるかもしれない。クイズから離れていたけど、たまにはやってみるかと熱意を取り戻した人がいるかもしれない。こんな人達がいるのかと世界の広さを思い知って、勇気づけられた人がいるかもしれない。

Twitter上の何千ものツイートやDMの中にある、あるいはそうして言語化すらされていないたくさんのドラマが、その人々の思いが、このイベントをきっかけに生み出されている…。

#オモイカネ杯 - X

それに改めて気づいた時、私の胸には言葉にできない熱い思いが湧き上がるのを感じて、ふいに涙がこぼれました。

オモイカネ杯というイベントは、やはり回を重ねるごとに新鮮味も薄れて、やがて古色蒼然としてゆくのでしょう。
けれど、オモイカネ杯は「」でしかありません。その場に集まる「」は生きていて、常に昨日とは違って、常に新しい。たとえ看板は色褪せても、ここに人が集まる限り、その人たちのドラマや思いは、決して色褪せることはなく、いつになっても老いた私の胸に響くことでしょう。

そしてその可能性は未来まで続いていきます。いかな慣れを重ねても、未来の不確実性、不可知性を奪い去ることはできません。
今もたまに思い出す言葉があります。オモイカネ杯の参加者のある方が言いました。


私たちの子供たちが、大きくなってオモイカネ杯に出るような日が来たらいいですね


たかがVTuberの一つの企画、クイズ大会ひとつに大げさな話だな、と笑うでしょうか。
そのとおりです。いったいあと何年、どれほど頑張って続ければ、そんな夢物語が現実になるのでしょうか。
けれどまあ、続けていればこそ、そういう「ドラマ」が生まれる可能性もあるのかなと思うと、もう少し頑張って大会を続けていこうじゃないか、という気持ちが、私の胸にふつふつと湧いてくるのです。


…もし、あなたがこれまでの、あるいはこれからの時間、オモイカネ杯に関わってなにかのドラマがあったのなら、わがままを承知で、大会が第10回を迎えるこの機にぜひ聞かせてもらえれば嬉しいな、と思います。
たとえ劇的でなくとも、短く些細なことでも、あなたが覚えているのであればそれは間違いなくあなたにとっての物語であり、語る価値があるものです。

このnoteでも、Twitterの短文でもなんでもいいです。
#私のオモイカネ杯 で、ぜひ私に、そして皆に聞かせてください。

参加方法】#私のオモイカネ杯 でnoteまたはX(Twitter)で記事を投稿📝

内容】あなたの #オモイカネ杯 に関する体験や思い、裏話などを聞かせてください!🖊️ 長さや形態(文章やイラスト、動画)などは問いません。

募集期間】ただいま~12/6(金) 20時⏰


それは私にとっての、最高の誕生日プレゼントでしょうからーーーー。
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2024/11/17 6度目の誕生日を前に
思惟かね
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